管子 / 禁藏
夫法之制民也,猶陶之於埴,冶之於金也。故審利害之所在,民之去就,如火之於燥濕,水之於髙下。夫民之所生,衣與食也。食之所生,水與土也。所以富民有要,食民有率。率三十畝而足於卒歳,歳兼美惡,畝取一石,則人有三十石。果蓏素食當十石,糠粃六畜當十石,則人有五十石。布帛麻絲,旁入奇利,未在其中也。故國有餘藏,民有餘食。夫叙鈞者,所以多寡也。權衡者,所以視重輕也。戸籍田結者,所以知貧富之不訾也。故善者必先知其田,乃知其人。田備然後民可足也。
新字:夫法之制民也,猶陶之於埴,冶之於金也。故審利害之所在,民之去就,如火之於燥湿,水之於高下。夫民之所生,衣与食也。食之所生,水与土也。所以富民有要,食民有率。率三十畝而足於卒歳,歳兼美悪,畝取一石,則人有三十石。果蓏素食当十石,糠粃六畜当十石,則人有五十石。布帛麻糸,旁入奇利,未在其中也。故国有余蔵,民有余食。夫叙鈞者,所以多寡也。権衡者,所以視重軽也。戸籍田結者,所以知貧富之不訾也。故善者必先知其田,乃知其人。田備然後民可足也。
書き下し
夫れ法の民を制するや、猶お陶の埴に於ける、冶の金に於けるがごときなり。故に利害の在る所を審らかにすれば、民の去就は、火の燥濕に於ける、水の髙下に於けるが如し。夫れ民の生くる所は、衣と食となり。食の生ずる所は、水と土となり。民を富ます所以に要有り、民を食わすに率有り。率は三十畝にして卒歳に足る。歳は美惡を兼ね、畝ごとに一石を取れば、則ち人に三十石有り。果蓏素食は十石に當たり、糠粃六畜は十石に當たれば、則ち人に五十石有り。布帛麻絲、旁入の奇利は、未だ其の中に在らざるなり。故に國に餘藏有り、民に餘食有り。夫れ叙鈞なる者は、多寡する所以なり。權衡なる者は、輕重を視る所以なり。戸籍田結なる者は、貧富の訾らざるを知る所以なり。故に善き者は必ず先ず其の田を知り、乃ち其の人を知る。田備わりて然る後に民足る可きなり。
現代語訳
法が民を制するのは、陶工が粘土に対し、鋳物師が金属に対するようなものである。だから利害のありかをはっきりさせれば、民の去るか就くかは、火が乾いたところと湿ったところに向かうように、水が高いところから低いところへ行くようになる。民が生きるもとは衣と食である。食が生まれるもとは水と土である。民を富ませるには要があり、民を食わせるには率がある。率は三十畝で一年をまかなえる。年には出来の良し悪しがあるが、一畝から一石を取れば一人あたり三十石になる。果物や野菜で十石にあたり、糠や六畜で十石にあたるから、一人あたり五十石になる。布や絹や麻や糸、そのほかの臨時の利は、まだこの中に入っていない。だから国に余った蓄えがあり、民に余った食がある。並べて均すのは多い少ないを見るためであり、秤は軽い重いを見るためであり、戸籍と田の帳簿は、貧富が計り知れなくなっていないかを知るためである。だからうまくやる者は、必ずまずその田を知り、そのうえでその人を知る。田が備わって、そのうえで民は足りる。
解説
この章句が説くこと
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