管子 / 揆度
管子曰:「一嵗耕,五嵗食,粟賈五倍。一嵗耕,六嵗食,粟賈六倍。二年耕,而十一年食。夫富能奪,貧能予,乃可以為天下。且天下者,處茲行茲,若此而天下可壹也。夫天下者,使之不使,用之不用。故善為天下者,毋曰使之,使不得不使;毋曰用之,用不得不用也。」
新字:管子曰:「一歳耕,五歳食,粟賈五倍。一歳耕,六歳食,粟賈六倍。二年耕,而十一年食。夫富能奪,貧能予,乃可以為天下。且天下者,処茲行茲,若此而天下可壱也。夫天下者,使之不使,用之不用。故善為天下者,毋曰使之,使不得不使;毋曰用之,用不得不用也。」
書き下し
管子曰く、「一歳耕して、五歳食らえば、粟の賈は五倍す。一歳耕して、六歳食らえば、粟の賈は六倍す。二年耕して、十一年食らう。夫れ富めば能く奪い、貧しければ能く予う、乃ち以て天下を為むべし。且つ天下なる者は、茲に處り茲に行う、此くの若くにして天下は壹にすべきなり。夫れ天下なる者は、之を使うに使わず、之を用うるに用いず。故に善く天下を為むる者は、之を使うと曰う毋くして、使わざるを得ざらしめ、之を用うと曰う毋くして、用いざるを得ざらしむるなり」と。
現代語訳
管子が言った。一年耕して五年食べれば、粟の値は五倍になる。一年耕して六年食べれば、粟の値は六倍になる。二年耕して十一年食べる。富んでいれば奪うことができ、貧しければ与えることができる。そうしてはじめて天下を治められる。そもそも天下というものは、ここに居てここで行うものだ。そうであってはじめて天下は一つにできる。天下というものは、使おうとして使うのではなく、用いようとして用いるのではない。だからうまく天下を治める者は、使うとは言わずに使わざるをえなくさせ、用いるとは言わずに用いざるをえなくさせるのである。
解説
一年の耕作で五年食べられれば、その粟は五倍の値打ちを持つ。二年で十一年、と数が伸びていきます。富んでいれば奪うことができ、貧しければ与えることができる、という対句も置かれました。締めは山至数篇と同じ言葉で、使うと言わずに使わざるをえなくさせる。この書で何度も繰り返される一句です。
この章句が説くこと
一歳耕して五歳食らえば粟の賈は五倍す二年耕して十一年食らう富めば能く奪い貧しければ能く予う之を使うと曰う毋くして使わざるを得ざらしむ蓄え年数
関連する章句
-
老子・第62章道は万物の奥にして、善人の宝、不善人の保んずる所なり。美言は以て尊を市うべく、美行は以て人に加うべし。人の不善なる、何ぞ之を棄つること有らん。故に天子を立て三公を置き、拱璧の以て駟馬に先だつ有りと雖も、坐して此の道を進むるに如かず。古の此の道を貴ぶ所以の者は何ぞ。求めて以て得、罪有るも以て免ると曰わずや。故に天下の貴と為る。
-
老子・第11章三十輻は一轂を共にす、其の無に当たりて、車の用有り。埴を埏ねて以て器と為す、其の無に当たりて、器の用有り。戸牖を鑿ちて以て室と為す、其の無に当たりて、室の用有り。故に有の以て利を為すは、無の以て用を為せばなり。
-
『宋名臣言行録』後集巻二・富弼邵伯溫曰く、公虜に使いして功甚だ偉なるも、而れども毎に自ら以て功と爲さず。青州を知りて飢民四十餘萬を活かすに至りては、則ち毎に自ら之を言いて曰く、中書を作ること二十四考に過ぐと。
-
『管子』國蓄玉は禺氏に起こり、金は汝漢に起こり、珠は赤野に起こる。東西南壮、周を距つること七千八百里、水絶え壤斷え、舟車通ずる能わず。先王は其の途の逺く、其の至るの難きが為に、故に用を其の重に託し、珠玉を以て上幣と為し、黄金を以て中幣と為し、刀布を以て下幣と為す。三幣は之を握れば則ち煖かきに補い有るに非ざるなり、之を食らえば則ち飽くに補い有るに非ざるなり、先王は以て財物を守り、以て民事を御して、天下を平らげしなり。今人君籍りて民に求め、令して曰く十日にして具えよとすれば、則ち財物の賈は什に一を去る。令して曰く八日にして具えよとすれば、則ち財物の賈は什に二を去る。令して曰く五日にして具えよとすれば、則ち財物の賈は什に半を去る。朝に令して夕べに具えよとすれば、則ち財物の賈は什に九を去る。先王は其の然るを知る、故に萬民に求めずして、號令に籍りしなり。
-
『新序』刺奢第六魯の孟獻子晉に聘す。宣子之に觴すること三たび徙るも、鐘石の懸移らずして具わる。獻子曰く、富めるかな家や、と。宣子曰く、子の家孰れか我が家と富めるか、と。獻子曰く、吾が家は甚だ貧し。惟だ二士有るのみ。顏回と曰い、茲無靈なる者なり。吾が邦家をして安平ならしめ、百姓和協せしむるは、惟だ此の二者のみ。吾此に盡くせり、と。客出づ。宣子曰く、彼は君子なり。賢を養うを以て富と爲す。我は鄙人なり。鐘石金玉を以て富と爲す、と。孔子曰く、孟獻子の富は、春秋に著す可し、と。
-
『塩鉄論』崇禮篇賢良曰く、管仲は魯を去りて齊に入り、齊は霸たり魯は削らる、其の眾を持して齊に歸せしに非ざるなり。伍子胥は弓を挾みて闔閭に干め、楚を破りて郢に入る、其の兵を負いて吳に適きしに非ざるなり。故に賢者の在る所は國重く、去る所は國輕し。楚に子玉得臣有れば、文公は席を側にし、虞に宮之奇有れば、晉獻は寐ねず。夫れ賢臣の在る所、辟除開塞する者も亦た遠し。故に春秋に曰く、『山に虎豹有れば、葵藿之が為に采られず、國に賢士有れば、邊境之が為に害せられず』と。