管子 / 小問
桓公曰:「善。勿已,如是又何以行之?」管仲對曰:「質信極忠,嚴以有禮,愼此四者,所以行之也。」桓公曰:「請聞其説。」管仲對曰:「信也者,民信之。忠也者,民懷之。嚴也者,民畏之。禮也者,民美之。語曰:『澤命不渝,信也。非其所欲,勿施於人,仁也。堅中外正,嚴也。質信以讓,禮也。』」
新字:桓公曰:「善。勿已,如是又何以行之?」管仲対曰:「質信極忠,厳以有礼,慎此四者,所以行之也。」桓公曰:「請聞其説。」管仲対曰:「信也者,民信之。忠也者,民懐之。厳也者,民畏之。礼也者,民美之。語曰:『沢命不渝,信也。非其所欲,勿施於人,仁也。堅中外正,厳也。質信以譲,礼也。』」
書き下し
桓公曰く、「善し。已む勿くんば、是くの如くして又た何を以て之を行わん」と。管仲對えて曰く、「質信極忠、嚴にして禮有り、此の四つの者を愼むは、之を行う所以なり」と。桓公曰く、「請う其の説を聞かん」と。管仲對えて曰く、「信なる者は、民之を信ず。忠なる者は、民之を懷く。嚴なる者は、民之を畏る。禮なる者は、民之を美とす。語に曰く、命を澤して渝えざるは、信なり。其の欲せざる所は、人に施す勿きは、仁なり。中を堅くし外を正しくするは、嚴なり。質信にして以て讓るは、禮なりと」と。
現代語訳
桓公が言った。よい。どうしてもというなら、それをどうやって行うのか。管仲が答えた。まことと信、忠を尽くすこと、厳かでいて礼があること。この四つを慎むのが、行うやり方です。桓公が言った。その説明を聞きたい。管仲が答えた。信があれば民は信じます。忠があれば民は慕います。厳かであれば民は畏れます。礼があれば民はそれを美しいと思います。ことわざにいう。命じたことをうるおして変えないのが信である。自分が望まないことを人に施さないのが仁である。内を堅くし外を正しくするのが厳である。まことと信をもって譲るのが礼である、と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『弁名』忠信程子曰く、「己を尽くす之を忠と謂ひ、実を以てする之を信と謂ふ」と。此れ彼の「忠信を主とす」等の言を見て、徒らに人の為に謀り人と言ふ者を以て之を言ふは狭きに嫌ありと謂ふ。故に是の解を作す。亦た先王の道は民を安んずる為に之を設くるを知らずして、動もすれば諸を己に求むる故のみ。且つ己を尽くすは未だ以て忠の字の義を尽くすに足らず。今人の宋儒の学を為す者は、人の為に謀りて聴かれざれば、則ち多く皆舎て去りて、復た之を顧みず。我既に我が心を尽くせりと曰ふ。是れ忠の字に懇到周悉の意有るを知らざる故なり。実を以てするも亦た信の字の義に非ず。程子は動もすれば諸を心に求む、故に是の解を作すのみ。古は止だ言語の上に就きて之を言ふ。豈に必ずしも諸を心に求めんや。
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『慎思録』巻之一朱子曰く、君臣は是れ義合なり。世の人便ち苟且を得易し。故に此に於て忠を説く。是れ足らざる処に就きて説くと。胡敬斎曰く、朱子曰く、忠は是れ臣の足らざる所の処に就きて之を言ふと。此れ記者の誤りなり。蓋し忠は是れ臣職の当に為すべきものなりと。篤信曰く、父子兄弟は是れ天合なり。故に庸人と雖も、欺偽有ること鮮し。君臣朋友は是れ人合なり。故に苟且自欺に至り易し。故に此に於て忠を説き信を説く。蓋し足らざる所に就きて之を言ふ。且つ夫婦の如きは、固より和順を欲す。然れども其の親密なる、褻狎に至り易し。故に此に於て別を説く。又足らざる所に就きて之を言ふ。況んや君臣は勢位懸隔す。故に其の情意疎遠なり。疎遠なる者は欺罔に至り易し。是れ臣の常に足らざる処にして、便ち是れ臣の当に尽くすべき所なり。苟も足らざる所に就きて説かずして、徒らに忠は是れ臣職の当に為すべきものと謂はば、則ち忠は是れ実心にして、凡そ五品の道、皆闕くべからず。何ぞ之を以て独り君に事ふるに施すべけんや。朱子の所謂忠は是れ臣の足らざる所の処に就きて之を言ふの説は、未だ以て非と為すべからず。胡氏の説、反りて是ならざるを覚ゆ。
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『徂徠先生答問書』卷中一孝行の儀御尋に候。成程聖人の教には孝弟忠信を中庸の徳行と名付け、是を貴賤によらず人たる者の勤め行ふべき事といたし申候。君子の道も、是を土台にいたし不申候得ば、高きにのぼるに楷梯なきがごとくに御座候。舜の契を司徒の官になされ、五倫を教へしめ給ふも、孔子の民に中庸の徳なき事を御なげき被成候も同意にて御座候。孝は父母によくつかへ候事、弟は兄長によくつかへ候事、忠は君につかゆるにても、又たれにても、人のためになし候事をば我身の事のごとくに如在なく身にかけ申候事に候。信と申候は、朋友其外あまねくの人にまじはり申候には言語を慎み偽り違候事なきやうに致し候を申候。是にて父母兄弟君臣朋友の道こもり申候故、五倫と申候も、中庸と申候も、孝弟忠信と申候も、ひとつ事にて御座候。
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論語・学而篇曾子曰く、「吾日に三たび吾が身を省みる。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしか。」
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『五常訓』巻之五・信一信は説文に曰く、誠なり、人に从ひ言に从ふ、会意。徐曰く、文に於て人の言を信と為す、言ひて信ならざれば人為るに非ざるなり。信の字、人偏に言の字を書くは、六書においては、会意に属す。偏旁の意を以て作りし字なり。いふ意は、人の言に誠あらざるは、人にあらず。故に人の言は、必信あるべしと云ふ意なり。五常においては、心にまことあるを云ふ。口に偽をいはざるも、其内にあり。仁義礼智の、いつはりなき真実なるを、信と云ふ。信なければ、仁義礼智にあらず。仁義礼智四徳の外に、又信あるにあらず。親によくつかふるは孝なれど、名聞のためにつとめ、又親の寵愛をねがひて務むるは、孝にあらず。君によく仕ふるは忠なれど、君の寵をねがひ、官禄をむさぼりて、奉公をつとむるは、忠にあらず。
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