管子 / 形勢解
明主之治天下也,必用聖人而後天下治。婦人之求夫家也,必用媒而後家事成。故治天下而不用聖人,則天下乖亂而民不親也。求夫家而不用媒,則醜恥而人不信也。故曰:「自媒之女,醜而不信。」明主者,人未之見而有親心焉者,有使民親之之道也,故其位安而民往之。故曰:「未之見而親焉,可以往矣。」堯、舜,古之明主也,天下推之而不倦,譽之而不厭久逺而不忘者,有使民不忘之道也,故其位安而民來之。故曰:「久而不忘焉,可以來矣。」
新字:明主之治天下也,必用聖人而後天下治。婦人之求夫家也,必用媒而後家事成。故治天下而不用聖人,則天下乖乱而民不親也。求夫家而不用媒,則醜恥而人不信也。故曰:「自媒之女,醜而不信。」明主者,人未之見而有親心焉者,有使民親之之道也,故其位安而民往之。故曰:「未之見而親焉,可以往矣。」堯、舜,古之明主也,天下推之而不倦,誉之而不厭久遠而不忘者,有使民不忘之道也,故其位安而民来之。故曰:「久而不忘焉,可以来矣。」
書き下し
明主の天下を治むるや、必ず聖人を用いて而る後に天下治まる。婦人の夫家を求むるや、必ず媒を用いて而る後に家事成る。故に天下を治めて聖人を用いざれば、則ち天下乖亂して民親しまざるなり。夫家を求めて媒を用いざれば、則ち醜恥にして人信ぜざるなり。故に曰く、「自ら媒する女は、醜くして信ぜられず」と。明主なる者は、人未だ之を見ざるに親しむ心有る者は、民をして之に親しましむるの道有ればなり、故に其の位安くして民之に往く。故に曰く、「未だ之を見ずして親しむは、以て往く可し」と。堯・舜は、古の明主なり。天下之を推して倦まず、之を譽めて厭かず、久しく逺くして忘れざるは、民をして忘れざらしむるの道有ればなり、故に其の位安くして民之に來たる。故に曰く、「久しくして忘れざるは、以て來たる可し」と。
現代語訳
明主が天下を治めるときは、必ず聖人を用いてはじめて天下が治まる。女が嫁ぎ先を求めるときは、必ず仲立ちを用いてはじめて家のことが整う。だから天下を治めるのに聖人を用いなければ、天下は食い違い乱れて民は親しまない。嫁ぎ先を求めるのに仲立ちを用いなければ、恥となって人は信じない。だから、自分で仲立ちをする女は、醜くて信じられない、という。明主とは、人がまだ会っていないのに親しむ心を持つ相手であり、それは民に親しませる道があるからで、だから位は安らかで民はそこへ行く。だから、まだ会っていないのに親しめるなら、行ってよい、という。堯と舜は昔の明主である。天下が推しても倦まず、褒めても飽きず、長く遠くなっても忘れないのは、民に忘れさせない道があるからで、だから位は安らかで民が来る。だから、久しくして忘れないなら、来てよい、という。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『童子問』卷上問ふ、易知易行・万世不易の理の、実に至極為ることは、既に命を聞くことを得たり。然れども心中猶ほ未だ釈然たること能はず。願はくは易く暁りやすきの語を以て、申ねて諭を垂れよと。曰く、人の外に道無く、道の外に人無し。人を以て人の道を行ふ、何の難知難行か之れ有らん。夫れ人の霊を以てすと雖も、然れども羽ある者の翔り、鱗ある者の潜るが若くなること能はざる者は、其の性異なればなり。堯の服を服し、堯の行ひを行ひ、堯の言を誦するに於ては、則ち復た甚だ難き者無し。其の道同じければなり。故に孟子曰く、夫れ道は一のみと。若し夫れ人倫を外にして道を求むる者は、猶ほ風を捕へ影を捉ふるがごとく、必ず得べからざるなり。故に道を知る者は、必ず之を邇きに求む。其の道を以て高しと為し、遠しと為し、企て及ぶべからずと為す者は、皆道の本然に非ず、自ら惑ふの致す所なり。
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『弁名』理氣人欲包犠氏網罟を為る、蓋し諸を離に取る、神農氏耒耜を為る、蓋し諸を益に取るが如し。易は本と象を取りて器を作るの義有り。故に爾か云ふ。形而上は、器未だ形を成さざる以前、唯だ易の道有るのみを謂ふ。其の形を成すの後に至りて、始めて其の器有り。皆器を制するを主として之を言ふ。下文遂に曰く、「化して之を裁する、之を変と謂ふ。推して之を行ふ、之を通と謂ふ。挙げて之を天下の民に措く、之を事業と謂ふ」と。是れ皆易を賛するの言なり。道器変通事業は、皆易を以て之を言ふのみ。上章に「戸を闔づる之を坤と謂ひ、戸を闢く之を乾と謂ふ。一たび闔ぢ一たび闢く之を変と謂ひ、往来窮まらざる之を通と謂ふ。見はるる乃ち之を象と謂ひ、形はるる乃ち之を器と謂ふ。制して之を用ふる之を法と謂ひ、利用出入して民咸之を用ふる之を神と謂ふ」と曰ふが如きも、是れ又た道器を以て対言せず。其の義以て見るべきのみ。豈に大謬に非ずや。
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『慎思録』巻之四術者の陋なり。陰陽を指して道と為すは、猶ほ天地を指して道と為し、聖人を指して道と為すがごとし。此れ道の在る所を以て言ふ。其の実、天地陰陽は即ち是れ道の存する所にして、還た是れ道中に在る所の物なり。蓋し道を以て主と為して之を言へば、則ち天地万物は皆是れ道中の物なり。天地万物を以て主と為して之を言へば、則ち道は天地万物の中に在りて、之が主為る者なり。陰陽の如きは、則ち又天地万物の比に非ず。同異離合を以て之を言ふべからず。故に易に陰陽を以て道を言ふは、此を以てなり。
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『弁名』理氣人欲仁斎先生曰く、「道は行ふ所を以て言ふ、活字なり。理は存する所を以て言ふ、死字なり。聖人は道を見ること実なり、故に其の理を説くや活なり。老氏は道を見ること虚なり、故に其の理を説くや死なり」と。又た曰く、「道は本と活字、其の生生化化の妙を形容する所以なり。理の字の若きは本と死字、玉に従ひ里に従ふ、玉石の文理を謂ふ。以て事物の条理を形容すべくして、以て天地生生化化の妙を形容するに足らず」と。此等の議論、皆痴人の夢を説くが如し。
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『弁名』道小人の道長ずと曰ひ、戎狄の道と曰ふ者有り。皆其の由る所を以て俗を成し、自ら一道有るに似たり。故に之を言ふ。善人の道と曰ひ、父の道を改むること無しと曰ふ者有り。亦た其の由る所を言ふのみ。必ずしも先王の道ならず。凡そ其の意此を以て道と為して之に由る者なり。是の道や何ぞ以て臧しとするに足らんと曰ふ者有り。詩書礼楽は、皆先王の道なり。故に一言半句と雖も亦た称して道と為すのみ。
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『慎思録』巻之三聖人の道は、本自ら分明なり。故に夫婦の愚も、以て与り知るべし。本自ら簡易なり。故に夫婦の不肖も、以て能く行ふべし。然れども世に之を知り之を行ふ者鮮きは、何ぞや。蓋し教無く習無きに因るなり。

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