管子 / 山權數
桓公問於管子曰:「請問國制。」管子對曰:「國無制,地有量。」桓公曰:「何謂國無制、地有量?」管子對曰:「髙田十石,間田五石,庸田三石,其餘皆屬諸荒田。地量百畆一夫之力也。粟賈一,粟賈十,粟賈三十,粟賈百。其在流筴者,百畆從中千畆之筴也。然則百乗從千乗也,千乗從萬乗也。故地無量,國無筴。」桓公曰:「善。」「今欲為大國,大國欲為天下,不通權筴,其無能者矣!」桓公曰:「今行權奈何?」管子對曰:「君通於廣狹之數,不以狹畏廣;通於輕重之數,不以少畏多。此國筴之大者也。」
新字:桓公問於管子曰:「請問国制。」管子対曰:「国無制,地有量。」桓公曰:「何謂国無制、地有量?」管子対曰:「高田十石,間田五石,庸田三石,其余皆属諸荒田。地量百畆一夫之力也。粟賈一,粟賈十,粟賈三十,粟賈百。其在流筴者,百畆従中千畆之筴也。然則百乗従千乗也,千乗従万乗也。故地無量,国無筴。」桓公曰:「善。」「今欲為大国,大国欲為天下,不通権筴,其無能者矣!」桓公曰:「今行権奈何?」管子対曰:「君通於広狭之数,不以狭畏広;通於軽重之数,不以少畏多。此国筴之大者也。」
書き下し
桓公管子に問いて曰く、「請う國制を問う」と。管子對えて曰く、「國に制無く、地に量有り」と。桓公曰く、「何をか國に制無く、地に量有りと謂う」と。管子對えて曰く、「髙田は十石、間田は五石、庸田は三石、其の餘は皆な諸を荒田に屬す。地の量は百畆にして一夫の力なり。粟の賈は一、粟の賈は十、粟の賈は三十、粟の賈は百。其の流筴に在る者は、百畆にして中千畆の筴に從うなり。然らば則ち百乗は千乗に從い、千乗は萬乗に從うなり。故に地に量無ければ、國に筴無し」と。桓公曰く、「善し」と。「今大國と為らんと欲し、大國は天下と為らんと欲するに、權筴に通ぜざれば、其れ能くする者無からんかな」と。桓公曰く、「今權を行うこと奈何」と。管子對えて曰く、「君廣狹の數に通ずれば、狹を以て廣を畏れず。輕重の數に通ずれば、少を以て多を畏れず。此れ國筴の大なる者なり」と。
現代語訳
桓公が管子に問うた。国の制について聞きたい。管子が答えた。国に制はなく、土地に量があります。桓公が言った。国に制がなく土地に量がある、とはどういうことか。管子が答えた。高台の田は十石、中ほどの田は五石、並の田は三石、その他はみな荒れ田に属します。土地の量は、百畝が一人分の力です。粟の値は一のときもあり、十のときもあり、三十のときもあり、百のときもある。値の流れのなかに置けば、百畝が千畝分の働きに従うこともある。とすれば百乗の国が千乗の国に従い、千乗の国が万乗の国に従うことになります。だから土地に量がなければ、国に手立てはありません。桓公が言った。よい。いま大国になろうとし、大国は天下を取ろうとする。持ち札と手立てに通じていなければ、できる者はいないだろうな。桓公が言った。では持ち札をどう使うのか。管子が答えた。君が広い狭いの数え方に通じていれば、狭いからといって広いのを恐れません。値の上げ下げの数え方に通じていれば、少ないからといって多いのを恐れません。これが国の手立ての大きなところです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』經說下見ると見ざるとは離る。一と二とは相い盈たさず。廣と循と堅白となり。舉げて重からざるは箴と與にせず、力の任に非ざるなり。握る者の倍を為すは、智の任に非ざるなり。耳目の若し。異。木と夜と孰れか長き。智と粟と孰れか多き。爵と親と行と賈と、四者孰れか貴き。麋と霍と孰れか髙き。麋と霍と孰れか霍なる。虭と瑟と孰れか瑟なる。偏。倶に一にして變ずる無し。假。假は必ず非なり、而る後に假なり。狗の霍を假るは、猶お霍を氏とするがごときなり。物。或いは之を傷るは、然るなり。之を見るは、智なり。之を吉するは、智らしむるなり。疑。蓬、務を為せば則ち士なり。牛廬を為る者、夏、寒きは、蓬なり。之を舉ぐれば則ち輕く、之を廢すれば則ち重きは、力有るに非ざるなり。沛、削に従うは、巧に非ざるなり。石と羽との若きは、楯なり。鬬う者の敝るるや、飲酒を以てす。曰中を以てするが若し。是れ智る可からざるなり、愚なり。智なるか、已を以て然りと為すか。愚なり。
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『学問のすゝめ』十二編・人の品行は高尚ならざるべからざるの論・事物の有様を比較して上流に向かいしからばすなわち、人の見識を高尚にして、その品行を提起するの法いかがすべきや。その要訣は事物の有様を比較して上流に向かい、みずから満足することなきの一事にあり。ただし有様を比較するとはただ一事一物を比較するにあらず、この一体の有様と、かの一体の有様とを並べて、双方の得失を残らず察せざるべからず。譬えば今、少年の生徒、酒色に溺るるの沙汰もなくして謹慎勉強すれば、父兄・長老に咎めらるることなく、あるいは得意の色をなすべきに似たれども、その得色はただ他の無頼生に比較してなすべき得色のみ。謹慎勉強は人類の常なり、これを賞するに足らず、人生の約束は別にまた高きものなかるべからず。広く古今の人物を計え、誰に比較して誰の功業に等しきものをなさばこれに満足すべきや。必ず上流の人物に向かわざるべからず。あるいは我に一得あるも彼に二得あるときは、我はその一得に安んずるの理なし。いわんや後進は先進に優るべき約束なれば、古を空しゅうして比較すべき人物なきにおいてをや。今人の職分は大にして重しと言うべし。
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『学問のすゝめ』十二編・人の品行は高尚ならざるべからざるの論・盲人に向かいて誇るがごとししかるに今わずかに謹慎勉強の一事をもって人類生涯の事となすべきや。思わざるのはなはだしきものなり。人として酒色に溺るる者はこれを非常の怪物と言うべきのみ。この怪物に比較して満足する者は、これを譬えば双眼を具するをもって得意となし、盲人に向かいて誇るがごとし。いたずらに愚を表するに足るのみ。ゆえに酒色云々の談をなして、あるいはこれを論破し、あるいはこれを是非するの間は、到底諸論の賤しきものと言わざるを得ず。人の品行少しく進むときはこれらの醜談はすでにすでに経過し了して、言に発するも人に厭わるるに至るべきはずなり。
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『学問のすゝめ』五編・明治七年一月一日の詞・望洋の歎を免れず今や外国の交際にわかに開け、国内の事務一としてこれに関せざるものなし。事々物々みな外国に比較して処置せざるべからざるの勢いに至り、古来わが国人の力にてわずかに達し得たる文明の有様をもって、西洋諸国の有様に比すれば、ただに三舎を譲るのみならず、これに倣わんとしてあるいは望洋の歎を免れず、ますますわが独立の薄弱なるを覚ゆるなり。

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