管子 / 水地
或世見,或世不見者,生蟡與慶忌。故涸澤數百歲,谷之不徙,水之不絶者,生慶忌。慶忌者,其狀若人,其長四寸。衣黄衣,冠黄冠,戴黄葢,乘小馬,好疾馳。以其名呼之,可使千里外,一日反報。此涸澤之精也。涸川之精者生於蟡。蟡者,一頭而兩身,其形若虵,其長八尺。以其名呼之,可以取魚鼈。此涸川水之精也。
新字:或世見,或世不見者,生蟡与慶忌。故涸沢数百歳,谷之不徙,水之不絶者,生慶忌。慶忌者,其状若人,其長四寸。衣黄衣,冠黄冠,戴黄葢,乗小馬,好疾馳。以其名呼之,可使千里外,一日反報。此涸沢之精也。涸川之精者生於蟡。蟡者,一頭而両身,其形若虵,其長八尺。以其名呼之,可以取魚鼈。此涸川水之精也。
書き下し
或いは世に見れ、或いは世に見れざる者は、蟡と慶忌とを生ず。故に涸澤數百歲、谷の徙らず、水の絶えざる者は、慶忌を生ず。慶忌なる者は、其の狀人の若く、其の長さ四寸。黄衣を衣、黄冠を冠り、黄葢を戴き、小馬に乘り、疾く馳するを好む。其の名を以て之を呼べば、千里の外をして、一日にして反報せしむ可し。此れ涸澤の精なり。涸川の精なる者は蟡に生ず。蟡なる者は、一頭にして兩身、其の形虵の若く、其の長さ八尺。其の名を以て之を呼べば、以て魚鼈を取る可し。此れ涸川の水の精なり。
現代語訳
世に現れることもあり、現れないこともあるものとして、蟡と慶忌が生まれる。数百年も涸れた沢で、谷が移らず、水が絶えないところには、慶忌が生まれる。慶忌は姿が人のようで、背の高さは四寸。黄色い衣を着て黄色い冠をかぶり、黄色い蓋を戴き、小さな馬に乗り、速く駆けるのを好む。その名を呼べば、千里の外へやって一日で報せを持ち帰らせられる。これが涸れた沢の精である。涸れた川の精は蟡から生まれる。蟡は頭が一つで胴が二つ、形は蛇のようで、長さは八尺。その名を呼べば、魚やすっぽんを捕らせられる。これが涸れた川の水の精である。
解説
水の精として、二つの怪しいものが名指しで挙がります。慶忌は背丈四寸、黄色ずくめで小馬に乗り、名を呼べば千里の外へ行って一日で帰る。蟡は頭一つに胴二つ、蛇の形で八尺。どちらも涸れたところに生まれる、という点が揃っています。水地篇が水を万物のもとと見た延長に、この二つが置かれました。
この章句が説くこと
或いは世に見れ或いは世に見れざる者は蟡と慶忌とを生ず慶忌なる者は其の状人の若く其の長さ四寸其の名を以て之を呼べば千里の外をして一日にして反報せしむ可し蟡なる者は一頭にして両身其の形虵の若し水精
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『管子』水地是を以て水の精、麤濁蹇にして、能く存して亡ぶ能わざる者は、人と玉とを生ず。伏し闇くして能く存し能く亡ぶる者は、蓍と龍となり。或いは世に見れ、或いは見れざる者は、蟡と慶忌となり。故に人皆な之を服して、管子は之に則る。人皆な之を有して、管子は之を以てす。
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『管子』水地地なる者は、萬物の本原、諸生の根菀なり、美惡賢不肖愚俊の生ずる所なり。水なる者は、地の血氣、筋脈の通流するが如き者なり。故に曰く、水は材を具うと。何を以て其の然るを知るや。曰く、夫れ水は、淖弱にして以て清く、而して好く人の惡を灑ぐ、仁なり。之を視れば黒くして白し、精なり。之を量るに槪をして滿つるに至りて止まらしむ可からず、正なり。唯だ流れざる無く、平らかに至りて止まる、義なり。人皆な高きに赴くに、已獨り下きに赴く、卑なり。卑なる者は、道の室、王者の器なり、而して水以て都居と為す。準なる者は、五量の宗なり。素なる者は、五色の質なり。淡なる者は、五味の中なり。是を以て水なる者は、萬物の準なり、諸生の淡なり、違非得失の質なり、是を以て滿たざる無く、居らざる無きなり。
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