管子 / 輕重戊
桓公曰:「魯梁之於齊也,千榖也,蠭螫也,齒之有脣也。今吾欲下魯梁,何行而可?」管子對曰:「魯梁之民,俗為綈。公服綈,令左右服之,民從而服之。公因令齊勿敢為,必仰於魯梁,則是魯梁釋其農事而作綈矣。」桓公曰:「諾。」即為服於泰山之陽,十日而服之。管子告魯梁之賈人曰:「子為我致綈千匹,賜子金三百斤。什至而金三千斤。」則是魯梁不賦於民,財用足也。
新字:桓公曰:「魯梁之於斉也,千榖也,蠭螫也,齒之有脣也。今吾欲下魯梁,何行而可?」管子対曰:「魯梁之民,俗為綈。公服綈,令左右服之,民従而服之。公因令斉勿敢為,必仰於魯梁,則是魯梁釈其農事而作綈矣。」桓公曰:「諾。」即為服於泰山之陽,十日而服之。管子告魯梁之賈人曰:「子為我致綈千匹,賜子金三百斤。什至而金三千斤。」則是魯梁不賦於民,財用足也。
書き下し
桓公曰く、「魯・梁の齊に於けるや、千榖なり、蠭螫なり、齒の脣有るがごときなり。今吾れ魯・梁を下さんと欲す、何を行いて可ならん」と。管子對えて曰く、「即ち戰鬬の道を以て之に與えん」と。公曰く、「何の謂いぞや」と。管子對えて曰く、「魯・梁の民は、俗として綈を為る。公綈を服し、左右をして之を服せしめば、民從いて之を服せん。公因りて齊に令して敢えて為る勿からしめば、必ず魯・梁に仰がん、則ち是れ魯・梁は其の農事を釋てて綈を作らん」と。桓公曰く、「諾」と。即ち泰山の陽に服を為り、十日にして之を服す。管子魯・梁の賈人に告げて曰く、「子我が為に綈千匹を致さば、子に金三百斤を賜わん。什至らば金三千斤なり」と。則ち是れ魯・梁は民に賦らずして、財用足るなり。
現代語訳
桓公が言った。魯と梁は斉にとって、畑の雑草のようであり、蜂の毒針のようであり、歯にとっての唇のようなものだ。いま私は魯と梁を屈服させたい。何を行えばよいか。管子が答えた。ならば戦いの道をそのまま相手に与えましょう。桓公が言った。どういうことか。管子が答えた。魯と梁の民は、習わしとして厚手の絹を織ります。公がその絹を着て、側近にも着させれば、民も従って着るようになる。そのうえで斉では作ってはならぬと令を出せば、必ず魯と梁に頼ることになる。すると魯と梁は農事を捨てて絹を織るようになります。桓公は、よし、と言った。そこで泰山の南で衣を仕立て、十日でそれを着た。管子は魯と梁の商人に告げた。私のために絹を千匹届けてくれれば、金三百斤を差し上げる。一万匹届けば金三千斤だ、と。こうして魯と梁は民から取り立てなくても入用が足りるようになった。
解説
この章句が説くこと
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『管子』輕重戊魯・梁の君之を聞き、則ち其の民に教えて綈を為らしむ。十三月にして、管子人をして魯・梁に之かしむ。魯・梁の郭中の民、道路塵あり、十步にして相い見えず、繑を絏ぎて踵相い隨い、車轂騎連なり伍して行く。管子曰く、「魯・梁下すべし」と。公曰く、「奈何」と。管子對えて曰く、「公宜しく帛を服し、民を率いて綈を去るべし。闗を閉じ、魯・梁と使を通ずる毋かれ」と。公曰く、「諾」と。後十月、管子人をして魯・梁に之かしむ。魯・梁の民餓餒相い及び、應聲の正上に給する無し。魯・梁の君即ち其の民に令して綈を去り農を修めしむ。榖は三月を以て得べからざるなり。魯・梁の人は糴すること十百、齊は糶すること十錢。二十四月にして、魯・梁の民の齊に歸する者十分の六。三年にして、魯・梁の君服するを請う。
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『管子』輕重戊桓公管子に問いて曰く、「吾れ衡山を制するの術を為さんと欲す、之を為すこと奈何」と。管子對えて曰く、「公其れ人をして衡山の械器を貴く買いて之を賣らしめば、燕・代は必ず公に從いて之を買わん。秦・趙之を聞かば、必ず公と之を爭わん、衡山の械器は必ず其の賈を倍せん。天下之を爭わば、衡山の械器は必ず什倍以上ならん」と。公曰く、「諾」と。因りて人をして衡山に之きて械器を買い求めしめ、敢えて其の貴賈を辯ぜず。齊械器を衡山に修むること十月、燕・代之を聞き、果たして人をして衡山に之きて械器を買い求めしむ。燕・代修むること三月、秦國之を聞き、果たして人をして衡山に之きて械器を買い求めしむ。衡山の君其の相に告げて曰く、「天下吾が械器を爭う、其の買を再び什以上ならしめよ」と。衡山の民其の本を釋てて、械器の巧を修む。齊即ち隰朋をして粟を趙に漕がしむ。趙の糴は十五、隰朋之を取ること石ごとに五十。天下之を聞き、粟を載せて齊に之く。齊械器を修むること十七月、糶を修むること五月、即ち闗を閉じて衡山と使を通ぜず。燕・代・秦・趙即ち其の使を引きて歸る。衡山の械器盡き、魯は衡山の南を削り、齊は衡山の北を削る。内自ら量るに械器の以て二敵に應ずる無く、即ち國を奉じて齊に歸せり。
