管子 / 輕重戊
魯梁之君聞之,則教其民為綈。十三月,而管子令人之魯梁。魯梁郭中之民,道路塵,十步不相見,絏繑而踵相隨,車轂騎連伍而行。管子曰:「魯梁可下矣。」公曰:「奈何?」管子對曰:「公宜服帛,率民去綈。閉闗,毋與魯梁通使。」公曰:「諾。」後十月,管子令人之魯梁。魯梁之民餓餒相及,應聲之正無以給上。魯梁之君即令其民去綈修農。榖不可以三月而得。魯梁之人糴十百,齊糶十錢。二十四月,魯梁之民歸齊者十分之六。三年,魯梁之君請服。
新字:魯梁之君聞之,則教其民為綈。十三月,而管子令人之魯梁。魯梁郭中之民,道路塵,十歩不相見,絏繑而踵相随,車轂騎連伍而行。管子曰:「魯梁可下矣。」公曰:「奈何?」管子対曰:「公宜服帛,率民去綈。閉関,毋与魯梁通使。」公曰:「諾。」後十月,管子令人之魯梁。魯梁之民餓餒相及,応声之正無以給上。魯梁之君即令其民去綈修農。榖不可以三月而得。魯梁之人糴十百,斉糶十銭。二十四月,魯梁之民帰斉者十分之六。三年,魯梁之君請服。
書き下し
魯・梁の君之を聞き、則ち其の民に教えて綈を為らしむ。十三月にして、管子人をして魯・梁に之かしむ。魯・梁の郭中の民、道路塵あり、十步にして相い見えず、繑を絏ぎて踵相い隨い、車轂騎連なり伍して行く。管子曰く、「魯・梁下すべし」と。公曰く、「奈何」と。管子對えて曰く、「公宜しく帛を服し、民を率いて綈を去るべし。闗を閉じ、魯・梁と使を通ずる毋かれ」と。公曰く、「諾」と。後十月、管子人をして魯・梁に之かしむ。魯・梁の民餓餒相い及び、應聲の正上に給する無し。魯・梁の君即ち其の民に令して綈を去り農を修めしむ。榖は三月を以て得べからざるなり。魯・梁の人は糴すること十百、齊は糶すること十錢。二十四月にして、魯・梁の民の齊に歸する者十分の六。三年にして、魯・梁の君服するを請う。
現代語訳
魯と梁の君はこれを聞いて、民に絹を織ることを教えた。十三か月たって、管子は人を魯と梁へやった。町なかの民で道は埃が立ち、十歩先も見えず、脛巾を結んだ者が踵を接して続き、車と騎馬が連なって並んで行く。管子が言った。魯と梁は屈服させられます。桓公が言った。どうするのか。管子が答えた。公は別の絹を着て、民を率いて厚手の絹をやめなさい。関所を閉じ、魯と梁とは使者を通わせない。桓公は、よし、と言った。十か月後、管子は人を魯と梁へやった。魯と梁の民は次々と飢え、決められた取り立てを上に納められなくなっていた。魯と梁の君はすぐ民に令を出し、絹をやめて農に戻らせた。しかし穀物は三か月では実らない。魯と梁の人が買う値は百倍、斉の売る値は十銭であった。二十四か月で、魯と梁の民で斉に移った者が十分の六。三年で、魯と梁の君は降伏を願い出た。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『管子』輕重戊桓公曰く、「魯・梁の齊に於けるや、千榖なり、蠭螫なり、齒の脣有るがごときなり。今吾れ魯・梁を下さんと欲す、何を行いて可ならん」と。管子對えて曰く、「即ち戰鬬の道を以て之に與えん」と。公曰く、「何の謂いぞや」と。管子對えて曰く、「魯・梁の民は、俗として綈を為る。公綈を服し、左右をして之を服せしめば、民從いて之を服せん。公因りて齊に令して敢えて為る勿からしめば、必ず魯・梁に仰がん、則ち是れ魯・梁は其の農事を釋てて綈を作らん」と。桓公曰く、「諾」と。即ち泰山の陽に服を為り、十日にして之を服す。管子魯・梁の賈人に告げて曰く、「子我が為に綈千匹を致さば、子に金三百斤を賜わん。什至らば金三千斤なり」と。則ち是れ魯・梁は民に賦らずして、財用足るなり。
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『管子』輕重戊楚の民即ち其の耕農を釋てて鹿を田る。管子楚の賈人に告げて曰く、「子我が為に生鹿を致さば、二十にして子に金百斤を賜わん、什至らば金千斤なり」と。則ち是れ楚は民に賦らずして財用足るなり。楚の男子は外に居り、女子は涂に居る。隰朋は民に教えて粟を藏すること五倍せしむ。楚は生鹿を以て錢を藏すること五倍す。管子曰く、「楚下すべし」と。公曰く、「奈何」と。管子對えて曰く、「楚の錢五倍なれば、其の君且に自ら得て榖錢五倍を修めんとす、是れ楚强きなり」と。桓公曰く、「諾」と。因りて人をして闗を閉じ、楚と使を通ぜざらしむ。楚王果たして自得して榖を修むるも、榖は三月にして得べからざるなり、楚の糴は四百。齊因りて人をして粟を載せて芊の南に處らしむ、楚人の齊に降る者十分の四。三年にして楚服す。
