管子 / 禁藏
襍篇四禁藏於胷脅之内,而禍避於萬里之外,能以此制彼者,唯能以已知人者也。夫冬日之不濫,非愛冰也;夏日之不煬,非愛火也,為不適於身、便於體也。夫明王不美宫室,非喜小也;不聽鐘鼔非惡樂也,為其傷於本事而妨於教也。故先慎於己而後彼,官亦慎内而後外,民亦務本而去末。居民於其所樂,事之於其所利,賞之於其所善,罰之於其所惡,信之於其所餘財,功之於其所無誅。於下無誅者,必誅者也。有誅者,不必誅者也。以有刑至無刑者,其法易而民全。以無刑至有刑者,其刑煩而姦多。
新字:襍篇四禁蔵於胸脅之内,而禍避於万里之外,能以此制彼者,唯能以已知人者也。夫冬日之不濫,非愛冰也;夏日之不煬,非愛火也,為不適於身、便於体也。夫明王不美宮室,非喜小也;不聴鐘鼓非悪楽也,為其傷於本事而妨於教也。故先慎於己而後彼,官亦慎内而後外,民亦務本而去末。居民於其所楽,事之於其所利,賞之於其所善,罰之於其所悪,信之於其所余財,功之於其所無誅。於下無誅者,必誅者也。有誅者,不必誅者也。以有刑至無刑者,其法易而民全。以無刑至有刑者,其刑煩而姦多。
書き下し
襍篇四。禁は胷脅の内に藏まりて、禍は萬里の外に避く。能く此を以て彼を制する者は、唯だ能く己を以て人を知る者なり。夫れ冬日の濫せざるは、冰を愛しむに非ざるなり。夏日の煬らざるは、火を愛しむに非ざるなり、身に適せず體に便ならざるが為なり。夫れ明王の宫室を美にせざるは、小を喜ぶに非ざるなり。鐘鼔を聽かざるは、樂を惡むに非ざるなり、其の本事を傷り教に妨ぐるが為なり。故に先ず己に愼みて後に彼にし、官も亦た内に愼みて後に外にし、民も亦た本に務めて末を去る。民を其の樂しむ所に居らしめ、之を其の利する所に事とせしめ、之を其の善とする所に賞し、之を其の惡む所に罰し、之を其の餘財有る所に信じ、之を其の誅無き所に功とす。下に誅無き者は、必ず誅する者なり。誅有る者は、必ずしも誅せざる者なり。刑有るを以て刑無きに至る者は、其の法易くして民全し。刑無きを以て刑有るに至る者は、其の刑煩わしくして姦多し。
現代語訳
〔雑篇の四〕禁じることは胸のうちに蔵まっていて、禍は万里の外で避けられる。これによってあれを制することができるのは、自分によって人を知れる者だけである。冬の日に水浸しにしないのは、氷を惜しむからではない。夏の日に火を焚かないのは、火を惜しむからではない。身に合わず体に楽でないからである。明王が宮室を美しくしないのは、小さいものが好きだからではない。鐘や太鼓を聴かないのは、楽を憎むからではない。それが本の仕事を損ない教えを妨げるからである。だからまず自分に慎んでから相手に向かい、官もまず内を慎んでから外に向かい、民も本に務めて末を去る。民をその楽しむところに置き、その利のあるところを仕事にさせ、その善いとするところで賞し、その憎むところで罰し、その余りある財のところで信じ、その誅のないところを功とする。下に誅がないというのは、必ず誅する者だからである。誅がある者は、必ずしも誅しない者である。刑があるところから刑のないところへ至れば、法はやさしく民は全うされる。刑のないところから刑のあるところへ至れば、刑は煩わしくよこしまが多い。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『韓非子』內儲說上七術第三十殷の法、灰を街に棄つる者を刑す。...仲尼曰く、「...重罰は、人の悪む所なり。而して灰を棄つる無きは、人の易しとする所なり。人をして之の易しとする所を行いて、悪む所に離る無からしむるは、此れ治の道なり。」
-
『韓非子』內儲說上七術第三十「今邯鄲の魏を去るや市より遠く、臣を議する者は三人に過ぐ、願はくは王之を察せよ」と。龐恭、邯鄲より反るも、竟に見ゆることを得ず。二。董閼于、趙の上地の守と為る。石邑の山中を行くに、澗深く、峭しきこと墻の如く、深さ百仞なり。因りて其の旁郷の左右に問ひて曰く、「人嘗て此に入る者有るか」と。対へて曰く、「有る無し」と。曰く、「嬰児・癡聾・狂悖の人も嘗て此に入る者有るか」と。対へて曰く、「有る無し」と。「牛馬犬彘も嘗て此に入る者有るか」と。対へて曰く、「有る無し」と。董閼于喟然として太息して曰く、「吾能く治めん。