管子 / 內業
凡心之刑,自充自盈,自生自成。其所以失之,必以憂樂喜怒欲利。能去憂樂喜怒欲利,心乃反濟。彼心之情,利安以寧。勿煩勿亂,和乃自成。折折乎如在於側,忽忽乎如將不得,渺乎如窮無極。此稽不逺,日用其德。夫道者,所以充形也,而人不能固。其往不復,其來不舍。謀乎莫聞其音,卒乎乃在於心。冥冥乎不見其形,淫淫乎與我俱生。不見其形,不聞其聲,而序其成,謂之道。
新字:凡心之刑,自充自盈,自生自成。其所以失之,必以憂楽喜怒欲利。能去憂楽喜怒欲利,心乃反済。彼心之情,利安以寧。勿煩勿乱,和乃自成。折折乎如在於側,忽忽乎如将不得,渺乎如窮無極。此稽不遠,日用其徳。夫道者,所以充形也,而人不能固。其往不復,其来不舎。謀乎莫聞其音,卒乎乃在於心。冥冥乎不見其形,淫淫乎与我倶生。不見其形,不聞其声,而序其成,謂之道。
書き下し
凡そ心の刑は、自ら充ち自ら盈ち、自ら生じ自ら成る。其の之を失う所以は、必ず憂樂喜怒欲利を以てす。能く憂樂喜怒欲利を去れば、心乃ち濟に反る。彼の心の情は、安以て寧きを利とす。煩わす勿かれ亂す勿かれ、和乃ち自ら成る。折折乎として側に在るが如く、忽忽乎として將に得ざらんとするが如く、渺乎として窮まりて極まり無きが如し。此れ稽うるに逺からず、日に其の德を用う。夫れ道なる者は、形を充たす所以なり、而して人固くする能わず。其の往くや復らず、其の來たるや舍らず。謀乎として其の音を聞く莫く、卒乎として乃ち心に在り。冥冥乎として其の形を見ず、淫淫乎として我と俱に生ず。其の形を見ず、其の聲を聞かずして、其の成るを序する、之を道と謂う。
現代語訳
心のかたちは、おのずと充ち、おのずと満ち、おのずと生まれ、おのずと成る。それを失うのは、必ず憂いと楽しみと喜びと怒りと欲と利による。憂いと楽しみと喜びと怒りと欲と利を去れれば、心は元のところに戻る。心の情というものは、安らかで静かであることを利とする。煩わせず、乱さなければ、和はおのずと成る。はっきりとそばにあるようであり、ふいに得られなくなりそうであり、はるかに窮まって際限がないようでもある。これは尋ねるのに遠くなく、日ごとにその徳を用いている。道は形を充たすものだが、人はそれを固く保てない。行けば戻らず、来てもとどまらない。ひそやかでその音は聞こえず、ふいに心のうちにある。奥深くてその形は見えず、ゆるやかに広がって私とともに生きている。その形を見ず、その声を聞かずに、それが成っていくのを筋立てる。これを道という。
解説
この章句が説くこと
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