管子 / 輕重戊
桓公問於管子曰:「楚者,山東之强國也,其人民習戰鬭之道。舉兵伐之,恐力不能過,兵於楚,功不成於周。為之奈何?」管子對曰:「即以戰鬬之道與之矣。」公曰:「何謂也?」管子對曰:「公貴買其鹿。」桓公即為百里之城,使人之楚買生鹿。楚生鹿當一而八萬。管子即令桓公與民通輕重,藏榖什之六。令左司馬伯公將白徒而鑄錢於莊山。令中大夫王邑載錢二千萬,求生鹿於楚。楚王聞之,告其相曰:「彼金錢,人之所重也,國之所以存,明王之所以賞有功。禽獸者,羣害也,明王之所棄逐也。今齊以其重寶貴買吾羣害,則是楚之福也。天且以齊私楚也。子告吾民,急求生鹿,以盡齊之寶。」
新字:桓公問於管子曰:「楚者,山東之強国也,其人民習戦闘之道。舉兵伐之,恐力不能過,兵於楚,功不成於周。為之奈何?」管子対曰:「即以戦闘之道与之矣。」公曰:「何謂也?」管子対曰:「公貴買其鹿。」桓公即為百里之城,使人之楚買生鹿。楚生鹿当一而八万。管子即令桓公与民通軽重,蔵穀什之六。令左司馬伯公将白徒而鋳銭於荘山。令中大夫王邑載銭二千万,求生鹿於楚。楚王聞之,告其相曰:「彼金銭,人之所重也,国之所以存,明王之所以賞有功。禽獣者,羣害也,明王之所棄逐也。今斉以其重宝貴買吾羣害,則是楚之福也。天且以斉私楚也。子告吾民,急求生鹿,以尽斉之宝。」
書き下し
桓公管子に問いて曰く、「楚なる者は、山東の强國なり、其の人民は戰鬭の道に習う。兵を舉げて之を伐たば、恐らくは力の過ぐる能わず、楚に兵して、功は周に成らざらん。之を為すこと奈何」と。管子對えて曰く、「即ち戰鬬の道を以て之に與えん」と。公曰く、「何の謂いぞや」と。管子對えて曰く、「公其の鹿を貴く買え」と。桓公即ち百里の城を為り、人をして楚に之きて生鹿を買わしむ。楚の生鹿は一に當たりて八萬。管子即ち桓公をして民と輕重を通じ、榖の什の六を藏せしむ。左司馬伯公をして白徒を將いて莊山に錢を鑄しむ。中大夫王邑をして錢二千萬を載せ、生鹿を楚に求めしむ。楚王之を聞き、其の相に告げて曰く、「彼の金錢は、人の重んずる所なり、國の存する所以、明王の功有るを賞する所以なり。禽獸なる者は、羣害なり、明王の棄て逐う所なり。今齊は其の重寶を以て吾が羣害を貴く買う、則ち是れ楚の福なり。天且に齊を以て楚に私せんとするなり。子吾が民に告げ、急ぎ生鹿を求めて、以て齊の寶を盡くさしめよ」と。
現代語訳
桓公が管子に問うた。楚は山東の強国で、その民は戦いのやり方に慣れている。兵を挙げて討っても、力で上回れそうにない。楚と兵を交えても、周に対する功は立たないだろう。どうすればよいか。管子が答えた。ならば戦いの道をそのまま相手に与えましょう。桓公が言った。どういうことか。管子が答えた。公は楚の鹿を高く買いなさい。桓公はそこで百里の城を築き、人を楚へやって生きた鹿を買わせた。楚の生きた鹿は一頭が八万にあたった。管子はすぐ桓公に、民と値の上げ下げを通わせ、穀物の十分の六を蓄えさせた。左司馬の伯公に人夫を率いさせ、荘山で銭を鋳させた。中大夫の王邑に銭二千万を積ませ、楚に生きた鹿を求めさせた。楚王はこれを聞いて、宰相に告げた。金や銭は人が重んじるもの、国を保つもの、賢い王が功ある者に賞するものだ。鳥獣は害をなすもので、賢い王が追い払うものだ。いま斉はその重い宝で我が国の害獣を高く買っている。これは楚の福である。天が斉を使って楚に味方しようとしているのだ。民に告げて、急いで生きた鹿を捕らせ、斉の宝を吸い尽くさせよ、と。
解説
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