管子 / 封禪
桓公曰:「寡人北伐山戎,過孤竹。西伐大夏,涉流沙,束馬懸車,上卑耳之山。南伐至召陵,登熊耳山,以望江、漢。兵車之㑹三,而乘車之㑹六。九合諸侯,一匡天下,諸侯莫違我。昔三代受命,亦何以異乎?」於是管仲睹桓公不可窮以辭,因設之以事,曰:「古之封禪,鄗上之黍,北里之禾,所以為盛。江、淮之間,一茅三脊,所以為藉也。東海致比目之魚,西海致比翼之鳥,然後物有不召而自至者十有五焉。今鳯凰麒麟不來,嘉榖不生,而蓬蒿藜莠茂,鴟梟數至,而欲封禪,毋乃不可乎!」於是桓公乃止。
新字:桓公曰:「寡人北伐山戎,過孤竹。西伐大夏,渉流沙,束馬懸車,上卑耳之山。南伐至召陵,登熊耳山,以望江、漢。兵車之会三,而乗車之会六。九合諸侯,一匡天下,諸侯莫違我。昔三代受命,亦何以異乎?」於是管仲睹桓公不可窮以辞,因設之以事,曰:「古之封禅,鄗上之黍,北里之禾,所以為盛。江、淮之間,一茅三脊,所以為藉也。東海致比目之魚,西海致比翼之鳥,然後物有不召而自至者十有五焉。今鳯凰麒麟不来,嘉榖不生,而蓬蒿藜莠茂,鴟梟数至,而欲封禅,毋乃不可乎!」於是桓公乃止。
書き下し
桓公曰く、「寡人北のかた山戎を伐ち、孤竹を過ぐ。西のかた大夏を伐ち、流沙を涉り、馬を束ね車を懸けて、卑耳の山に上る。南のかた伐ちて召陵に至り、熊耳山に登りて、以て江・漢を望む。兵車の會三、而して乘車の會六。九たび諸侯を合わせ、一たび天下を匡し、諸侯我に違う莫し。昔三代命を受くるも、亦た何を以て異ならんや」と。是に於いて管仲は桓公の辭を以て窮む可からざるを睹て、因りて之に設くるに事を以てして曰く、「古の封禪は、鄗上の黍、北里の禾、以て盛と為す所なり。江・淮の間、一茅三脊、以て藉と為す所なり。東海は比目の魚を致し、西海は比翼の鳥を致し、然る後に物の召さずして自ら至る者十有五なり。今鳯凰麒麟來たらず、嘉榖生ぜずして、蓬蒿藜莠茂り、鴟梟數々至るに、而も封禪せんと欲す、乃ち不可なる毋からんや」と。是に於いて桓公乃ち止む。
現代語訳
桓公が言った。私は北へ山戎を討ち、孤竹を通り過ぎた。西へ大夏を討ち、流砂を渡り、馬をつなぎ車を吊るして卑耳の山に登った。南へ討って召陵に至り、熊耳山に登って長江と漢水を望んだ。兵車での会合が三度、乗車での会合が六度。九度諸侯を集め、一度天下を正し、諸侯で私に逆らう者はいない。昔の三代が天命を受けたのと、どこが違うのか。そこで管仲は、桓公が言葉では止められないと見て、代わりに具体的な物ごとを並べて言った。昔の封禅では、鄗のほとりの黍と北里の禾を供え物とした。長江と淮水のあいだの、一本の茎に三つの筋がある茅を敷物とした。東の海は比目の魚を差し出し、西の海は比翼の鳥を差し出し、そのうえで、召さずにおのずと至る物が十五あった。いま鳳凰も麒麟も来ず、よい穀物は生えず、雑草ばかりが茂り、悪い鳥がたびたび来ている。それなのに封禅をしようという。よくないことではありませんか。そこで桓公はやめた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『管子』小匡桓公管仲を召して謀る。管仲對えて曰く、「君と為りて君ならず、臣と為りて臣ならざるは、亂の本なり」と。桓公曰く、「余乘車の會三たび、兵車の會六たび、九たび諸侯を合わせ、一たび天下を匡す。北は孤竹・山戎・穢貉に至り、秦夏を拘え、西は流沙・西虞に至り、南は吳・越・巴・䍧牱・不庾・雕題・黑齒、荊夷の國に至るまで、寡人の命に違う莫し、而して中國我を卑しむ。昔三代の命を受くる者、其れ此に異ならんや」と。管子對えて曰く、「夫れ鳳皇鸞鳥降らずして、鷹隼鴟梟豐かなり。庶神格らず、守は兆さず、粟を握りて筮する者屢々中たる。時雨甘露降らずして、飄風暴雨數々臻る。五穀蕃らず、六畜育たずして、蓬蒿藜並び興る。夫れ鳳皇の文は、德義を前にし、日昌を後にす。昔人の命を受くる者は、龍假り、河は圖を出だし、雒は書を出だし、地は乘黄を出だす。今三祥未だ見わるる有らず、受命と曰うと雖も、乃ち諸を失う無からんや」と。
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『管子』封禪襍篇一。桓公既に霸たり、諸侯を葵丘に會して、封禪せんと欲す。管仲曰く、「古者泰山に封じ梁父に禪する者七十二家、而して夷吾の記す所の者十有二なり。昔無懷氏は泰山に封じ、云云に禪す。虙羲は泰山に封じ、云云に禪す。神農は泰山に封じ、云云に禪す。炎帝は泰山に封じ、云云に禪す。黄帝は泰山に封じ、亭亭に禪す。顓頊は泰山に封じ、云云に禪す。帝嚳は泰山に封じ、云云に禪す。堯は泰山に封じ、云云に禪す。舜は泰山に封じ、云云に禪す。禹は泰山に封じ、會稽に禪す。湯は泰山に封じ、云云に禪す。周の成王は泰山に封じ、社首に禪す。皆な命を受けて然る後に封禪するを得たり」と。
