管子 / 形勢解
主之所以為功者,富强也。故國富兵强,則諸侯服其政,鄰敵畏其威。雖不用寶幣事諸侯,諸侯不敢犯也。主之所以為罪者,貧弱也。故國貧兵弱,戰則不勝,守則不固。雖出名器重寶以事鄰敵,不免於死亡之患。故曰:「主功有素,寶幣奚為!」羿,古之善射者也,調和其弓矢而堅守之,其操弓也,審其髙下,有必中之道,故能多發而多中。明主猶羿也,平和其法,審其廢置而堅守之,有必治之道,故能多舉而多當。道者,羿之所以必中也,主之所以必治也。射者,弓發矢也。故曰:「羿之道,非射也。」
新字:主之所以為功者,富强也。故国富兵强,則諸侯服其政,鄰敵畏其威。雖不用宝幣事諸侯,諸侯不敢犯也。主之所以為罪者,貧弱也。故国貧兵弱,戦則不勝,守則不固。雖出名器重宝以事鄰敵,不免於死亡之患。故曰:「主功有素,宝幣奚為!」羿,古之善射者也,調和其弓矢而堅守之,其操弓也,審其高下,有必中之道,故能多発而多中。明主猶羿也,平和其法,審其廃置而堅守之,有必治之道,故能多舉而多当。道者,羿之所以必中也,主之所以必治也。射者,弓発矢也。故曰:「羿之道,非射也。」
書き下し
主の功と為す所以の者は、富强なり。故に國富み兵强ければ、則ち諸侯其の政に服し、鄰敵其の威を畏る。寶幣を用いて諸侯に事えずと雖も、諸侯敢えて犯さざるなり。主の罪と為す所以の者は、貧弱なり。故に國貧しく兵弱ければ、戰えば則ち勝たず、守れば則ち固からず。名器重寶を出だして以て鄰敵に事うと雖も、死亡の患いを免れず。故に曰く、「主の功に素有り、寶幣奚為れぞ」と。羿は、古の善く射る者なり、其の弓矢を調和して堅く之を守り、其の弓を操るや、其の髙下を審らかにし、必中の道有り、故に能く多く發して多く中つ。明主は猶お羿のごときなり、其の法を平和にし、其の廢置を審らかにして堅く之を守り、必治の道有り、故に能く多く舉げて多く當たる。道なる者は、羿の必ず中つる所以なり、主の必ず治むる所以なり。射なる者は、弓もて矢を發するなり。故に曰く、「羿の道は、射に非ざるなり」と。
現代語訳
主が功とするもとは、富と強さである。だから国が富み兵が強ければ、諸侯はその政に服し、隣の敵はその威を畏れる。宝や幣を使って諸侯に仕えなくても、諸侯はあえて犯さない。主が罪となるもとは、貧しさと弱さである。だから国が貧しく兵が弱ければ、戦っても勝てず、守っても固くない。名のある器や重い宝を出して隣の敵に仕えても、滅びの患いを免れない。だから、主の功にはもとがある、宝や幣が何になろう、という。羿は昔のよく射る人である。弓と矢を調え、堅くそれを守り、弓を操るときは高低をはっきりさせ、必ず中てる道を持っていた。だから多く放って多く中てられた。明主も羿のようである。法を穏やかに整え、廃するものと置くものをはっきりさせて堅く守り、必ず治まる道を持つ。だから多く挙げて多く当たる。道こそが、羿が必ず中てるもとであり、主が必ず治めるもとである。射るというのは、弓で矢を放つことにすぎない。だから、羿の道は射ることではない、という。
解説
この章句が説くこと
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