管子 / 形勢解
聖人之求事也,先論其理義,計其可否。故義則求之,不義則止。可則求之,不可則止。故其所得事者,常為身寳。小人之求事也,不論其理義,不計其可否。不義亦求之,不可亦求之。故其所得事者,未嘗為賴也。故曰:「必得之事不足賴也。」聖人之諾已也,先論其理義,計其可否。義則諾,不義則已。可則諾,不可則巳。故其諾未嘗不信也。小人不義亦諾,不可亦諾。言而必諾,故其諾未必信也。故曰:「必諾之言不足信也。」
新字:聖人之求事也,先論其理義,計其可否。故義則求之,不義則止。可則求之,不可則止。故其所得事者,常為身宝。小人之求事也,不論其理義,不計其可否。不義亦求之,不可亦求之。故其所得事者,未嘗為頼也。故曰:「必得之事不足頼也。」聖人之諾已也,先論其理義,計其可否。義則諾,不義則已。可則諾,不可則巳。故其諾未嘗不信也。小人不義亦諾,不可亦諾。言而必諾,故其諾未必信也。故曰:「必諾之言不足信也。」
書き下し
聖人の事を求むるや、先ず其の理義を論じ、其の可否を計る。故に義なれば則ち之を求め、不義なれば則ち止む。可なれば則ち之を求め、不可なれば則ち止む。故に其の得る所の事なる者は、常に身の寳と為る。小人の事を求むるや、其の理義を論ぜず、其の可否を計らず。不義なるも亦た之を求め、不可なるも亦た之を求む。故に其の得る所の事なる者は、未だ嘗て賴と為らざるなり。故に曰く、「必ず得るの事は賴むに足らざるなり」と。聖人の諾するや、先ず其の理義を論じ、其の可否を計る。義なれば則ち諾し、不義なれば則ち已む。可なれば則ち諾し、不可なれば則ち巳む。故に其の諾は未だ嘗て信ならずんばあらざるなり。小人は不義なるも亦た諾し、不可なるも亦た諾す。言えば而ち必ず諾す、故に其の諾未だ必ずしも信ならざるなり。故に曰く、「必ず諾するの言は信ずるに足らざるなり」と。
現代語訳
聖人が事を求めるときは、まずその理と義を論じ、できるかどうかを計る。義であれば求め、義でなければやめる。できるなら求め、できないならやめる。だから得た事は、いつも自分の宝になる。小人が事を求めるときは、理と義を論じず、できるかどうかも計らない。義でなくても求め、できなくても求める。だから得た事は、いまだかつて頼りになったことがない。だから、必ず得られる事は頼りにならない、という。聖人が引き受けるときも、まず理と義を論じ、できるかどうかを計る。義であれば引き受け、義でなければやめる。できるなら引き受け、できないならやめる。だからその引き受けは、いまだかつて信でなかったことがない。小人は義でなくても引き受け、できなくても引き受ける。言われれば必ず引き受ける。だからその引き受けは、必ずしも信ではない。だから、必ず引き受ける言葉は信じるに足りない、という。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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言志四録・言志耋録 第九十六条 便宜も義の中に在り凡そ事を為すには、当に先づ其の義の如何を謀るべし。便宜を謀ること勿れ。便宜も亦義の中に在り。
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『五常訓』巻之四・義一子曰く、君子の天下に於けるや、適も無く、莫も無し、義と之れ与に比ふ。君子は天下一切のことにおいて、専らに主としてすべき事も無く、又すべからざる事もなし。是万の事、善悪一定せず、唯時の宜しき道にしたがふべし。一事を以ていはば、世に出でて必仕ふるを専らにせず、是無適なり。仕へまじき時は仕へずして、世をのがるべし。又必仕へざるを以てむねとせず。是無莫なり。仕ふべき時は仕へて、道を行ふべし。然れば、仕ふるも仕へざるも、唯義とともにしたがふべし。仕へて宜しき時は仕へ、仕ふまじき時は仕へず。是義にしたがふなり。たとへば道を行くに、早きがよしといふは適なり。早きを悪しきとするは莫なり。早く行きてよき時は早く、しづかに行きてよき時はしづかなるは、義とともにしたがふ也。人に物を与へんと定むるは適なり。与へまじきと定むるは莫なり。与ふべき時は与へ、与ふまじき時は与へず。是義とともにしたがふなり。万のこと、皆是を以ておして知るべし。義は事の主なり。万事の善悪一定せず、唯義にまかせて行ふべし。是善なり。
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『驢鞍橋』卷下夜話に曰く、義なくして修行成るへからず。勇猛精進も義より起る也。生死の細を切るも義也、抑より終り迄、入る物は義也。専ら義を强く守るべき也。
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『弁名』義孟子曰く、「羞悪の心は義の端なり」と。又曰く、「人皆為さざる所有り、之を其の為す所に達すれば、義勝げて用ふべからず」と。是れ裁割断制の説の本づく所なり。夫れ人皆羞悪の心有り。是の故に匹夫匹婦自ら溝瀆に経れて以て死す。是れ豈に義ならんや。且つ人の為さざる所の者、豈に皆義に合はんや。孟子にして此を以て義と為さば、亦た妄なるのみ。故に孟子の意必ず爾らざるを知るなり。古の君子は、一事を行ひ、一謀を出だすに、諸を其の臆に取らずして、必ず諸を古に稽へ、先王の礼と義とを援きて以て之を断ず。是を以て古人論説する所有れば、必ず詩書を引く者は、斯の道を以てなり。
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言志四録・言志耋録 第九十七条 義は宜なり義は宜なり。道義を以て本と為す。接物の義有り、臨時の義有り、守常の義有り、応変の義有り。之を統ぶる者は道義なり。
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『五常訓』巻之四・義一中庸曰く、義は宜なり、賢を尊ぶを大なりと為す。朱子章句に云く、宜とは事理を分別して、各宜しき所有るなり。周子も、宜を義と曰ふ。釈名曰く、義は宜なり、事物を裁制して、宜しきに合はしむるなり。諸説皆宜しきを以て義とす。宜しきとは、万事万物の品にしたがひ、其理をわきまへて、相応するを云ふ。朱子は、義は心の制、事の宜といへり。制とは、たちわかつ意。裁判するなり。心の制とは、心中に善悪をわかつ所の理あるを云ふ。義の心にあるは、利刀の如し。物来れば、刀を以てたてば二となる。善悪を決断する事、かくの如し。是心の制なり。義の体とす。事之宜とは、諸事に相応して、其理の宜しきにしたがふを云ふ。是義の用とす。事之宜は、心の制ありて、善悪をたちわかちて後の事なり。人を愛するは仁なり。

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