管子 / 揆度
管子曰:「人君操本,民不得操末。人君操始,民不得操卒。其在涂者,籍之於衢塞。其在榖者,守之春秋。其在萬物者,立貲而行。故物動則應之。故豫奪其涂則民無遵,君守其流則民失其髙。故守四方之髙下,國無游賈,貴賤相當,此謂國衡。以利相守,則數歸於君矣。」
新字:管子曰:「人君操本,民不得操末。人君操始,民不得操卒。其在涂者,籍之於衢塞。其在榖者,守之春秋。其在万物者,立貲而行。故物動則応之。故予奪其涂則民無遵,君守其流則民失其高。故守四方之高下,国無游賈,貴賤相当,此謂国衡。以利相守,則数帰於君矣。」
書き下し
管子曰く、「人君本を操れば、民は末を操るを得ず。人君始めを操れば、民は卒わりを操るを得ず。其の涂に在る者は、之を衢塞に籍る。其の榖に在る者は、之を春秋に守る。其の萬物に在る者は、貲を立てて行う。故に物動けば則ち之に應ず。故に豫め其の涂を奪えば則ち民に遵る無く、君其の流れを守れば則ち民は其の髙きを失う。故に四方の髙下を守れば、國に游賈無く、貴賤相い當たる、此れを國衡と謂う。利を以て相い守らば、則ち數は君に歸せん」と。
現代語訳
管子が言った。主がもとを握れば、民は末を握れない。主が始めを握れば、民は終わりを握れない。道の上にあるものは、四つ辻や関所で押さえる。穀物にあるものは、春と秋で押さえる。その他の万物にあるものは、値を定めて行う。だから物が動けばそれに応じる。あらかじめその道を押さえてしまえば民には従うべき筋がなくなり、君がその流れを押さえれば民は高値を失う。だから四方の高い安いを見ていれば、国に渡り歩く商人はいなくなり、高い安いが釣り合う。これを国の釣り合いという。利によって互いに守れば、数え方は君のもとに帰る。
解説
もとと始めを上が握れば、下は末と終わりを握れない。裏を返せば、上が末しか握っていなければ、もとは下にあるということです。道にあるものは関所で、穀物は春と秋で、その他は値を決めて押さえる。四方の高安を見ていれば渡り歩く商人がいなくなり、高い安いが釣り合う。これを国の釣り合いと呼んでいます。
この章句が説くこと
人君本を操れば民は末を操るを得ず其の榖に在る者は之を春秋に守る君其の流れを守れば則ち民は其の高きを失う四方の高下を守れば国に游賈無く貴賤相い当たるもと末
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