管子 / 心術上
道在天地之間也,其大無外,其小無内,故曰不逺而難極也。虚之與人也無間,唯聖人得虛道,故曰竝處而難得。世人之所職者精也,去欲則宣,宣則靜矣。靜則精,精則獨立矣。獨則明,明則神矣。神者至貴也,故館不辟除,則貴人不舍焉。故曰:不潔則神不處。人皆欲知,而莫索之其所以知,彼也。其所以知,此也。不脩之此,焉能知彼。脩之此,莫能虛矣。虛者無藏也,故曰:去知則奚率求矣,無臧則奚設矣,無求無設則無慮,無慮則反覆虚矣。
新字:道在天地之間也,其大無外,其小無内,故曰不遠而難極也。虚之与人也無間,唯聖人得虚道,故曰並処而難得。世人之所職者精也,去欲則宣,宣則静矣。静則精,精則独立矣。独則明,明則神矣。神者至貴也,故館不辟除,則貴人不舎焉。故曰:不潔則神不処。人皆欲知,而莫索之其所以知,彼也。其所以知,此也。不脩之此,焉能知彼。脩之此,莫能虚矣。虚者無蔵也,故曰:去知則奚率求矣,無臧則奚設矣,無求無設則無慮,無慮則反覆虚矣。
書き下し
道は天地の間に在るなり、其の大は外無く、其の小は内無し、故に曰く逺からずして極め難しと。虚の人に與するや間無し、唯だ聖人のみ虛の道を得、故に曰く竝び處りて得難しと。世人の職とする所の者は精なり、欲を去れば則ち宣く、宣ければ則ち静かなり。静かなれば則ち精、精なれば則ち獨立す。獨なれば則ち明、明なれば則ち神なり。神なる者は至貴なり、故に館辟除せざれば、則ち貴人舍らず。故に曰く、潔からざれば則ち神處らずと。人皆な知らんと欲す、而して之を其の知る所以に索むる莫し。彼なり、其の知る所以は、此なり。此を脩めずして、焉んぞ能く彼を知らん。此を脩むれば、能く虛ならざる莫し。虛なる者は藏する無きなり、故に曰く、知を去れば則ち奚ぞ率いて求めん、臧する無ければ則ち奚ぞ設けん、求むる無く設くる無ければ則ち慮る無し、慮る無ければ則ち反覆して虚なりと。
現代語訳
道は天地のあいだにある。その大きさに外はなく、その小ささに内はない。だから、遠くないのに極めがたい、という。虚が人に与するのに隔てはない。ただ聖人だけが虚の道を得る。だから、並んでいるのに得がたい、という。世の人が務めるのは精である。欲を去れば広がり、広がれば静かになる。静かであれば精となり、精であれば独り立つ。独りであれば明るく、明るければ神となる。神は至って貴い。だから宿を掃き清めなければ、貴い人は泊まらない。だから、清らかでなければ神は留まらない、という。人はみな知りたがるが、なぜ知れるのかを探そうとしない。知る対象は向こうにあり、知れる理由はこちらにある。こちらを修めずに、どうして向こうを知れよう。こちらを修めれば、空にならないことはない。空とは、蔵わないことである。だから、知を去れば何を率いて求めよう、蔵うものがなければ何を構えよう、求めず構えなければ思い煩いがなく、思い煩いがなければ繰り返し空に戻る、という。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『童子問』卷上問ふ、易知易行・万世不易の理の、実に至極為ることは、既に命を聞くことを得たり。然れども心中猶ほ未だ釈然たること能はず。願はくは易く暁りやすきの語を以て、申ねて諭を垂れよと。曰く、人の外に道無く、道の外に人無し。人を以て人の道を行ふ、何の難知難行か之れ有らん。夫れ人の霊を以てすと雖も、然れども羽ある者の翔り、鱗ある者の潜るが若くなること能はざる者は、其の性異なればなり。堯の服を服し、堯の行ひを行ひ、堯の言を誦するに於ては、則ち復た甚だ難き者無し。其の道同じければなり。故に孟子曰く、夫れ道は一のみと。若し夫れ人倫を外にして道を求むる者は、猶ほ風を捕へ影を捉ふるがごとく、必ず得べからざるなり。故に道を知る者は、必ず之を邇きに求む。其の道を以て高しと為し、遠しと為し、企て及ぶべからずと為す者は、皆道の本然に非ず、自ら惑ふの致す所なり。