吾をして之を治むること赦す無からしめ、猶ほ澗に入れば必ず死するがごとくならしめば、則ち人敢へて之を犯す莫からん、何為れぞ治まらざらん」と。子産、鄭に相たり。病みて将に死せんとし、游吉に謂ひて曰く、「我死するの後、子必ず鄭に用ひられん。必ず厳を以て人に莅め。夫れ火は形厳なり、故に人灼かるること鮮なし。水は形懦なり、人多く溺る。子必ず子の形を厳にせよ、子の懦に溺れしむること無かれ」と。子産死す。游吉、形を厳にするを肯んぜず。鄭の少年相率ゐて盗を為し、雚沢に処り、将に遂に以て鄭の禍ひと為らんとす。游吉、車騎を率ゐて与に戦ひ、一日一夜にして、僅かに能く之に克つ。游吉喟然として歎じて曰く、「吾蚤く夫子の教へを行はば、必ず悔いて此に至らざりしならん」と。魯の哀公、仲尼に問ひて曰く、「春秋の記に曰く、『冬十二月、霣霜菽を殺さず』と。何為れぞ此を記すや」と。仲尼対へて曰く、「此れ以て殺すべくして殺さざるを言ふなり。夫れ宜しく殺すべくして殺さざれば、桃李冬に実る。天道を失へば、草木すら猶ほ之を犯干す、而るを況んや人君に於てをや」と。
-
『韓非子』內儲說上七術第三十一に曰く、殷の法、灰を公道に棄つる者は其の手を断つ。子貢曰く、「灰を棄つるの罪は軽く、手を断つの罰は重し。古人何ぞ太だ毅なるや」と。曰く、「灰を棄つる無きは易き所なり。手を断つは悪む所なり。易き所を行ひて、悪む所に関はらざる、古人以て易しと為す、故に之を行ふ」と。中山の相楽池、車百乗を以て趙に使ひし、其の客の智能有る者を選びて以て将行と為すも、中道にして乱る。楽池曰く、「吾公を以て智有りと為して、公をして将行為らしむ。今中道にして乱るるは何ぞや」と。客因りて辞して去りて曰く、「公は治を知らず。威は以て人を服するに足り、利は以て之を勧むるに足る有り、故に能く之を治む。今臣は君の少客なり。夫れ少を以て長を正し、賤を以て貴を治めて、其の利害の柄を操りて以て之を制することを得ず、此れ乱るる所以なり。嘗試みに臣をして、彼の善き者は我能く以て卿相と為し、彼の善からざる者は我其の首を斬ることを得しめば、何の故にか治まらざらん」と。公孫鞅の法や軽罪を重くす。重罪は人の犯し難き所なり。而して小過は人の去り易き所なり。人をして其の易き所を去らしめて、其の難き所に離る無からしむる、此れ治の道なり。夫れ小過生ぜず、大罪至らず、是れ人罪無くして乱生ぜざるなり。一に曰く、公孫鞅曰く、「刑を行ふに其の軽き者を重くすれば、軽き者至らず、重き者来らず、是を刑を以て刑を去ると謂ふ」と。荊南の地、麗水の中に金を生じ、人多く窃かに金を采る。采金の禁、得れば輒ち市に辜磔す。甚だ衆く、其の水を壅離するも、人の金を窃むこと止まず。大罪は市に辜磔するより重きは莫きも、猶ほ止まざるは、必ずしも得られざればなり。故に今此に「汝に天下を予へて汝の身を殺さん」と曰ふもの有らば、庸人も為さざるなり。夫れ天下を有つは大利なり、猶ほ為さざるは、必ず死するを知ればなり。故に必ずしも得られざれば、則ち辜磔すと雖も、金を窃むこと止まず。必ず死するを知れば、則ち天下を有つとも為さざるなり。
-
『韓非子』內儲說上七術第三十哀公曰く、「善し」と。仲尼曰く、「事急にして、賞するに及ばず。火を救ふ者尽く之を賞せば、則ち国以て人に賞するに足らず。請ふ徒だ罰を行はん」と。哀公曰く、「善し」と。是に於て仲尼乃ち令を下して曰く、「火を救はざる者は、降北の罪に比し、獣を逐ふ者は、入禁の罪に比す」と。令下りて未だ遍からずして火已に救はる。成驩、斉王に謂ひて曰く、「王は太だ仁にして、太だ人に忍びず」と。王曰く、「太だ仁にして、太だ人に忍びざるは、善名に非ずや」と。対へて曰く、「此れ人臣の善なり、人主の行ふ所に非ざるなり。夫れ人臣は必ず仁にして而る後に与に謀るべく、人に忍びずして而る後に近づくべきなり。仁ならざれば則ち与に謀るべからず、人に忍べば則ち近づくべからざるなり」と。王曰く、「然らば則ち寡人安くにか太だ仁なる、安くにか人に忍びざる」と。対へて曰く、「王は薛公に太だ仁にして、諸田に太だ忍びず。薛公に太だ仁なれば、則ち大臣重き無く、諸田に太だ忍びざれば、則ち父兄法を犯す。大臣重き無ければ、則ち兵外に弱く、父兄法を犯せば、則ち政内に乱る。兵外に弱く、政内に乱るる、此れ亡国の本なり」と。
