管子 / 戒
桓公明日弋在廩,管仲、隰朋朝。公望二子,㢮弓脫釬而迎之,曰:「今夫鴻鵠,春北而秋南,而不失其時。夫唯有羽翼以通其意於天下乎?今孤之不得意於天下,非皆二子之憂也。」桓公再言,二子不對。桓公曰:「孤既言矣,二子何不對乎?」管仲對曰:「今夫人患勞,而上使不時。人患飢,而上重斂焉。人患死,而上急刑焉。如此而又近有色而逺有徳,雖鴻鵠之有翼,濟大水之有舟楫也,其將若君何!」
新字:桓公明日弋在廩,管仲、隰朋朝。公望二子,㢮弓脱釬而迎之,曰:「今夫鴻鵠,春北而秋南,而不失其時。夫唯有羽翼以通其意於天下乎?今孤之不得意於天下,非皆二子之憂也。」桓公再言,二子不対。桓公曰:「孤既言矣,二子何不対乎?」管仲対曰:「今夫人患労,而上使不時。人患飢,而上重斂焉。人患死,而上急刑焉。如此而又近有色而遠有徳,雖鴻鵠之有翼,済大水之有舟楫也,其将若君何!」
書き下し
桓公明日廩に弋す、管仲・隰朋朝す。公二子を望み、弓を弛め釬を脫して之を迎えて曰く、「今夫の鴻鵠は、春に北し秋に南し、而して其の時を失わず。夫れ唯だ羽翼有りて以て其の意を天下に通ずるか。今孤の天下に意を得ざるは、皆な二子の憂いに非ざるか」と。桓公再び言うも、二子對えず。桓公曰く、「孤既に言えり、二子何ぞ對えざるか」と。管仲對えて曰く、「今夫れ人は勞を患う、而して上使うこと時ならず。人は飢えを患う、而して上重く斂む。人は死を患う、而して上刑を急にす。此くの如くして又た色有るに近づきて德有るに遠ざかれば、鴻鵠の翼有り、大水を濟るに舟楫有るが如しと雖も、其れ將に君を若何せんとする」と。
現代語訳
桓公が翌日、倉のあたりで弓を射ていると、管仲と隰朋が参内した。公は二人を見て、弓をゆるめ腕当てを外して迎えて言った、あの鴻鵠は春に北へ行き秋に南へ行き、その時を外さない。羽があるからこそ、その意を天下に通じさせるのだろうか。いま私が天下に意を得ないのは、二人の憂いでもあるのではないか。桓公が二度言っても、二人は答えなかった。桓公が言った、私はもう言った。二人はなぜ答えないのか。管仲が答えた、いま人は労苦を患っているのに、上は使う時をわきまえない。人は飢えを患っているのに、上は重く取り立てる。人は死を患っているのに、上は刑を急にする。そのうえ色ある者に近づき徳ある者から遠ざかっている。鴻鵠に羽があり、大川を渡るのに舟と櫂があるようなものだと言っても、君をどうすることができましょう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『晏子春秋』諫上・景公從畋十八日不返國晏子諫景公、署梁に畋し、十有八日にして返らず。晏子、国より往きて公に見ゆ。至るに比び、衣冠正しからず。衣冠を革めず、遊を望みて馳す。公、晏子を望み見、車を下りて逆え労いて曰く、「夫子、何ぞ遽かなる。国家に故有ること無きか」と。晏子対えて曰く、「亦急ならずや。然りと雖も、嬰、復すること有らんことを願う。国人皆君を以て野に安んじて国に安んぜず、獣を好みて民を悪むと為す。乃ち不可ならざらんや」と。公曰く、「何ぞや。吾、夫婦の獄訟の正しからざるが為ならば、則ち泰士子牛存せり。社稷宗廟の享けざるが為ならば、則ち泰祝子遊存せり。諸侯賓客の之に応ずる莫きが為ならば、則ち行人子羽存せり。田野の辟かれず、倉庫の実たざるが為ならば、則ち申田存せり。国家の余り有り不足あるを聘うが為ならば、則ち吾が子存せり。寡人の五子有るは、猶お心の四支有るがごとし。心に四支有り、故に心は佚を得たり。今、寡人に五子有り、故に寡人は佚を得たり。豈に不可ならんや」と。晏子対えて曰く、「嬰之を聞く、君の言とは異なり。若し乃ち心に四支有りて、心は佚を得ば、則ち可なり。四支をして心無からしめて、十有八日、亦久しからずや」と。公、是に於いて畋を罷めて帰る。
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『春秋左氏伝』荘公十九年 鬻拳の兵諫十九年春、楚子之を禦ぎ、大いに津に敗る。還る。鬻拳納れず。遂に黃を伐ち、黃の師を碏陵に敗る。還りて、湫に及び、疾有り。夏六月庚申、卒す。鬻拳諸を夕室に葬り、亦た自殺す。而して絰皇に葬らる。初め、鬻拳強ひて楚子を諫む。楚子從はず。之に臨むに兵を以てす。懼れて之に從ふ。鬻拳曰く、「吾君を懼れしむるに兵を以てす。罪焉より大なるは莫し」と。遂に自ら刖る。楚人以て大閽と爲し、之を大伯と謂ひ、其の後をして之を掌らしむ。君子曰く、「鬻拳は君を愛すと謂ふべし。諫めて以て自ら刑に納れ、刑せられても猶ほ君を善に納るるを忘れず」と。初め、王姚莊王に嬖せられ、子頹を生む。子頹寵有り、蒍國之が師と爲る。惠王位に即くに及び、蒍國の圃を取りて以て囿と爲す。邊伯の宮王宮に近し、王之を取る。王子禽祝跪と詹父との田を奪ひて、膳夫の秩を收む。故に蒍國・邊伯・石速・詹父・子禽祝跪亂を作し、蘇氏に因る。秋、五大夫子頹を奉じて以て王を伐つ。克たず、溫に出奔す。蘇子子頹を奉じて以て衛に奔る。衛の師・燕の師周を伐つ。冬、子頹を立つ。