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『徂徠先生答問書』卷下しかるに後世の儒者見識低く器量小く、何事も我身一つに思ひ取候故、心法理窟の説盛に成行、今日の脩行を以て聖人にならんと求め候。聖人に成得候得ば天下国家はおのづから治まると思取より、事は替れ共仏老の意地に陥候。釈迦は乞食の境界にて、家もなく妻子もなく、まして国天下も持不申身故、其道専ら我身一つの事に候。是等の所聖人の道之大段の分れめにて候。帝嚳以前は徳を以て天下を治玉へり。堯舜に至りて始て道を建立し玉へる故、孔子も祖述堯舜、又書経も堯舜より始まる事、我道の元祖たる故也。堯舜も徳を以て天下を治め玉はんには、道の建立に及ばざる事也。聖賢なき世にても、此道伝はる時は、聖賢在世のごとく天下国家平治なすべき様を工夫まし〳〵て、建立し玉へる事にて、禹湯文武周公相継で脩補まし〳〵たる事也。是によりて孔子も学玉はざれば道は知り玉はず、宋儒は只徳を以て天下を治むる事計を会得して、道といふ物を不存是によりて孔子の好学との玉ひ、博く学び玉へる事、其解不明白、或は謙詞といひ、或は学者を勉むるの語抔まぎらかし被置候也。是己が意を以て聖人を量り、聖言の真実なるを不知也。
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『弁名』理氣人欲仁斎先生曰く、「道は行ふ所を以て言ふ、活字なり。理は存する所を以て言ふ、死字なり。聖人は道を見ること実なり、故に其の理を説くや活なり。老氏は道を見ること虚なり、故に其の理を説くや死なり」と。又た曰く、「道は本と活字、其の生生化化の妙を形容する所以なり。理の字の若きは本と死字、玉に従ひ里に従ふ、玉石の文理を謂ふ。以て事物の条理を形容すべくして、以て天地生生化化の妙を形容するに足らず」と。此等の議論、皆痴人の夢を説くが如し。
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『弁名』道小人の道長ずと曰ひ、戎狄の道と曰ふ者有り。皆其の由る所を以て俗を成し、自ら一道有るに似たり。故に之を言ふ。善人の道と曰ひ、父の道を改むること無しと曰ふ者有り。亦た其の由る所を言ふのみ。必ずしも先王の道ならず。凡そ其の意此を以て道と為して之に由る者なり。是の道や何ぞ以て臧しとするに足らんと曰ふ者有り。詩書礼楽は、皆先王の道なり。故に一言半句と雖も亦た称して道と為すのみ。
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『慎思録』巻之三聖人の道は、本自ら分明なり。故に夫婦の愚も、以て与り知るべし。本自ら簡易なり。故に夫婦の不肖も、以て能く行ふべし。然れども世に之を知り之を行ふ者鮮きは、何ぞや。蓋し教無く習無きに因るなり。
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『山鹿語類』士道・惣論日用之事師嘗曰。易云、百姓日用而不知。中庸曰、道也者須臾不可離也。可離非道と云へり。人の世に在る、一動一静皆是を不出。我これを名けて道とす。知らずと云へども、天地我に形ちを与て是に理をそなへ其用をたらしめ、聖人上代に在て其彝倫の制を定め、不得止の則りを立てぬ。聖人爰に不出といへども、世々是により人々自是を守る。ゆゑに日々の用る処、悉く道の存する処也。世遠道次弟におとろへて、人物事変あることは、是道の離るゝゆゑ也。しかれども事変道によらざれば不成。こゝを以て云時は、治乱盛衰の大より一事一物の変動に至るまで、天地の法則をはなるゝことさらになし。君子大丈夫能此心を体認して、初めて道をかたるべし。

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