淮南子 / 原道訓
夫心者,五藏之主也,所以制使四支,流行血氣,馳騁於是非之境,而出入於百事之門戶者也。是故不得於心而有經天下之氣,是猶無耳而欲調鐘鼓,無目而欲喜文章也,亦必不勝其任矣。故天下神器,不可為也,為者敗之,執者失之。夫許由小天下而不以己易堯者,志遺於天下也。所以然者,何也?因天下而為天下也。天下之要,不在於彼而在於我,不在於人而在於我身,身得則萬物備矣。徹於心術之論,則嗜欲好憎外矣。是故無所喜而無所怒,無所樂而無所苦,萬物玄同也,無非無是,化育玄燿,生而如死。
新字:夫心者,五蔵之主也,所以制使四支,流行血気,馳騁於是非之境,而出入於百事之門戸者也。是故不得於心而有経天下之気,是猶無耳而欲調鐘鼓,無目而欲喜文章也,亦必不勝其任矣。故天下神器,不可為也,為者敗之,執者失之。夫許由小天下而不以己易堯者,志遺於天下也。所以然者,何也?因天下而為天下也。天下之要,不在於彼而在於我,不在於人而在於我身,身得則万物備矣。徹於心術之論,則嗜欲好憎外矣。是故無所喜而無所怒,無所楽而無所苦,万物玄同也,無非無是,化育玄燿,生而如死。
書き下し
夫れ心なる者は、五藏の主なり。四支を制使し、血氣を流行し、是非の境に馳騁して、百事の門戶に出入する所以の者なり。是の故に心に得ずして天下を經むるの氣有るは、是れ猶お耳無くして鐘鼓を調えんと欲し、目無くして文章を喜ばんと欲するがごとし。亦た必ず其の任に勝えざらん。故に天下は神器なり、為す可からざるなり。為す者は之を敗り、執る者は之を失う。夫れ許由の天下を小として己を以て堯に易えざるは、志天下を遺るればなり。然る所以の者は、何ぞや。天下に因りて天下を為すなり。天下の要は、彼に在らずして我に在り、人に在らずして我が身に在り。身得れば則ち萬物備わる。心術の論に徹すれば、則ち嗜欲好憎外れん。是の故に喜ぶ所無くして怒る所無く、樂しむ所無くして苦しむ所無く、萬物玄同なり。非も無く是も無く、化育玄燿し、生きながらにして死せるが如し。
現代語訳
そもそも心は、五臓の主である。手足を働かせ、血と気を巡らせ、是非の境を駆け、百事の門を出入りするためのものである。だから心で得ていないのに天下を治める意気だけがあるのは、耳がないのに鐘や太鼓を調えようとし、目がないのに文様を喜ぼうとするようなものだ。必ずその任に堪えられない。だから天下は神の器であって、こしらえるものではない。こしらえる者はこれを壊し、握る者はこれを失う。許由が天下を小さなものとして自分を堯と取り替えなかったのは、志が天下を忘れていたからである。そうなるのはなぜか。天下に従って天下を治めるからである。天下の要は、あちらにあるのではなく私にあり、人にあるのではなく我が身にある。身が得られれば万物が備わる。心の働きの筋道を見通せば、欲も好き嫌いも外に出ていく。だから喜ぶこともなく怒ることもなく、楽しむこともなく苦しむこともなく、万物は奥深く一つになる。誤りもなく正しさもなく、育ちが奥深く輝き、生きながらにして死んだようである。
解説
この章句が説くこと
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『驢鞍橋』卷中同録に。古人云く。心は万境に随つて転ず。転ずる処実に能く幽なり。流れに随つて性を認得すれば、喜も無く亦憂も無し。一僧云ふ、随流認得性と云ふは、人我を打つとも、腹たつ道理なし。欲心起るも、他の物を取るへき道理なしと、急度其性を認得する義なりや。師云はく、其義に非す。随流認得性と云ふは、ほしければとり、はれははつたまでよ、如是随流働き、万境に転したか、何ん共なき境界也。是れ凡夫心の沙汰に非す、熟した心の沙汰也。今様の誵訛さへ知りめされすと也。
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言志四録・言志録 第九十七条 心の来処は太虚目を挙ぐれば百物、皆来処有り。軀殻の父母より出づるも、亦来処なり。心に至りては則ち来処何くに在る。余曰く、軀殻は是れ地気の精英、父母に由りて之を聚む。心は則ち天なり。軀殻成りて天寓し、天寓して知覚生じ、天離れて知覚泯ぶ。心の来処は、乃ち太虚是れのみ。
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『弁名』心志意孟子曰く、「其の心を尽くす者は其の性を知るなり」と。是れ其の心力を尽くして以て之を思ふを謂ふのみ。正に梁恵王の所謂「寡人の国に於けるや、心を尽くすのみ」と同意なり。但だ人思はざるのみ、之を思へば則ち能く性の善を知り、性の善を知れば則ち天道の善に与するを知ると言ふ。孟子の本意、是くの若きに過ぎず。宋儒先王の教法を識らず、故に論語・孟子の字面に就きて、以て学問の方を求め、遂に心を尽くすとは心の量を尽くすと謂ふ。妄なるかな。豈に所謂心の量なる者有らんや。仁斎先生曰く、「四端の心を拡充して其の極に至るを謂ふなり」と。果たして其の言の是ならんか、則ち当に其の性を知る者は其の心を尽くすと曰ふべし。其の言の倒置、豈に強ふるに非ずや。亦た聖人為らんと欲するが故のみ。
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