管子 / 形勢解
民之從有道也,如飢之先食也,如寒之先衣也,如暑之先隂也。故有道則民歸之,無道則民去之。故曰:「道往者其人莫來,道來者其人莫往。」道者,所以變化身而之正理者也。故道在身,則言自順,行自正,事君自忠,事父自孝,遇人自理。故曰:「道之所設,身之化也。」天之道,滿而不溢,盛而不衰。明主法象天道,故貴而不驕,富而不奢,行理而不惰,故能長守貴富,久有天下而不失也。故曰:「持滿者與天。」明主,救天下之禍、安天下之危者也。夫救禍安危者,必待萬民之為用也,而後能為之。故曰:「安危者與人。」
新字:民之従有道也,如飢之先食也,如寒之先衣也,如暑之先陰也。故有道則民帰之,無道則民去之。故曰:「道往者其人莫来,道来者其人莫往。」道者,所以変化身而之正理者也。故道在身,則言自順,行自正,事君自忠,事父自孝,遇人自理。故曰:「道之所設,身之化也。」天之道,満而不溢,盛而不衰。明主法象天道,故貴而不驕,富而不奢,行理而不惰,故能長守貴富,久有天下而不失也。故曰:「持満者与天。」明主,救天下之禍、安天下之危者也。夫救禍安危者,必待万民之為用也,而後能為之。故曰:「安危者与人。」
書き下し
民の有道に從うや、飢えの食を先とするが如く、寒えの衣を先とするが如く、暑さの隂を先とするが如し。故に道有れば則ち民之に歸し、道無ければ則ち民之を去る。故に曰く、「道往く者は其の人來たる莫く、道來たる者は其の人往く莫し」と。道なる者は、身を變化して正理に之く所以の者なり。故に道身に在れば、則ち言自ら順い、行自ら正しく、君に事えて自ら忠、父に事えて自ら孝、人に遇して自ら理あり。故に曰く、「道の設くる所は、身の化なり」と。天の道は、滿ちて溢れず、盛んにして衰えず。明主は天道を法象す、故に貴くして驕らず、富みて奢らず、理を行いて惰らず、故に能く長く貴富を守り、久しく天下を有ちて失わざるなり。故に曰く、「滿を持する者は天と與にす」と。明主は、天下の禍を救い、天下の危を安んずる者なり。夫れ禍を救い危を安んずる者は、必ず萬民の用を為すを待ちて、而る後に能く之を為す。故に曰く、「危を安んずる者は人と與にす」と。
現代語訳
民が道ある者に従うのは、飢えた者が食を先にするようで、凍える者が衣を先にするようで、暑い者が日陰を先にするようである。だから道があれば民は寄り、道がなければ民は去る。だから、道が去ったところに人は来ず、道が来たところから人は去らない、という。道は身を変えて正しい理へ向かわせるものである。だから道が身にあれば、言葉はおのずと従い、行いはおのずと正しく、君に仕えればおのずと忠、父に仕えればおのずと孝、人に会えばおのずと筋が通る。だから、道が置かれるところは身が変わる、という。天の道は、満ちても溢れず、盛んでも衰えない。明主は天の道にならう。だから貴くても驕らず、富んでも奢らず、理を行って怠らない。だから長く貴さと富を守り、久しく天下を保って失わない。だから、満ちたものを保つ者は天とともにある、という。明主は天下の禍を救い、天下の危うさを安んじる者である。禍を救い危うさを安んじるには、必ず民が用に立ってくれるのを待って、そのうえでできる。だから、危うさを安んじる者は人とともにある、という。
解説
この章句が説くこと
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孫子・形篇善く兵を用うる者は、道を修めて法を保つ。故に能く勝敗の政を為す。
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