管子 / 輕重戊
楚民即釋其耕農而田鹿。管子告楚之賈人曰:「子為我致生鹿,二十賜子金百斤,什至而金千斤也。則是楚不賦於民而財用足也。」楚之男子居外,女子居涂。隰朋教民藏粟五倍。楚以生鹿藏錢五倍。管子曰:「楚可下矣。」公曰:「奈何?」管子對曰:「楚錢五倍,其君且自得而修榖錢五倍,是楚强也。」桓公曰:「諾。」因令人閉闗,不與楚通使。楚王果自得而修榖榖不可三月而得也,楚糴四百。齊因令人載粟處芊之南,楚人降齊者十分之四。三年而楚服。
新字:楚民即釈其耕農而田鹿。管子告楚之賈人曰:「子為我致生鹿,二十賜子金百斤,什至而金千斤也。則是楚不賦於民而財用足也。」楚之男子居外,女子居涂。隰朋教民蔵粟五倍。楚以生鹿蔵銭五倍。管子曰:「楚可下矣。」公曰:「奈何?」管子対曰:「楚銭五倍,其君且自得而修榖銭五倍,是楚强也。」桓公曰:「諾。」因令人閉関,不与楚通使。楚王果自得而修榖榖不可三月而得也,楚糴四百。斉因令人載粟処芊之南,楚人降斉者十分之四。三年而楚服。
書き下し
楚の民即ち其の耕農を釋てて鹿を田る。管子楚の賈人に告げて曰く、「子我が為に生鹿を致さば、二十にして子に金百斤を賜わん、什至らば金千斤なり」と。則ち是れ楚は民に賦らずして財用足るなり。楚の男子は外に居り、女子は涂に居る。隰朋は民に教えて粟を藏すること五倍せしむ。楚は生鹿を以て錢を藏すること五倍す。管子曰く、「楚下すべし」と。公曰く、「奈何」と。管子對えて曰く、「楚の錢五倍なれば、其の君且に自ら得て榖錢五倍を修めんとす、是れ楚强きなり」と。桓公曰く、「諾」と。因りて人をして闗を閉じ、楚と使を通ぜざらしむ。楚王果たして自得して榖を修むるも、榖は三月にして得べからざるなり、楚の糴は四百。齊因りて人をして粟を載せて芊の南に處らしむ、楚人の齊に降る者十分の四。三年にして楚服す。
現代語訳
楚の民はすぐに耕作を捨てて鹿を狩った。管子は楚の商人に告げた。私のために生きた鹿を届けてくれれば、二十頭で金百斤を差し上げる。二百頭なら金千斤だ、と。こうして楚は民から取り立てなくても入用が足りるようになった。楚の男は野に出ており、女は道にいる。隰朋は民に教えて粟を五倍に蓄えさせた。楚は鹿によって銭を五倍に蓄えた。管子が言った。楚は屈服させられます。桓公が言った。どうするのか。管子が答えた。楚の銭が五倍になれば、その君は得意になって穀物と銭を五倍に整えようとする。それで楚は強いつもりでいるのです。桓公は、よし、と言った。そこで人をやって関所を閉じ、楚と使者を通わせなくした。楚王は案の定得意になって穀物を整えようとしたが、穀物は三か月では手に入らない。楚の買値は四百になった。斉はそこで人に粟を積ませて芊の南に置いた。楚人で斉に下る者は十分の四。三年で楚は屈服した。
解説
この章句が説くこと
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『管子』輕重戊桓公管子に問いて曰く、「楚なる者は、山東の强國なり、其の人民は戰鬭の道に習う。兵を舉げて之を伐たば、恐らくは力の過ぐる能わず、楚に兵して、功は周に成らざらん。之を為すこと奈何」と。管子對えて曰く、「即ち戰鬬の道を以て之に與えん」と。公曰く、「何の謂いぞや」と。管子對えて曰く、「公其の鹿を貴く買え」と。桓公即ち百里の城を為り、人をして楚に之きて生鹿を買わしむ。楚の生鹿は一に當たりて八萬。管子即ち桓公をして民と輕重を通じ、榖の什の六を藏せしむ。左司馬伯公をして白徒を將いて莊山に錢を鑄しむ。中大夫王邑をして錢二千萬を載せ、生鹿を楚に求めしむ。楚王之を聞き、其の相に告げて曰く、「彼の金錢は、人の重んずる所なり、國の存する所以、明王の功有るを賞する所以なり。禽獸なる者は、羣害なり、明王の棄て逐う所なり。今齊は其の重寶を以て吾が羣害を貴く買う、則ち是れ楚の福なり。天且に齊を以て楚に私せんとするなり。子吾が民に告げ、急ぎ生鹿を求めて、以て齊の寶を盡くさしめよ」と。
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『管子』輕重戊魯・梁の君之を聞き、則ち其の民に教えて綈を為らしむ。十三月にして、管子人をして魯・梁に之かしむ。魯・梁の郭中の民、道路塵あり、十步にして相い見えず、繑を絏ぎて踵相い隨い、車轂騎連なり伍して行く。管子曰く、「魯・梁下すべし」と。公曰く、「奈何」と。管子對えて曰く、「公宜しく帛を服し、民を率いて綈を去るべし。闗を閉じ、魯・梁と使を通ずる毋かれ」と。公曰く、「諾」と。後十月、管子人をして魯・梁に之かしむ。魯・梁の民餓餒相い及び、應聲の正上に給する無し。魯・梁の君即ち其の民に令して綈を去り農を修めしむ。榖は三月を以て得べからざるなり。魯・梁の人は糴すること十百、齊は糶すること十錢。二十四月にして、魯・梁の民の齊に歸する者十分の六。三年にして、魯・梁の君服するを請う。
