管子 / 海王
桓公問於管子曰:「吾欲藉於臺雉,何如?」管子對曰:「此毁成也。」「吾欲藉於樹木。」管子對曰:「此伐生也。」「吾欲藉於六畜。」管子對曰:「此殺生也。」「吾欲藉於人,何如?」管子對曰:「此隱情也。」桓公曰:「然則吾何以為國?」管子對曰:「唯官山海為可耳。」桓公曰:「何謂官山海?」管子對曰:「海王之國,謹正鹽莢桓公曰:「何謂正鹽莢管子對曰:「十口之家十人食鹽,百口之家百人食鹽。終月,大男食鹽五升少半,大女食鹽三升少半,吾子食鹽二升少半。此其大厯也。
新字:桓公問於管子曰:「吾欲藉於台雉,何如?」管子対曰:「此毀成也。」「吾欲藉於樹木。」管子対曰:「此伐生也。」「吾欲藉於六畜。」管子対曰:「此殺生也。」「吾欲藉於人,何如?」管子対曰:「此隠情也。」桓公曰:「然則吾何以為国?」管子対曰:「唯官山海為可耳。」桓公曰:「何謂官山海?」管子対曰:「海王之国,謹正塩莢桓公曰:「何謂正塩莢管子対曰:「十口之家十人食塩,百口之家百人食塩。終月,大男食塩五升少半,大女食塩三升少半,吾子食塩二升少半。此其大歴也。
書き下し
桓公管子に問いて曰く、「吾れ臺雉に藉らんと欲す、何如」と。管子對えて曰く、「此れ成れるを毁つなり」と。「吾れ樹木に藉らんと欲す」。管子對えて曰く、「此れ生を伐るなり」と。「吾れ六畜に藉らんと欲す」。管子對えて曰く、「此れ生を殺すなり」と。「吾れ人に藉らんと欲す、何如」と。管子對えて曰く、「此れ情を隱すなり」と。桓公曰く、「然らば則ち吾れ何を以て國を為めん」と。管子對えて曰く、「唯だ山海を官するのみ可なるのみ」と。桓公曰く、「何をか山海を官すと謂う」と。管子對えて曰く、「海王の國は、謹んで鹽莢を正す」と。桓公曰く、「何をか鹽莢を正すと謂う」と。管子對えて曰く、「十口の家は十人鹽を食らい、百口の家は百人鹽を食らう。月を終うるに、大男は鹽を食らうこと五升と少半、大女は鹽を食らうこと三升と少半、吾子は鹽を食らうこと二升と少半。此れ其の大厯なり。
現代語訳
桓公が管子に問うた。私は城壁や物見に税をかけたい。どうか。管子が答えた。それは出来上がったものを壊すことです。私は樹木にかけたい。管子が答えた。それは生きているものを伐ることです。私は六畜にかけたい。管子が答えた。それは生きているものを殺すことです。私は人にかけたい。どうか。管子が答えた。それは人に本音を隠させることです。桓公が言った。ではいったい何によって国を治めるのか。管子が答えた。ただ山と海を官が握る、それだけでよいのです。桓公が言った。山と海を官が握るとは何か。管子が答えた。海を持つ王の国は、慎んで塩の割り当てを正します。桓公が言った。塩の割り当てを正すとは何か。管子が答えた。十人の家では十人が塩を食べ、百人の家では百人が塩を食べます。ひと月で、大人の男は塩を五升と少し、大人の女は三升と少し、子どもは二升と少し食べる。これがおおよその見積もりです。
解説
この章句が説くこと
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