管子 / 輕重丁
桓公曰:「五衢之民衰然多衣而屨穿,寡人欲使帛布絲纊之賈賤,為之有道乎?」管子曰:「請以令沐途旁之樹枝,使無尺寸之隂桓公曰:「諾。」行令未能一嵗,五衢之民皆多衣帛完屨。桓公召管子而問曰:「此其何故也?」管子對曰:「途旁之樹未沐之時,五衢之民,男女相好往來之市者,罷市,相睹樹下,談語終日不歸。男女當壯,扶輦推輿,相睹樹下,戲笑超距,終日不歸。父兄相睹樹下,論議𤣥語,終日不歸。是以田不發,五榖不播,麻桑不種,蠒縷不治。内嚴一家而三不歸,則帛布絲纊之賈安得不貴?」桓公曰:「善。」
新字:桓公曰:「五衢之民衰然多衣而屨穿,寡人欲使帛布糸纊之賈賤,為之有道乎?」管子曰:「請以令沐途旁之樹枝,使無尺寸之陰桓公曰:「諾。」行令未能一歳,五衢之民皆多衣帛完屨。桓公召管子而問曰:「此其何故也?」管子対曰:「途旁之樹未沐之時,五衢之民,男女相好往来之市者,罷市,相睹樹下,談語終日不帰。男女当壮,扶輦推輿,相睹樹下,戯笑超距,終日不帰。父兄相睹樹下,論議玄語,終日不帰。是以田不発,五穀不播,麻桑不種,蠒縷不治。内厳一家而三不帰,則帛布糸纊之賈安得不貴?」桓公曰:「善。」
書き下し
桓公曰く、「五衢の民は衰然として衣多くして屨穿つ、寡人帛布絲纊の賈を賤くせしめんと欲す、之を為すに道有りや」と。管子曰く、「請う令を以て途旁の樹枝を沐り、尺寸の隂無からしめん」と。桓公曰く、「諾」と。令を行うこと未だ一歳を能くせずして、五衢の民皆な多く帛を衣て屨を完くす。桓公管子を召して問いて曰く、「此れ其れ何の故ぞや」と。管子對えて曰く、「途旁の樹の未だ沐らざるの時、五衢の民、男女相い好みて往來して市する者は、市を罷めて、樹下に相い睹、談語して終日歸らず。男女壯に當たり、輦を扶け輿を推す者は、樹下に相い睹、戲笑超距して、終日歸らず。父兄樹下に相い睹、𤣥語を論議して、終日歸らず。是を以て田は發かず、五榖は播かず、麻桑は種えず、蠒縷は治めず。内に一家を嚴にして三たび歸らずんば、則ち帛布絲纊の賈安んぞ貴からざるを得んや」と。桓公曰く、「善し」と。
現代語訳
桓公が言った。四つ辻の民は衰えたようすで、衣は多くても履物は穴が開いている。私は絹や布や糸の値を安くさせたい。これに道はあるか。管子が言った。令を出して道端の木の枝を刈り払い、一尺一寸の日陰も残さないようにしましょう。桓公は、よし、と言った。令を行って一年もたたないうちに、四つ辻の民はみな絹を多く着て履物を整えた。桓公は管子を呼んで問うた。これはなぜか。管子が答えた。道端の木がまだ刈られていなかったころ、四つ辻の民のうち、互いに気があって市へ行き来する男女は、市が終わると木の下で顔を合わせ、一日じゅう話し込んで帰らない。働き盛りの男女で荷車を引き輿を押す者も、木の下で顔を合わせ、ふざけ笑い跳ね比べをして一日じゅう帰らない。父や兄も木の下で顔を合わせ、奥深い話を論じ合って一日じゅう帰らない。だから田は起こされず、五穀は蒔かれず、麻も桑も植えられず、繭も糸も手がつかない。一つの家のなかで三通りの者が帰ってこないなら、絹や布や糸の値が高くならないでいられましょうか。桓公は、よい、と言った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『呻吟語』内篇・修身・入る所を慎み、接する所を慎む廟に入れば敬を期せずして自ら敬し、朝に入れば肅を期せずして自ら肅たり。是を以て君子は入る所を慎むなり。嚴師を見れば則ち收斂し、狎友を見れば則ち放恣なり。是を以て君子は接する所を慎むなり。
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『墨子』所染子墨子、染絲する者を見て歎じて言いて曰く、「蒼に染むれば則ち蒼く、黄に染むれば則ち黄なり。入るる所の者變ずれば、其の色も亦た變ず。五たび入れて已に五色と為る。故に染は慎まざる可からざるなり」と。
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『講孟余話』滕文公下 第六章「一薛居州、独り宋王を如何せん」。此の章の義極めて明白、比喩極めて的切、而して到底又此の一句に帰す。然れども是れ独り人君の知るべきのみに非ず。卿大夫士に至るまで、争臣争友少なくては、善をなすこと甚だ難し。更に一転して思ふに、心の存する所、身の行ふ所、接する所の事、翫ぶ所の芸、皆善に非ざることなくば、何を以て不善の人たらんや。故に云ふ、「小人間居して不善をなす」と。不善の萌しは必ず無事による者なれば、是れを思ひて、身を孝悌文武の内に漸漬して、他念を生ずるに暇なくすべし。是れ亦荘嶽に置くの意なり。
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『呻吟語』外篇・品藻・至此不為君子、真小人なり君子事に當たれば、則ち小人も皆な君子と為る。此に至りて君子と為らざるは、真の小人なり。小人事に當たれば、則ち中人も皆な小人と為る。此に至りて小人と為らざるは、真の君子なり。
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『新書』保傅秦に及びて然らず、其の俗は固より辞譲を貴ぶに非ず、上ぶ所は告訏なり。固より礼義を貴ぶに非ず、上ぶ所は刑罰なり。趙高をして胡亥に傅きて之に獄を教えしめ、習う所は人を斬劓するに非ざれば、則ち人の三族を夷するなり。故に今日位に即き、明日人を射、忠諫する者は之を誹謗と謂い、深く之が為に計る者は之を妖言と謂い、其の人を殺すを視ること艾草菅の若く然り。豈に胡亥の性悪ならんや。其の之を集め道く所以の者、理に非ざる故なり。
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孟子・滕文公章句下孟子、戴不勝に謂いて曰く、「子は子の王の善ならんことを欲するか。我明らかに子に告げん。此に楚の大夫有らんに、其の子の齊語せんことを欲すれば、則ち齊人をして諸に傅たらしめんか。楚人をして諸に傅たらしめんか。」曰く、「齊人をして之に傅たらしめん。」曰く、「一齊人之に傅たるも、衆楚人之を咻せば、雖日に撻(むちうつ)ちて其の齊たらんことを求むと雖も、得可からず。引いて之を莊嶽の間に置くこと數年ならば、日に撻ちて其の楚たらんことを求むと雖も、亦た得可からず。子、薛居州を善士と謂い、之をして王の所に居らしむ。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州ならば、王は誰と與にか不善を為さん。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州に非ざれば、王は誰と與にか善を為さん。一薛居州、獨り宋王を如何せん。」 <語釈> ○「咻」、音はキュウ、義はかまびすしくすること。○「莊嶽」、顧炎武云う、莊は是れ街の名、嶽は是れ里の名。

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