管子 / 心術上
天之道,虛其無形。虛則不屈,無形則無所位無所位故徧流萬物而不變。德者,道之舍,物得以生生,知得以職道之精。故德者,得也。得也者,其謂所得以然也。以無為之謂道,舍之之謂德。故道之與德無間,故言之者不别也。間之理者,謂其所以舍也。義者,謂各處其宜也。禮者,因人之情,縁義之理,而為之節文者也。故禮者,謂有理也。理也者,明分以諭義之意也。故禮出乎義,義出乎理,理因乎宜者也。法者,所以同出不得不然者也。故殺僇禁誅以一之也。故事督乎法,法出乎權,權出乎道。道也者,動不見其形,施不見其德,萬物皆以得,然莫知其極。故曰:可以安而不可説也。
新字:天之道,虚其無形。虚則不屈,無形則無所位無所位故遍流万物而不変。徳者,道之舎,物得以生生,知得以職道之精。故徳者,得也。得也者,其謂所得以然也。以無為之謂道,舎之之謂徳。故道之与徳無間,故言之者不別也。間之理者,謂其所以舎也。義者,謂各処其宜也。礼者,因人之情,縁義之理,而為之節文者也。故礼者,謂有理也。理也者,明分以諭義之意也。故礼出乎義,義出乎理,理因乎宜者也。法者,所以同出不得不然者也。故殺僇禁誅以一之也。故事督乎法,法出乎権,権出乎道。道也者,動不見其形,施不見其徳,万物皆以得,然莫知其極。故曰:可以安而不可説也。
書き下し
天の道は、虛にして其れ無形なり。虛なれば則ち屈せず、無形なれば則ち位する所無し。位する所無し、故に萬物に徧流して變ぜず。德なる者は、道の舍なり、物得て以て生じ、生知得て以て道の精を職る。故に德なる者は、得なり。得なる者は、其の得て以て然る所を謂うなり。無為なる、之を道と謂い、之を舍する、之を德と謂う。故に道と德とは間無し、故に之を言う者は別たざるなり。之を間つるの理なる者は、其の舍する所以を謂うなり。義なる者は、各おの其の宜しきに處るを謂うなり。禮なる者は、人の情に因り、義の理に縁りて、之が節文を為す者なり。故に禮なる者は、理有るを謂うなり。理なる者は、分を明らかにして以て義の意を諭す者なり。故に禮は義より出で、義は理より出で、理は宜に因る者なり。法なる者は、同じく出でて然らざるを得ざる所以の者なり。故に殺僇禁誅して以て之を一にするなり。故に事は法に督され、法は權より出で、權は道より出づ。道なる者は、動きて其の形を見ず、施して其の德を見ず、萬物皆な以て得、然れども其の極を知る莫し。故に曰く、安んず可くして説く可からずと。
現代語訳
天の道は空しくかたちがない。空しければ屈せず、かたちがなければ位置を占めない。位置を占めないから、万物にあまねく流れて変わらない。徳とは道の宿である。物はそれを得て生まれ、生きて知るものはそれを得て道の精を司る。だから徳とは得ることである。得るとは、それを得てそうなるところをいう。為さないことを道といい、それを宿すことを徳という。だから道と徳には隔たりがなく、語る者はそれを分けない。分ける理というのは、宿すそのやり方をいう。義とは、それぞれがその宜しいところにいることをいう。礼とは、人の情に沿い、義の理をたどって、区切りと飾りを作るものである。だから礼とは理があることをいう。理とは、分を明らかにして義の意を示すものである。だから礼は義から出て、義は理から出て、理は宜しさに沿う。法とは、同じところから出て、そうならざるをえないもとである。だから殺し罰し禁じ誅して一つにする。だから事は法に照らされ、法は権から出て、権は道から出る。道とは、動いてもその形が見えず、施してもその徳が見えず、万物はみなそれを得ているのに、その極みを知る者がない。だから、安んじられるが説くことはできない、という。
解説
この章句が説くこと
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『新書』道德說物の道とし始むる所、之を道と謂い、得て以て生ずる所、之を徳と謂う。徳の有するや、道を以て本と為す、故に曰く「道なる者は、徳の本なり」と。徳は物を生じ又物を養えば、則ち物は安利なり。物を安利にする者は、仁の行なり。仁の行は徳より出づ、故に曰く「仁なる者は、徳の出づるなり」と。徳は理を生じ、理立てば則ち宜有り、適う之を義と謂う。義なる者は、理なり、故に曰く「義なる者は、徳の理なり」と。徳は物を生じ、又之を養長して離れず、得て以て安利なり。