管子 / 白心
兵之出,出於人。其人入,入於身。兵之勝,從於適。徳之來,從於身。故曰:祥於鬼者義於人。兵不義,不可。强而驕者損其强,弱而驕者亟死亾。强而卑,義信其强。弱而卑,義免於罪。是故驕之餘卑,卑之餘驕。道者,一人用之,不聞有餘;天下行之,不聞不足。此謂道矣。小取焉則小得福,大取焉則大得福,盡行之而天下服。殊無取焉,則民反其身,不免於賊。
新字:兵之出,出於人。其人入,入於身。兵之勝,従於適。徳之来,従於身。故曰:祥於鬼者義於人。兵不義,不可。強而驕者損其強,弱而驕者亟死亾。強而卑,義信其強。弱而卑,義免於罪。是故驕之余卑,卑之余驕。道者,一人用之,不聞有余;天下行之,不聞不足。此謂道矣。小取焉則小得福,大取焉則大得福,尽行之而天下服。殊無取焉,則民反其身,不免於賊。
書き下し
兵の出づるは、人より出づ。其の人入るは、身に入る。兵の勝つは、適に從う。徳の來たるは、身に從う。故に曰く、鬼に祥なる者は人に義なりと。兵義ならざれば、不可なり。强くして驕る者は其の强を損じ、弱くして驕る者は亟やかに死亡す。强くして卑しければ、義もて其の强を信にす。弱くして卑しければ、義もて罪を免る。是の故に驕の餘りは卑、卑の餘りは驕なり。道なる者は、一人之を用うるも、餘り有るを聞かず。天下之を行うも、足らざるを聞かず。此れを道と謂う。小しく焉に取れば則ち小しく福を得、大いに焉に取れば則ち大いに福を得、盡く之を行えば天下服す。殊に焉に取る無くんば、則ち民其の身に反り、賊を免れず。
現代語訳
兵が出ていくのは人から出ていくのであり、その人が入ってくるのは自分の身に入ってくる。兵が勝つのは相手のあり方に従い、徳が来るのは自分の身に従う。だから言う、鬼神にめでたい者は人に対して義である、と。兵に義がなければいけない。強くて驕る者はその強さを損ない、弱くて驕る者はすみやかに死ぬ。強くてへりくだれば、義によってその強さが確かになる。弱くてへりくだれば、義によって罪を免れる。だから驕りの余りは卑しさになり、卑しさの余りは驕りになる。道というものは、一人が用いても余ると聞かず、天下が行っても足りないと聞かない。これを道という。少し取れば少し福を得、大きく取れば大きく福を得、すべて行えば天下が従う。まったく取らなければ、民は自分の身に返って、そこなわれることを免れない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『童子問』卷上問ふ、易知易行・万世不易の理の、実に至極為ることは、既に命を聞くことを得たり。然れども心中猶ほ未だ釈然たること能はず。願はくは易く暁りやすきの語を以て、申ねて諭を垂れよと。曰く、人の外に道無く、道の外に人無し。人を以て人の道を行ふ、何の難知難行か之れ有らん。夫れ人の霊を以てすと雖も、然れども羽ある者の翔り、鱗ある者の潜るが若くなること能はざる者は、其の性異なればなり。堯の服を服し、堯の行ひを行ひ、堯の言を誦するに於ては、則ち復た甚だ難き者無し。其の道同じければなり。故に孟子曰く、夫れ道は一のみと。若し夫れ人倫を外にして道を求むる者は、猶ほ風を捕へ影を捉ふるがごとく、必ず得べからざるなり。故に道を知る者は、必ず之を邇きに求む。其の道を以て高しと為し、遠しと為し、企て及ぶべからずと為す者は、皆道の本然に非ず、自ら惑ふの致す所なり。
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『弁名』理氣人欲包犠氏網罟を為る、蓋し諸を離に取る、神農氏耒耜を為る、蓋し諸を益に取るが如し。易は本と象を取りて器を作るの義有り。故に爾か云ふ。形而上は、器未だ形を成さざる以前、唯だ易の道有るのみを謂ふ。其の形を成すの後に至りて、始めて其の器有り。皆器を制するを主として之を言ふ。下文遂に曰く、「化して之を裁する、之を変と謂ふ。推して之を行ふ、之を通と謂ふ。挙げて之を天下の民に措く、之を事業と謂ふ」と。是れ皆易を賛するの言なり。道器変通事業は、皆易を以て之を言ふのみ。上章に「戸を闔づる之を坤と謂ひ、戸を闢く之を乾と謂ふ。一たび闔ぢ一たび闢く之を変と謂ひ、往来窮まらざる之を通と謂ふ。見はるる乃ち之を象と謂ひ、形はるる乃ち之を器と謂ふ。制して之を用ふる之を法と謂ひ、利用出入して民咸之を用ふる之を神と謂ふ」と曰ふが如きも、是れ又た道器を以て対言せず。其の義以て見るべきのみ。豈に大謬に非ずや。
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『慎思録』巻之四術者の陋なり。陰陽を指して道と為すは、猶ほ天地を指して道と為し、聖人を指して道と為すがごとし。此れ道の在る所を以て言ふ。其の実、天地陰陽は即ち是れ道の存する所にして、還た是れ道中に在る所の物なり。蓋し道を以て主と為して之を言へば、則ち天地万物は皆是れ道中の物なり。天地万物を以て主と為して之を言へば、則ち道は天地万物の中に在りて、之が主為る者なり。陰陽の如きは、則ち又天地万物の比に非ず。同異離合を以て之を言ふべからず。故に易に陰陽を以て道を言ふは、此を以てなり。
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『弁名』理氣人欲仁斎先生曰く、「道は行ふ所を以て言ふ、活字なり。理は存する所を以て言ふ、死字なり。聖人は道を見ること実なり、故に其の理を説くや活なり。老氏は道を見ること虚なり、故に其の理を説くや死なり」と。又た曰く、「道は本と活字、其の生生化化の妙を形容する所以なり。理の字の若きは本と死字、玉に従ひ里に従ふ、玉石の文理を謂ふ。以て事物の条理を形容すべくして、以て天地生生化化の妙を形容するに足らず」と。此等の議論、皆痴人の夢を説くが如し。
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『弁名』道小人の道長ずと曰ひ、戎狄の道と曰ふ者有り。皆其の由る所を以て俗を成し、自ら一道有るに似たり。故に之を言ふ。善人の道と曰ひ、父の道を改むること無しと曰ふ者有り。亦た其の由る所を言ふのみ。必ずしも先王の道ならず。凡そ其の意此を以て道と為して之に由る者なり。是の道や何ぞ以て臧しとするに足らんと曰ふ者有り。詩書礼楽は、皆先王の道なり。故に一言半句と雖も亦た称して道と為すのみ。
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『慎思録』巻之三聖人の道は、本自ら分明なり。故に夫婦の愚も、以て与り知るべし。本自ら簡易なり。故に夫婦の不肖も、以て能く行ふべし。然れども世に之を知り之を行ふ者鮮きは、何ぞや。蓋し教無く習無きに因るなり。

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