管子 / 戒
桓公蹵然逡遁。管仲曰:「昔先王之理人也,蓋人有患勞,而上使之以時,則人不患勞也。人患飢,而上薄斂焉,則人不患飢矣。人患死,而上寛刑焉,則人不患死矣。如此而近有德而逺有色,則四封之内視君其猶父母邪,四方之外歸君其猶流水乎!」公輟射,援綏而乘,自御,管仲為左,隰朋參乘。朔月三日,進二子於里官,再拜頓首,曰:「孤之聞二子之言也,耳加聰而視加明,於孤不敢獨聴之,薦之先祖。」管仲、隰朋再拜頓首,曰:「如君之王也,此非臣之言也,君之敎也。」於是管仲與桓公盟誓為令,曰:「老弱勿刑,參宥而後弊,關幾而不正,市正而不布,山林梁澤以時禁發,而不正也。」草封澤鹽者之歸之也,譬若市人。三年敎人,四年選賢以為長,五年始興車踐乘。遂南伐楚,門施城。北伐山戎,出冬蔥與戎菽布之天下,果三匡天子而九合諸侯。
新字:桓公蹵然逡遁。管仲曰:「昔先王之理人也,蓋人有患労,而上使之以時,則人不患労也。人患飢,而上薄斂焉,則人不患飢矣。人患死,而上寛刑焉,則人不患死矣。如此而近有徳而遠有色,則四封之内視君其猶父母邪,四方之外帰君其猶流水乎!」公輟射,援綏而乗,自御,管仲為左,隰朋参乗。朔月三日,進二子於里官,再拝頓首,曰:「孤之聞二子之言也,耳加聰而視加明,於孤不敢独聴之,薦之先祖。」管仲、隰朋再拝頓首,曰:「如君之王也,此非臣之言也,君之教也。」於是管仲与桓公盟誓為令,曰:「老弱勿刑,参宥而後弊,関幾而不正,市正而不布,山林梁沢以時禁発,而不正也。」草封沢塩者之帰之也,譬若市人。三年教人,四年選賢以為長,五年始興車践乗。遂南伐楚,門施城。北伐山戎,出冬蔥与戎菽布之天下,果三匡天子而九合諸侯。
書き下し
桓公蹵然として逡遁す。管仲曰く、「昔先王の人を理むるや、蓋し人に勞を患うる有れども、上之を使うに時を以てすれば、則ち人勞を患えざるなり。人飢えを患うれども、上薄く斂むれば、則ち人飢えを患えず。人死を患うれども、上刑を寛くすれば、則ち人死を患えず。此くの如くして德有るに近づきて色有るに遠ざかれば、則ち四封の内君を視ること其れ猶お父母のごとくならんか、四方の外君に歸すること其れ猶お流水のごとくならんか」と。公射を輟め、綏を援きて乘り、自ら御し、管仲を左と為し、隰朋參乘す。朔月三日、二子を里官に進め、再拜頓首して曰く、「孤の二子の言を聞くや、耳聰を加え視明を加う、孤に於いて敢えて獨り之を聽かず、之を先祖に薦む」と。管仲・隰朋再拜頓首して曰く、「君の王たるが如きは、此れ臣の言に非ざるなり、君の教なり」と。是に於いて管仲と桓公と盟誓して令を為して曰く、「老弱は刑する勿かれ、參たび宥して而る後に弊し、關は幾して正せず、市は正して布せず、山林梁澤は時を以て禁發して、正せざるなり」と。草を封じ澤鹽する者の之に歸するや、譬えば市人の若し。三年人を教え、四年賢を選びて以て長と為し、五年始めて車を興し乘を踐む。遂に南のかた楚を伐ち、城に門施す。北のかた山戎を伐ち、冬蔥と戎菽とを出だして之を天下に布く。果たして三たび天子を匡し、而して九たび諸侯を合わす。
現代語訳
桓公は身をすくめて後ずさりした。管仲が言った、昔の先王が人を治めたときは、人に労苦の患いがあっても、上が時をわきまえて使えば人は労苦を患いませんでした。人が飢えを患っても、上が薄く取り立てれば人は飢えを患いません。人が死を患っても、上が刑をゆるめれば人は死を患いません。そのうえ徳ある者に近づき色ある者から遠ざかれば、四方の境の内では君を父母のように見、四方の外からは流れる水のように帰してくるでしょう。公は弓を置き、つり紐を取って車に乗り、自分で手綱を握り、管仲を左に、隰朋を陪乗させた。月の初めから三日、二人を里の官に進め、再拝頓首して言った、私は二人の言葉を聞いて、耳がいっそう聡くなり目がいっそう明るくなった。私一人で聴くわけにいかない、これを先祖に申し上げる。管仲と隰朋は再拝頓首して言った、君が王たるのは、臣の言葉によるのではありません、君の教えによるのです。そこで管仲と桓公は盟い誓って令を出した。老人と幼い者は刑さない。三度赦してのち断ずる。関所は調べても課税せず、市場は整えても賦を布かない。山林と川沢は時期を決めて禁じたり開いたりし、課税しない。草地を封じ沢で塩を取る者が帰してくるさまは、市に人が集まるようであった。三年人を教え、四年で賢者を選んで長とし、五年ではじめて車を出して乗り込んだ。そのまま南へ楚を討ち、城に門を設けた。北へ山戎を討ち、冬葱と戎菽を持ち帰って天下に広めた。ついに三度天子を正し、九度諸侯を集めた。
解説
この章句が説くこと
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