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『管子』輕重戊桓公管子に問いて曰く、「萊・莒と柴田と相い并す、之を為すこと奈何」と。管子對えて曰く、「萊・莒の山は柴を生ず。君其れ白徒の卒を率い、莊山の金を鑄て以て幣と為し、萊の柴の賈を重くせよ」と。萊の君之を聞き、左右に告げて曰く、「金幣なる者は、人の重んずる所なり。柴なる者は、吾が國の竒出なり。吾が國の竒出を以て、齊の重寶を盡くさば、則ち齊は并すべきなり」と。萊即ち其の耕農を釋てて柴を治む。管子即ち隰朋をして農に反らしむ。二年にして、桓公柴を止む、萊・莒の糴は三百七十、齊の糶は十錢、萊・莒の民の齊に降る者十分の七。二十八月にして、萊・莒の君服するを請う。
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『管子』輕重戊桓公管子に問いて曰く、「吾れ衡山を制するの術を為さんと欲す、之を為すこと奈何」と。管子對えて曰く、「公其れ人をして衡山の械器を貴く買いて之を賣らしめば、燕・代は必ず公に從いて之を買わん。秦・趙之を聞かば、必ず公と之を爭わん、衡山の械器は必ず其の賈を倍せん。天下之を爭わば、衡山の械器は必ず什倍以上ならん」と。公曰く、「諾」と。因りて人をして衡山に之きて械器を買い求めしめ、敢えて其の貴賈を辯ぜず。齊械器を衡山に修むること十月、燕・代之を聞き、果たして人をして衡山に之きて械器を買い求めしむ。燕・代修むること三月、秦國之を聞き、果たして人をして衡山に之きて械器を買い求めしむ。衡山の君其の相に告げて曰く、「天下吾が械器を爭う、其の買を再び什以上ならしめよ」と。衡山の民其の本を釋てて、械器の巧を修む。齊即ち隰朋をして粟を趙に漕がしむ。趙の糴は十五、隰朋之を取ること石ごとに五十。天下之を聞き、粟を載せて齊に之く。齊械器を修むること十七月、糶を修むること五月、即ち闗を閉じて衡山と使を通ぜず。燕・代・秦・趙即ち其の使を引きて歸る。衡山の械器盡き、魯は衡山の南を削り、齊は衡山の北を削る。内自ら量るに械器の以て二敵に應ずる無く、即ち國を奉じて齊に歸せり。
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『管子』大匡四年、兵を修め、同甲十萬、車五十乘。管仲に謂いて曰く、「吾が士既に練れ、吾が兵既に多し、寡人魯を服せんと欲す」と。管仲喟然として嘆じて曰く、「齊國危うし、君德を競わずして、兵を競う。天下の國、帶甲十萬なる者鮮なからず。吾小兵を發して以て大兵を服せんと欲す、内には吾が衆を失う。諸侯備えを設け、吾が人詐を設く、國危うき無からんと欲するも、得已めんや」と。公聽かず、果たして魯を伐つ。魯敢えて戰わず、國を去ること五十里にして之が關を為す。魯關内に比するを請い、以て齊に從い、齊も亦た復た魯を侵す毋し。桓公許諾す。
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『管子』輕重丁桓公曰く、「五衢の民は衰然として衣多くして屨穿つ、寡人帛布絲纊の賈を賤くせしめんと欲す、之を為すに道有りや」と。管子曰く、「請う令を以て途旁の樹枝を沐り、尺寸の隂無からしめん」と。桓公曰く、「諾」と。令を行うこと未だ一歳を能くせずして、五衢の民皆な多く帛を衣て屨を完くす。桓公管子を召して問いて曰く、「此れ其れ何の故ぞや」と。管子對えて曰く、「途旁の樹の未だ沐らざるの時、五衢の民、男女相い好みて往來して市する者は、市を罷めて、樹下に相い睹、談語して終日歸らず。男女壯に當たり、輦を扶け輿を推す者は、樹下に相い睹、戲笑超距して、終日歸らず。父兄樹下に相い睹、𤣥語を論議して、終日歸らず。是を以て田は發かず、五榖は播かず、麻桑は種えず、蠒縷は治めず。内に一家を嚴にして三たび歸らずんば、則ち帛布絲纊の賈安んぞ貴からざるを得んや」と。桓公曰く、「善し」と。