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尚書・伊訓臣下匡(ただ)さずんば、其の刑は墨、具(つぶさ)に蒙士に訓(をし)ふ。嗚呼(ああ)、嗣王厥(そ)の身を祗(つつし)み、念へや。聖謨洋洋として、嘉言孔(はなは)だ彰(あき)らかなり。惟れ上帝は常ならず、
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『智囊』善言・簡雍・魏徵先主の時天旱し、私醸を禁ず。吏人家に醸具を索め得、論罰せんと欲す。簡雍先主と游び、男女の道を行くを見て、先主に謂いて曰く、「彼行淫せんと欲す、何を以て縛らざる」と。先主曰く、「何を以て之を知る」と。対えて曰く、「彼其の具有り」と。先主大笑して止む。文徳皇后即ち葬る。太宗苑中に層観を作り、以て昭陵を望み、魏徴を引きて同に升る。徴熟視して曰く、「臣は眊昏にして見る能わず」と。帝指して示す。徴曰く、「此れ昭陵か」と。帝曰く、「然り」と。徴曰く、「臣は陛下の献陵を望むと以為えり。若し昭陵ならば、則ち臣固より之を見る」と。帝泣き、之が為に観を毀つ。
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『春秋左氏伝』桓公十三年 莫敖屈瑕の敗死十三年春、楚の屈瑕羅を伐つ。鬬伯比之を送る。還りて、其の禦に謂ひて曰く、「莫敖必ず敗れん。趾を舉ぐること高し、心固からず」と。遂に楚子に見えて曰く、「必ず師を濟せ」と。楚子焉を辭す。入りて夫人鄧曼に告ぐ。鄧曼曰く、「大夫は其れ眾の謂に非ず。其れ君の小民を撫するに信を以てし、諸司を訓ふるに德を以てし、而して莫敖を威すに刑を以てするを謂ふなり。莫敖は蒲騷の役に狃れ、將に自ら用ゐんとす。必ず羅を小とせん。君若し鎮撫せずんば、其れ備へを設けざらんか。夫れ固より君の眾を訓へて好く之を鎮撫し、諸司を召して之に勸むるに令德を以てし、莫敖を見て諸に天の假易せざるを告げよと謂ふなり。然らずんば、夫れ豈に楚の師の盡く行くを知らざらんや」と。楚子賴人をして之を追はしむ。及ばず。莫敖師に徇へしめて曰く、「諫むる者は刑有り」と。鄢に及び、次を亂して以て濟る。遂に次無く、且つ備へを設けず。羅に及ぶ。羅と盧戎と兩つながら之に軍す。大いに之を敗る。莫敖荒谷に縊れ、群帥冶父に囚へられて以て刑を聽く。楚子曰く、「孤の罪なり」と。皆之を免す。宋多く賂を鄭に責む。鄭命に堪へず。故に紀・魯を以て齊及び宋・衛・燕と戰ふ。戰ふ所を書せざるは、後るればなり。鄭人來りて好を修めんことを請ふ。
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『晏子春秋』諫下・景公登路寢台不終不說晏子諫景公路寝の台に登り、終うる能わずして、陛に息み、忿然として色を作し、説ばず、曰く、「孰か高台を為りて、人を病ましむること之れ甚だしき」と。晏子曰く、「君身に節して高くする勿からんことを欲せば、人をして之を高くせしめて罪する勿れ。今高ければ之に従うに罪を以てし、卑ければ亦た之に従うに罪を以てす。敢えて問う、人をして此の如くならしむるは可ならんか。古者の宮室を為るや、以て生に便なるに足る、以て奢侈と為さず、故に身に節し、民に謂う。夏の衰うるに及びて、其の王桀徳行に背棄し、璿室玉門を作為す。殷の衰うるや、其の王紂傾宮霊台を作為し、卑狭なる者は罪有り、高大なる者は賞有り、是を以て身に及べり。今君は高きも亦た罪有り、卑きも亦た罪有り、夏殷の王より甚だし。民力殫き乏しけれども、罪を免れず。嬰国の流失して、公の享けざるを得んことを恐る」と。公曰く、「善し、寡人自ら知る、誠に財を費やし民を労し、以て功無しと為し、又た従いて之を怨む、是れ寡人の罪なり。夫子の教えに非ざれば、豈に社稷を守るを得んや」と。遂に下り、再拝し、果たして台に登らず。

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