管子 / 心術上
心之在體,君之位也。九竅之有職,官之分也。耳目者,視聽之官也。心而無與於視聽之事,則官得守其分矣。夫心有欲者,物過而目不見,聲至而耳不聞也。故曰:上離其道,下失其事。故曰:心術者,無為而制竅者也,故曰君。無代馬走,無代鳥飛,此言不奪能能,不與下誠也。毋先物動者,搖者不定,趮者不靜,言動之不可以觀也。位者,謂其所立也。人主者立於隂隂者靜,故曰動則失位。隂則能制陽矣,靜則能制動矣。故曰靜乃自得。
新字:心之在体,君之位也。九竅之有職,官之分也。耳目者,視聴之官也。心而無与於視聴之事,則官得守其分矣。夫心有欲者,物過而目不見,声至而耳不聞也。故曰:上離其道,下失其事。故曰:心術者,無為而制竅者也,故曰君。無代馬走,無代鳥飛,此言不奪能能,不与下誠也。毋先物動者,揺者不定,趮者不静,言動之不可以観也。位者,謂其所立也。人主者立於陰陰者静,故曰動則失位。陰則能制陽矣,静則能制動矣。故曰静乃自得。
書き下し
心の體に在るは、君の位なり。九竅の職有るは、官の分なり。耳目なる者は、視聽の官なり。心にして視聽の事に與る無ければ、則ち官其の分を守るを得。夫れ心に欲有る者は、物過ぐるも目見えず、聲至るも耳聞こえざるなり。故に曰く、上其の道を離るれば、下其の事を失うと。故に曰く、心術なる者は、無為にして竅を制する者なり、故に君と曰うと。馬に代わりて走る無かれ、鳥に代わりて飛ぶ無かれとは、此れ能ある能を奪わず、下に誠を與せざるを言うなり。物に先んじて動く毋かれとは、搖るる者は定まらず、趮る者は静かならず、動の以て觀る可からざるを言うなり。位なる者は、其の立つ所を謂うなり。人主なる者は隂に立つ、隂なる者は静かなり、故に曰く動けば則ち位を失うと。隂なれば則ち能く陽を制し、静なれば則ち能く動を制す。故に曰く静なれば乃ち自ら得と。
現代語訳
心が体にあるのは君の位である。九つの穴に役目があるのは官の分担である。耳と目は、見聞きする官である。心が見聞きの事に関わらなければ、官はその分担を守れる。心に欲があれば、物が通り過ぎても目に映らず、音が届いても耳に聞こえない。だから、上がその道を離れれば下はその仕事を失う、という。だから、心術とは、為さずに穴を制するものであり、それゆえ君という。馬に代わって走るな、鳥に代わって飛ぶな、というのは、能ある者の能を奪わず、下に自分の誠を持ち込まないことをいう。物より先に動くな、というのは、揺れる者は定まらず、逸る者は静かでなく、動いていては見きわめられないことをいう。位とは、その立つところをいう。主は陰に立つ。陰は静かである。だから、動けば位を失う、という。陰であれば陽を制することができ、静であれば動を制することができる。だから、静かであれば自然と得られる、という。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・憲問篇曾子曰く、君子は思うこと其の位を出でず。
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風姿花伝・第三 問答条々問、能に位の差別を知る事如何。答、これ目利の眼にはやすく見ゆるなり。凡そ位のあがるとは、能の重々の事なれども、ふしぎに十ばかりの能者にも、この位おのれとあがれる風体あり。但し稽古なからむには、おのれとあがる位ありともいたづら事なり。先づ稽古の劫入りて位のあらむは、常のことなり。また生得あがる位とは長なり。嵩と申すは別の事なり。多く人、長と嵩とを同じやうに思ふなり。嵩と申すは、ものものしくせのある形なり。またいふ、嵩は一切にわたる義なり。位長には別の物なり。たとへば、生得幽玄なる所ある、これ上の位か。然れども、さらに幽玄にはなき仕手の、長のあるもあり。これは幽玄ならぬ長なり。また初心の人思ふべし。稽古に上の位を心がけんは、返々かなふまじ。位はいよいよかなはで、あまさへ稽古しける分もさがるべし。所詮、位長のあがらんことは、かくべつの心得ありて得ずしては、大方かなふまじ。また稽古の劫入りて垢落ちぬれば、この位おのれと出来ることあり。稽古とは、音曲、舞、はたらき、物まね、かやうの品々をきはむる形木なり。よくよく工夫して思ふに、幽玄の位は生得の物か、闌けたる位は劫入りたるところか、心中に案をめぐらすべし。
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易経・彖伝帰妹(きまい)は、天地の大義なり。天地交わらざれば、万物興らず。帰妹は、人の終始なり。説(よろこ)びて以て動く、帰(とつ)ぐ所は妹(まい)なり。「征けば凶」とは、位当たらざればなり。「利(よ)ろしき攸(ところ)なし」とは、柔の剛に乗ればなり。
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『管子』形勢墜岸三仞は、人の大いに難しとする所なり、而して猿猱は焉に飲む。故に曰く、伐矜專を好むは、事を舉ぐるの禍なり。其の野を行かざれば、其の馬に違わず。能く予えて取ること無き者は、天地の配なり。怠倦なる者は及ばず、廣むる無き者は神を疑う。神なる者は内に在り、及ばざる者は門に在り。内に在る者は將に假さんとし、門に在る者は將に待たんとす。曙に戒めて怠る勿かれ、後れ穉ければ殃に逢う。朝に其の事を忘るれば、夕べに其の功を失う。邪氣内に入れば、正色乃ち衰う。君君たらざれば則ち臣臣たらず、父父たらざれば則ち子子たらず。上其の位を失えば則ち下其の節を踰え、上下和せざれば、令乃ち行われず。衣冠正しからざれば則ち賓者肅まず、進退儀無ければ則ち政令行われず、且つ懷け且つ威あらば則ち君道備わる。
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『淮南子』詮言訓民に道の同じく道く所有り、法の同じく守る所有り。義を爲すの相い固くする能わず、之を威すの相い必とする能わざるが爲なり。故に君を立てて以て民を一にす。君 一を執れば則ち治まり、常無ければ則ち亂る。君道なる者は、爲す所以に非ざるなり、無爲なる所以なり。何をか無爲と謂う。智者は位を以て事と爲さず、勇者は位を以て暴と爲さず、仁者は位を以て患と爲さず。無爲と謂う可し。夫れ無爲なれば、則ち一に得るなり。一なる者は、萬物の本なり、無敵の道なり。
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