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『管子』輕重戊桓公管子に問いて曰く、「萊・莒と柴田と相い并す、之を為すこと奈何」と。管子對えて曰く、「萊・莒の山は柴を生ず。君其れ白徒の卒を率い、莊山の金を鑄て以て幣と為し、萊の柴の賈を重くせよ」と。萊の君之を聞き、左右に告げて曰く、「金幣なる者は、人の重んずる所なり。柴なる者は、吾が國の竒出なり。吾が國の竒出を以て、齊の重寶を盡くさば、則ち齊は并すべきなり」と。萊即ち其の耕農を釋てて柴を治む。管子即ち隰朋をして農に反らしむ。二年にして、桓公柴を止む、萊・莒の糴は三百七十、齊の糶は十錢、萊・莒の民の齊に降る者十分の七。二十八月にして、萊・莒の君服するを請う。
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『管子』輕重戊桓公曰く、「諾」と。即ち中大夫王師北をして人徒を將いて金錢を載せ代谷の上に之き、狐白の皮を求めしむ。代王之を聞き、即ち其の相に告げて曰く、「代の離枝より弱き所以の者は、金錢無きを以てなり。今齊乃ち金錢を以て狐白の皮を求む、是れ代の福なり。子急ぎ民に令して狐白の皮を求め、以て齊の幣を致さしめよ、寡人將に以て離枝の民を來たさんとす」と。代人果たして其の本を去り、山林の中に處り、狐白の皮を求む。二十四月にして一を得ず。離枝之を聞き、則ち其の北を侵す。代王之を聞き、大いに恐れ、則ち其の士卒を將いて代谷の上に葆る。離枝遂に其の北を侵し、王即ち其の士卒を將いて、願わくは以て齊に下らんとす。齊未だ一錢幣をも亡わずして、使を修むること三年にして代服す。
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『管子』輕重戊桓公曰く、「魯・梁の齊に於けるや、千榖なり、蠭螫なり、齒の脣有るがごときなり。今吾れ魯・梁を下さんと欲す、何を行いて可ならん」と。管子對えて曰く、「即ち戰鬬の道を以て之に與えん」と。公曰く、「何の謂いぞや」と。管子對えて曰く、「魯・梁の民は、俗として綈を為る。公綈を服し、左右をして之を服せしめば、民從いて之を服せん。公因りて齊に令して敢えて為る勿からしめば、必ず魯・梁に仰がん、則ち是れ魯・梁は其の農事を釋てて綈を作らん」と。桓公曰く、「諾」と。即ち泰山の陽に服を為り、十日にして之を服す。管子魯・梁の賈人に告げて曰く、「子我が為に綈千匹を致さば、子に金三百斤を賜わん。什至らば金三千斤なり」と。則ち是れ魯・梁は民に賦らずして、財用足るなり。
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『管子』輕重戊桓公管子に問いて曰く、「吾れ衡山を制するの術を為さんと欲す、之を為すこと奈何」と。管子對えて曰く、「公其れ人をして衡山の械器を貴く買いて之を賣らしめば、燕・代は必ず公に從いて之を買わん。秦・趙之を聞かば、必ず公と之を爭わん、衡山の械器は必ず其の賈を倍せん。天下之を爭わば、衡山の械器は必ず什倍以上ならん」と。公曰く、「諾」と。因りて人をして衡山に之きて械器を買い求めしめ、敢えて其の貴賈を辯ぜず。齊械器を衡山に修むること十月、燕・代之を聞き、果たして人をして衡山に之きて械器を買い求めしむ。燕・代修むること三月、秦國之を聞き、果たして人をして衡山に之きて械器を買い求めしむ。衡山の君其の相に告げて曰く、「天下吾が械器を爭う、其の買を再び什以上ならしめよ」と。衡山の民其の本を釋てて、械器の巧を修む。齊即ち隰朋をして粟を趙に漕がしむ。趙の糴は十五、隰朋之を取ること石ごとに五十。天下之を聞き、粟を載せて齊に之く。齊械器を修むること十七月、糶を修むること五月、即ち闗を閉じて衡山と使を通ぜず。燕・代・秦・趙即ち其の使を引きて歸る。衡山の械器盡き、魯は衡山の南を削り、齊は衡山の北を削る。内自ら量るに械器の以て二敵に應ずる無く、即ち國を奉じて齊に歸せり。