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『管子』戒桓公蹵然として逡遁す。管仲曰く、「昔先王の人を理むるや、蓋し人に勞を患うる有れども、上之を使うに時を以てすれば、則ち人勞を患えざるなり。人飢えを患うれども、上薄く斂むれば、則ち人飢えを患えず。人死を患うれども、上刑を寛くすれば、則ち人死を患えず。此くの如くして德有るに近づきて色有るに遠ざかれば、則ち四封の内君を視ること其れ猶お父母のごとくならんか、四方の外君に歸すること其れ猶お流水のごとくならんか」と。公射を輟め、綏を援きて乘り、自ら御し、管仲を左と為し、隰朋參乘す。朔月三日、二子を里官に進め、再拜頓首して曰く、「孤の二子の言を聞くや、耳聰を加え視明を加う、孤に於いて敢えて獨り之を聽かず、之を先祖に薦む」と。管仲・隰朋再拜頓首して曰く、「君の王たるが如きは、此れ臣の言に非ざるなり、君の教なり」と。是に於いて管仲と桓公と盟誓して令を為して曰く、「老弱は刑する勿かれ、參たび宥して而る後に弊し、關は幾して正せず、市は正して布せず、山林梁澤は時を以て禁發して、正せざるなり」と。草を封じ澤鹽する者の之に歸するや、譬えば市人の若し。三年人を教え、四年賢を選びて以て長と為し、五年始めて車を興し乘を踐む。遂に南のかた楚を伐ち、城に門施す。北のかた山戎を伐ち、冬蔥と戎菽とを出だして之を天下に布く。果たして三たび天子を匡し、而して九たび諸侯を合わす。
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『管子』大匡北州の侯來たる莫し、桓公南州の侯に召陵に遇いて曰く、「狄無道を為し、天子の令を犯し、以て小國を伐つ。天子の故を以て、天の命を敬い、令して以て伐たるるを救う。北州の侯至る莫し、上は天子の令を聽かず、下は諸侯に禮無し、寡人請う北州の侯を誅せん」と。諸侯許諾す。桓公乃ち北のかた令支を伐ち、鳬の山を下し、孤竹を斬り、山戎に遇う。顧みて管仲に問いて曰く、「將に何をか行わん」と。管仲對えて曰く、「君諸侯に教えて民の為に食を聚めしめ、諸侯の兵足らざる者は、君之が發を助けよ、此くの如くんば則ち始めて以て政を加う可し」と。
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『管子』戒桓公明日廩に弋す、管仲・隰朋朝す。公二子を望み、弓を弛め釬を脫して之を迎えて曰く、「今夫の鴻鵠は、春に北し秋に南し、而して其の時を失わず。夫れ唯だ羽翼有りて以て其の意を天下に通ずるか。今孤の天下に意を得ざるは、皆な二子の憂いに非ざるか」と。桓公再び言うも、二子對えず。桓公曰く、「孤既に言えり、二子何ぞ對えざるか」と。管仲對えて曰く、「今夫れ人は勞を患う、而して上使うこと時ならず。人は飢えを患う、而して上重く斂む。人は死を患う、而して上刑を急にす。此くの如くして又た色有るに近づきて德有るに遠ざかれば、鴻鵠の翼有り、大水を濟るに舟楫有るが如しと雖も、其れ將に君を若何せんとする」と。
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『管子』小匡四鄰大いに親しむ。既に其の侵地を反し、其の封疆を正す、地は南は岱陰に至り、西は濟に至り、北は海に至り、東は紀隨に至る、地は方三百六十里。三歳にして治定まり、四歳にして教成り、五歳にして兵出づ、教士三萬人、革車八百乘有り。諸侯多く沈亂して、天子に服せず、是に於いてか桓公東のかた徐州を救い、吳を分かつこと半ば、魯の蔡陵を存し、越の地を割く。南は宋・鄭に據り、楚を征伐し、汝水を濟り、方地を踰え、文山を望み、絲を周室に貢せしめ、成周胙を隆嶽に反し、荊州の諸侯、來たり服せざる莫し。中は晉公を救い、狄王を禽にし、胡貉を敗り、屠何を破りて、騎寇始めて服す。北のかた山戎を伐ち、泠支を制し、孤竹を斬りて、九夷始めて聽く。海濱の諸侯、來たり服せざる莫し。西のかた征し、白狄の地を攘い、遂に西河に至る。舟を方べ柎を投じ、桴に乘りて河を濟る。石沈に至り、車を縣け馬を束ね、大行を踰ゆ。卑耳の貉と、秦夏を拘う。西のかた流沙西虞を服して、秦戎始めて從う。故に兵一たび出でて大功十二。故に東夷・西戎・南蠻・北狄・中諸侯、國として賓服せざる莫し。