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『管子』輕重戊桓公管子に問いて曰く、「楚なる者は、山東の强國なり、其の人民は戰鬭の道に習う。兵を舉げて之を伐たば、恐らくは力の過ぐる能わず、楚に兵して、功は周に成らざらん。之を為すこと奈何」と。管子對えて曰く、「即ち戰鬬の道を以て之に與えん」と。公曰く、「何の謂いぞや」と。管子對えて曰く、「公其の鹿を貴く買え」と。桓公即ち百里の城を為り、人をして楚に之きて生鹿を買わしむ。楚の生鹿は一に當たりて八萬。管子即ち桓公をして民と輕重を通じ、榖の什の六を藏せしむ。左司馬伯公をして白徒を將いて莊山に錢を鑄しむ。中大夫王邑をして錢二千萬を載せ、生鹿を楚に求めしむ。楚王之を聞き、其の相に告げて曰く、「彼の金錢は、人の重んずる所なり、國の存する所以、明王の功有るを賞する所以なり。禽獸なる者は、羣害なり、明王の棄て逐う所なり。今齊は其の重寶を以て吾が羣害を貴く買う、則ち是れ楚の福なり。天且に齊を以て楚に私せんとするなり。子吾が民に告げ、急ぎ生鹿を求めて、以て齊の寶を盡くさしめよ」と。
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『管子』輕重戊桓公管子に問いて曰く、「萊・莒と柴田と相い并す、之を為すこと奈何」と。管子對えて曰く、「萊・莒の山は柴を生ず。君其れ白徒の卒を率い、莊山の金を鑄て以て幣と為し、萊の柴の賈を重くせよ」と。萊の君之を聞き、左右に告げて曰く、「金幣なる者は、人の重んずる所なり。柴なる者は、吾が國の竒出なり。吾が國の竒出を以て、齊の重寶を盡くさば、則ち齊は并すべきなり」と。萊即ち其の耕農を釋てて柴を治む。管子即ち隰朋をして農に反らしむ。二年にして、桓公柴を止む、萊・莒の糴は三百七十、齊の糶は十錢、萊・莒の民の齊に降る者十分の七。二十八月にして、萊・莒の君服するを請う。
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『管子』大匡四年、兵を修め、同甲十萬、車五十乘。管仲に謂いて曰く、「吾が士既に練れ、吾が兵既に多し、寡人魯を服せんと欲す」と。管仲喟然として嘆じて曰く、「齊國危うし、君德を競わずして、兵を競う。天下の國、帶甲十萬なる者鮮なからず。吾小兵を發して以て大兵を服せんと欲す、内には吾が衆を失う。諸侯備えを設け、吾が人詐を設く、國危うき無からんと欲するも、得已めんや」と。公聽かず、果たして魯を伐つ。魯敢えて戰わず、國を去ること五十里にして之が關を為す。魯關内に比するを請い、以て齊に從い、齊も亦た復た魯を侵す毋し。桓公許諾す。
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『管子』輕重戊楚の民即ち其の耕農を釋てて鹿を田る。管子楚の賈人に告げて曰く、「子我が為に生鹿を致さば、二十にして子に金百斤を賜わん、什至らば金千斤なり」と。則ち是れ楚は民に賦らずして財用足るなり。楚の男子は外に居り、女子は涂に居る。隰朋は民に教えて粟を藏すること五倍せしむ。楚は生鹿を以て錢を藏すること五倍す。管子曰く、「楚下すべし」と。公曰く、「奈何」と。管子對えて曰く、「楚の錢五倍なれば、其の君且に自ら得て榖錢五倍を修めんとす、是れ楚强きなり」と。桓公曰く、「諾」と。因りて人をして闗を閉じ、楚と使を通ぜざらしむ。楚王果たして自得して榖を修むるも、榖は三月にして得べからざるなり、楚の糴は四百。齊因りて人をして粟を載せて芊の南に處らしむ、楚人の齊に降る者十分の四。三年にして楚服す。