管子 / 禁藏
故國多私勇者其兵弱,吏多私智者其法亂,民多私利者其國貧。故德莫若博厚,使民死之。賞罰莫若必成,使民信之。夫善牧民者,非以城郭也,輔之以什,司之以伍。伍無非其人,人無非其里,里無非其家。故奔亡者無所匿,遷徙者無所容。不求而約,不召而來,故民無流亡之意,吏無備追之憂。故主政可往於民,民心可繋於主。
新字:故国多私勇者其兵弱,吏多私智者其法乱,民多私利者其国貧。故徳莫若博厚,使民死之。賞罰莫若必成,使民信之。夫善牧民者,非以城郭也,輔之以什,司之以伍。伍無非其人,人無非其里,里無非其家。故奔亡者無所匿,遷徙者無所容。不求而約,不召而来,故民無流亡之意,吏無備追之憂。故主政可往於民,民心可繋於主。
書き下し
故に國に私勇多き者は其の兵弱く、吏に私智多き者は其の法亂れ、民に私利多き者は其の國貧し。故に德は博厚に若くは莫し、民をして之に死せしむ。賞罰は必ず成るに若くは莫し、民をして之を信ぜしむ。夫れ善く民を牧する者は、城郭を以てするに非ざるなり、之を輔くるに什を以てし、之を司るに伍を以てす。伍に其の人に非ざる無く、人に其の里に非ざる無く、里に其の家に非ざる無し。故に奔亡する者匿るる所無く、遷徙する者容るる所無し。求めずして約まり、召さずして來たる、故に民に流亡の意無く、吏に備追の憂い無し。故に主政は民に往く可く、民心は主に繋がる可し。
現代語訳
国に私の勇を持つ者が多ければ兵は弱く、役人に私の智を持つ者が多ければ法は乱れ、民に私の利を持つ者が多ければ国は貧しい。だから徳は広く厚いのにまさるものがなく、民はそのために死ぬ。賞罰は必ず行われるのにまさるものがなく、民はそれを信じる。うまく民を牧する者は、城壁によるのではない。什によって支え、伍によって司る。伍にその人でない者はなく、人にその里でない者はなく、里にその家でない者はない。だから逃げ出す者は隠れる場所がなく、移り住む者は受け入れられる場所がない。求めなくてもまとまり、呼ばなくても来る。だから民に流れ出る気持ちがなく、役人に追いかける憂いがない。だから主の政は民のところへ行き渡り、民の心は主につながる。
解説
この章句が説くこと
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