徳の物に遇うや忠厚なり、故に曰く「忠なる者は、徳の厚きなり」と。徳の忠厚なるや、信固くして易わらず、此れ徳の常なり。故に曰く「信なる者は、徳の固きなり」と。徳は道より生じて理有り、理を守れば則ち道に合し、道と理と密にして離れず、故に能く物を畜い物を養う。物は仰ぎて徳を恃まざる莫し、此れ徳の高きなり、故に曰く「密なる者は、徳の高きなり」と。道して失う勿ければ、則ち道有り。得て之を守れば、則ち徳有り。行い休む無き有れば、則ち行成る。故に曰く「道此れ之を道と謂い、徳此れ之を徳と謂い、行此れ之を行と謂う」と。諸の此の言は、徳の変を尽くす。変なる者は、理なり。
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『弁名』道一変して道に至ると曰ふは、先王の道行はるるの世を謂ふなり。与に道に適くべしと曰ふは、身の先王の道に合ふを謂ふなり。至道と曰ひ、大道と曰ふは、先王の道を尊ぶの辞なり。道に志すと曰ひ、朝に道を聞くと曰ひ、天下道有りと曰ひ、国道有りと曰ひ、国道無しと曰ひ、無道の君と曰ひ、有道に就きて正すと曰ふ。凡そ単に道と言ふ者は、皆先王の道を以て之を言ふ。道無しとは先王の道全く亡ぶるなり。道有りとは必ずしも全く有るにあらざるなり。有道の士の如きは、身に道芸有るを以て之を言ふ。先王の道は外に在り、六芸も亦た先王の道なり。故に古は道芸を以て並び称す。大小の分のみ。其の人徳有りと雖も、然れども先王の道を知らざれば、則ち有道の士と称するを得ず。後世道徳の名混ず。学者其れ諸を審らかにせよ。
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『長短経』定名夫れ道なる者は、人の蹈む所なり。居りては為す所を知り、行きては之く所を知り、事えては乗ずる所を知り、動きては止まる所を知る。之を道と謂う。〔又た曰く、道なる者は、人の蹈む所にして、万物をして其の由る所を失わざらしむるを謂うなり。〕徳なる者は、人の得る所なり。人をして各々其の欲する所を得しむる、之を徳と謂う。仁なる者は、愛なり。利を致し害を除き、兼ねて愛して私無き、之を仁と謂う。〔又た曰く、仁なる者は、人の親しむ所にして、慈悲惻隠の心有りて、其の生成を遂げしむ。〕
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『呻吟語』内篇・修身・有道の言と有德の言有道の言は、之を心悟に將ふ。有德の言は、之を躬行に得。有道の言は弘暢なり、有德の言は親切なり。有道の言は萬貨の肆に遊ぶが如く、有德の言は萬貨の商を發するが如し。有道者は言はざるを容れず、有德者は言を俟つ無し。然りと雖も、未だ嘗て言はずんばあらず。故に曰く、「德有る者は必ず言有り」と。
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『洗心洞箚記』卷上・第百五十一條楊凝斎曰く、「時に淳澆有り、俗に美悪有り。故に泰伯は夷に居りて化し、孔子は魯に在りて、七十子の外多く之を譏る。亦其の自ら立つ者を視るのみ。若し位を得ば則ち風草上を行かん」と。楊氏の此の説、必ず感ずる所有りて云ふのみ。吾も亦嘗て説有りて曰く、孔子は大聖人なり。天下は大なり、四海は広し、皆其の徳を仰望せざるは莫く、尽く其の道を尊尚せざるは莫し。然れども此れ孔子没して後、数十百年にして乃ち然り。其の生ける時に当りては、孔子より長ずる者、孔子より貴き者、未だ嘗て一人の誠に其の徳を仰ぎ、真に其の道を尊ぶ者有るを聞かざるなり。
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『弁名』德朱子解して曰く、「徳の言為る得なり。道を行ひて心に得る有るなり」と。夫れ道は先王の道なり。伝に曰く、「苟も其の人に非ざれば、道虚しく行はれず」と。則ち其の徳未だ成らずして、安んぞ能く道を行はんや。是れ其の意道を以て当然の理と為す。故に是の解有るのみ。且つ徳は固より心を離れて言ふべからず。然れども僅かに心を以て之を言はば、烏んぞ以て徳と為すに足らんや。

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