-
『韓非子』五蠹第四十九故に十仞の城、樓季も踰ゆる能はざる者は、峭なればなり。千仞の山、跛牂も牧し易き者は、夷なればなり。故に明王は其の法を峭にして其の刑を嚴にするなり。布帛尋常なるも、庸人釋てず。鑠金百溢なるも、盜跖掇はず。必ずしも害あらざれば則ち尋常を釋てず、必ず手を害すれば則ち百溢を掇はず、故に明主は其の誅を必にす。是を以て賞は厚くして信なるに如くは莫し、民をして之を利とせしむ。罰は重くして必なるに如くは莫し、民をして之を畏れしむ。法は一にして固なるに如くは莫し、民をして之を知らしむ。故に主賞を施して遷さず、誅を行ひて赦す無く、譽其の賞を輔け、毁其の罰に随へば、則ち賢・不肖俱に其の力を盡くす。今則ち然らず、其の功有るを以て之を爵して、其の士官を卑しむ。其の耕作するを以て之を賞して、其の家業を少なしとす。其の收められざるを以て之を外にして、其の世を輕んずるを高しとす。其の禁を犯すを以て之を罪して、其の勇有るを多とす。毁譽・賞罰の加はる所の者、相與に悖繆す、故に法禁壞れて民愈々亂る。今兄弟侵さるれば、必ず攻むる者は、廉なり。知友辱めらるれば、随ひて仇する者は、貞なり。廉貞の行成りて、君上の法犯さる。人主貞廉の行を尊びて、禁を犯すの罪を忘る、故に民勇を程りて、吏勝つ能はざるなり。力を事とせずして衣食するは、則ち之を能と謂ひ、戰功あらずして尊きは、則ち之を賢と謂ふ。賢能の行成りて、兵弱く地荒る。人主賢能の行を說びて、兵弱地荒の禍を忘るれば、則ち私行立ちて公利滅ぶ。儒は文を以て法を亂し、俠は武を以て禁を犯す、而るに人主兼ねて之を禮す、此れ亂るる所以なり。夫れ法を離るる者は罪せらるるに、諸先生は文學を以て取られ、禁を犯す者は誅せらるるに、羣俠は私劒を以て養はる。故に法の非とする所は、君の取る所、吏の誅する所は、上の養ふ所なり。
-
『韓非子』內儲說上七術第三十過ち有るも罪せず、功無くして賞を受くれば、亡ぶと雖も、亦可ならずや」と。斉国厚葬を好み、布帛は衣衾に尽き、材木は棺椁に尽く。桓公之を患ひ、以て管仲に告げて曰く、「布帛尽くれば則ち以て蔽ひと為す無く、材木尽くれば則ち以て守備と為す無し。而るに人の厚葬すること休まず、之を禁ずること奈何」と。管仲対へて曰く、「凡そ人の為す有るや、之を名とするに非ざれば、則ち之を利とするなり」と。是に於て乃ち令を下して曰く、「棺椁度に過ぐる者は其の尸を戮し、夫の喪に当たる者を罪す」と。夫れ死を戮すれば名無く、喪に当たる者を罪すれば利無し。人何の故にか之を為さんや。衛の嗣君の時、胥靡有りて魏に逃れ、因りて襄王の后の為に病を治す。衛の嗣君之を聞き、人をして五十金を以て之を買はんことを請はしむ。五たび反るも魏王予へず、乃ち左氏を以て之に易へんとす。群臣左右諫めて曰く、「夫れ一都を以て胥靡を買ふは、可ならんや」と。王曰く、「子の知る所に非ざるなり。夫れ治に小無く、乱に大無し。法立たずして誅必ならずんば、十の左氏有りと雖も益無きなり。法立ちて誅必ならば、十の左氏を失ふと雖も害無きなり」と。魏王之を聞きて曰く、「主治めんと欲して之に聴かざるは、不祥なり」と。因りて載せて往き、徒だ之を献ず。三。斉王、文子に問ひて曰く、「国を治むること何如」と。対へて曰く、「夫れ賞罰の道為る、利器なり。君固く之を握り、以て人に示すべからず。臣の如き者の若きは、猶ほ獣鹿のごときなり、唯だ薦草にのみ就く」と。越王、大夫文種に問ひて曰く、「吾呉を伐たんと欲す、可ならんか」と。対へて曰く、「可なり。吾が賞は厚くして信、罰は厳にして必なり。君之を知らんと欲せば、何ぞ試みに宮室を焚かざる」と。是に於て遂に宮室を焚く。人之を救ふ莫し。乃ち令を下して曰く、「人の火を救ひて死する者は、死敵の賞に比し、火を救ひて死せざる者は、勝敵の賞に比し、火を救はざる者は、降北の罪に比す」と。人の其の体に塗り濡衣を被て火に走る者、左に三千人、右に三千人。此れ必勝の勢ひを知るなり。呉起、魏の武侯の為に西河の守と為る。秦に小亭有りて境に臨む。呉起之を攻めんと欲す。去らずんば、則ち甚だ田者を害す。之を去らんとすれば、則ち以て甲兵を徴するに足らず。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る