管子 / 侈靡
問曰:「多賢可云?」對曰:「魚鼈之不食咡者,不出其淵。樹木之勝霜雪者,不聽於天。士能自治者,不從聖人。豈云哉?夷吾之聞之也,不欲强能不服,智而不牧。若旬虛期於月津,若出於一明,然則可以虚矣。故阨其道而薄其所予,則士云矣。不擇人而予之,謂之好人;不擇人而取之,謂之好利。審此兩者以為處行,則云矣。」
新字:問曰:「多賢可云?」対曰:「魚鼈之不食咡者,不出其淵。樹木之勝霜雪者,不聴於天。士能自治者,不従聖人。豈云哉?夷吾之聞之也,不欲強能不服,智而不牧。若旬虚期於月津,若出於一明,然則可以虚矣。故阨其道而薄其所予,則士云矣。不択人而予之,謂之好人;不択人而取之,謂之好利。審此両者以為処行,則云矣。」
書き下し
問いて曰く、「多賢は云う可きか」と。對えて曰く、「魚鼈の咡を食わざる者は、其の淵を出でず。樹木の霜雪に勝つ者は、天に聽かず。士の能く自ら治むる者は、聖人に從わず。豈に云わんや。夷吾の之を聞くや、能を强いて服せざるを欲せず、智にして牧せず。旬虚の月津に期するが若く、一明より出づるが若し。然らば則ち以て虚なる可し。故に其の道を阨にして其の予うる所を薄くすれば、則ち士云る。人を擇ばずして之に予うる、之を人を好むと謂う。人を擇ばずして之を取る、之を利を好むと謂う。此の兩者を審らかにして以て處行を為さば、則ち云らん」と。
現代語訳
問うて言った。賢者を多く集められるか。答えた。餌に食いつかない魚やすっぽんは、その淵から出ない。霜や雪に耐える樹木は、天の言いなりにならない。自分で自分を治められる士は、聖人にも従わない。どうして集まるだろうか。私が聞いたところでは、能ある者に無理を強いて従わせようとせず、智ある者を牧そうとしない。十日の空きが月の満ち欠けに合うように、一つの明るさから出てくるようにする。そうであれば空にしておける。だからその道を狭くし、与えるものを薄くすれば、士は集まってくる。人を選ばずに与えるのを、人好きという。人を選ばずに取るのを、利好きという。この二つをはっきり見分けて身の処し方とすれば、集まってくる。
解説
この章句が説くこと
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