管子 / 輕重丁
龍鬭於馬謂之陽,牛山之陰。管子入復於桓公曰:「天使使者臨君之郊,請使大夫初飭,左右𤣥服,天之使者乎!天下聞之曰:『神哉齊桓公,天使使者臨其郊!』不待舉兵,而朝者八諸侯。此乘天威而動天下之道也。故智者役使鬼神,而愚者信之。」桓公終神。管子入復桓公曰:「地重投之哉,兆國有慟。風重投之哉,兆國有槍星,其君必辱。國有彗星,必有流血。浮丘之戰,彗之所出,必服天下之仇。今彗星見於齊之分,請以令朝功臣世家,號令於國中曰:『彗星出,寡人恐服天下之仇。請有五榖收粟布帛文采者,皆勿敢左右。國且有大事,請以平賈取之。』功臣之家、人民百姓皆獻其榖菽粟泉金,歸其財物,以佐君之大事。此謂乗天嗇而求民鄰財之道也。」
新字:竜闘於馬謂之陽,牛山之陰。管子入復於桓公曰:「天使使者臨君之郊,請使大夫初飭,左右玄服,天之使者乎!天下聞之曰:『神哉斉桓公,天使使者臨其郊!』不待舉兵,而朝者八諸侯。此乗天威而動天下之道也。故智者役使鬼神,而愚者信之。」桓公終神。管子入復桓公曰:「地重投之哉,兆国有慟。風重投之哉,兆国有槍星,其君必辱。国有彗星,必有流血。浮丘之戦,彗之所出,必服天下之仇。今彗星見於斉之分,請以令朝功臣世家,号令於国中曰:『彗星出,寡人恐服天下之仇。請有五穀収粟布帛文采者,皆勿敢左右。国且有大事,請以平賈取之。』功臣之家、人民百姓皆献其穀菽粟泉金,帰其財物,以佐君之大事。此謂乗天嗇而求民鄰財之道也。」
書き下し
龍馬に鬭う、之を陽と謂う、牛山の陰なり。管子入りて桓公に復して曰く、「天使者をして君の郊に臨ましむ、請う大夫をして初めて飭らしめ、左右は𤣥服せよ、天の使者なるかな」と。天下之を聞きて曰く、「神なるかな齊の桓公、天使者をして其の郊に臨ましむ」と。兵を舉ぐるを待たずして、朝する者八諸侯。此れ天威に乗じて天下を動かすの道なり。故に智者は鬼神を役使して、愚者は之を信ず。桓公終に神とせらる。管子入りて桓公に復して曰く、「地重ねて之を投ずるかな、國に慟有るを兆す。風重ねて之を投ずるかな、國に槍星有るを兆し、其の君必ず辱めらる。國に彗星有らば、必ず流血有り。浮丘の戰、彗の出づる所、必ず天下の仇を服す。今彗星齊の分に見わる、請う令を以て功臣世家に朝し、國中に號令して曰わん、『彗星出づ、寡人天下の仇を服せんことを恐る。請う五榖・收粟・布帛・文采有る者は、皆な敢えて左右する勿かれ。國且に大事有らんとす、請う平賈を以て之を取らん』と」と。功臣の家、人民百姓皆な其の榖菽粟泉金を獻じ、其の財物を歸して、以て君の大事を佐く。此れ天嗇に乗じて民鄰の財を求むるの道と謂うなり。
現代語訳
龍が馬のところで争った。これを陽といい、牛山の北がわのことである。管子が入って桓公に申し上げた。天が使者をつかわして君の郊外に臨ませました。大夫たちに身を改めさせ、側近には黒い衣を着せなさい。まさに天の使者です、と。天下がこれを聞いて言った。神々しいことだ、斉の桓公は、天が使者をつかわしてその郊外に臨ませたそうだ、と。兵を挙げるまでもなく、朝廷に来た諸侯は八つにのぼった。これが天の威に乗って天下を動かす道である。だから智ある者は鬼神を使い、愚かな者はそれを信じる。桓公はついに神々しい者と見なされた。管子が入って桓公に申し上げた。地が重ねて兆しを投げております、国に嘆きがある兆しです。風が重ねて兆しを投げております、国に槍星が出る兆しで、その君は必ず辱めを受ける。国に彗星が出れば、必ず血が流れる。浮丘の戦いのとき、彗星の出た方角は必ず天下の仇を従えました。いま彗星が斉の分野に現れています。令を出して功臣の家に出向き、国じゅうに触れを出しましょう。彗星が出た。私は天下の仇を従えることになるのを恐れる。五穀や取り入れた粟や布帛や綾織を持つ者は、決して勝手に動かしてはならない。国に大きな事が起ころうとしている。並の値でそれを買い取りたい、と。功臣の家も民百姓も、みな穀物や豆や粟や銭や金を献じ、その財物を差し出して、君の大事を助けた。これを天の兆しに乗って、民や隣の財を求める道という。
解説
この章句が説くこと
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