管子 / 形勢解
民,利之則來,害之則去。民之從利也,如水之走下,於四方無擇也。故欲來民者,先起其利,雖不召而民自至。設其所惡,雖召之而民不來也。故曰:「召逺者使無為焉。」莅民如父母,則民親愛之。道之純厚,遇之有實,雖不言曰吾親民,而民親矣。莅民如仇讎,則民疎之。道之不厚,遇之無實,詐偽並起,雖言曰吾親民,民不親也。故曰:「親近者言無事焉。」明主之使逺者來而近者親也,為之在心,所謂夜行者,心行也。能心行德,則天下莫能與之爭矣。故曰:「唯夜行者獨有之乎。」
新字:民,利之則来,害之則去。民之従利也,如水之走下,於四方無択也。故欲来民者,先起其利,雖不召而民自至。設其所悪,雖召之而民不来也。故曰:「召遠者使無為焉。」莅民如父母,則民親愛之。道之純厚,遇之有実,雖不言曰吾親民,而民親矣。莅民如仇讎,則民疎之。道之不厚,遇之無実,詐偽並起,雖言曰吾親民,民不親也。故曰:「親近者言無事焉。」明主之使遠者来而近者親也,為之在心,所謂夜行者,心行也。能心行徳,則天下莫能与之争矣。故曰:「唯夜行者独有之乎。」
書き下し
民は、之を利すれば則ち來たり、之を害すれば則ち去る。民の利に從うや、水の下に走るが如く、四方に擇ぶ無きなり。故に民を來たさんと欲する者は、先ず其の利を起こせば、召さずと雖も民自ら至る。其の惡む所を設くれば、之を召すと雖も民來たらざるなり。故に曰く、「逺きを召す者は為す無からしむ」と。民に莅むこと父母の如くなれば、則ち民之を親愛す。之を道びくこと純厚にして、之に遇するに實有れば、吾民に親しむと言わずと雖も、民親しむ。民に莅むこと仇讎の如くなれば、則ち民之を疎んず。之を道びくこと厚からず、之に遇するに實無く、詐偽並び起これば、吾民に親しむと言うと雖も、民親しまざるなり。故に曰く、「近きに親しむ者は言に事無からしむ」と。明主の逺き者をして來たらしめ近き者をして親しましむるや、之を為すこと心に在り。所謂夜行なる者は、心行なり。能く心に德を行えば、則ち天下能く之と爭う莫し。故に曰く、「唯だ夜行する者のみ獨り之を有つか」と。
現代語訳
民は利があれば来て、害があれば去る。民が利に従うのは、水が低いほうへ走るようで、四方どちらを選ぶこともない。だから民を来させたい者は、先にその利を起こしておけば、呼ばなくても民は自分から来る。憎むものを置いておけば、呼んでも民は来ない。だから、遠くを招く者は何もしないでいる、という。民に臨むのが父母のようであれば、民は親しみ愛する。導き方が厚く、遇するのに実があれば、私は民に親しむと言わなくても、民は親しむ。民に臨むのが仇のようであれば、民は遠ざかる。導き方が厚くなく、遇するのに実がなく、偽りが並び起これば、私は民に親しむと言っても、民は親しまない。だから、近くに親しむ者は言葉を要らなくする、という。明主が遠くの者を来させ近くの者を親しませるのは、心のうちで行っている。いわゆる夜に行くとは、心で行うことである。心で徳を行えれば、天下に争える者はいない。だから、ただ夜に行く者だけがそれを持つのか、という。