管子 / 小稱
管仲死,已葬。公憎四子者,廢之官。逐堂巫而苛病起兵,逐易牙而味不至,逐豎刁而宫中亂,逐公子開方而朝不治。桓公曰:「嗟!聖人固有悖乎!」乃復四子者。
新字:管仲死,已葬。公憎四子者,廃之官。逐堂巫而苛病起兵,逐易牙而味不至,逐豎刁而宫中乱,逐公子開方而朝不治。桓公曰:「嗟!聖人固有悖乎!」乃復四子者。
書き下し
管仲死し、已に葬る。公四子なる者を憎み、之を官より廢す。堂巫を逐いて苛病起兵し、易牙を逐いて味至らず、豎刁を逐いて宫中亂れ、公子開方を逐いて朝治まらず。桓公曰く、「嗟、聖人も固より悖る有るか」と。乃ち四子なる者を復す。
現代語訳
管仲が死に、葬りも終わった。公は四人を憎んで、官から退けた。堂巫を追い出すと厄介な病が起こって兵事まで起こり、易牙を追い出すと味が調わず、豎刁を追い出すと宮中が乱れ、公子開方を追い出すと朝廷が治まらなかった。桓公は言った。ああ、聖人にも間違いはあるのか。そして四人を呼び戻した。
解説
遺言を守った桓公が、不便に負けて呼び戻す場面です。追い出したそれぞれに、すぐ不都合が起こる。病が起こり、味が落ち、宮中が乱れ、朝廷が治まらない。そこで出た言葉が、聖人にも間違いはあるのか、でした。管仲が最初に言い添えた「君はおそらく行えないでしょう」が、そのとおりになります。
この章句が説くこと
公四子なる者を憎み之を官より廃す易牙を逐いて味至らず豎刁を逐いて宫中乱る嗟聖人も固より悖る有るか乃ち四子なる者を復す遺言不便
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『管子』小稱管仲病有り、桓公往きて之を問いて曰く、「仲父の病病めり、若し諱む可からずして此の病より起たずんば、仲父亦た將に何を以て寡人に詔げんとする」と。管仲對えて曰く、「君の臣に命ずる微くんば、故に臣且に之を謁げんとす。然りと雖も、君猶お行う能わざるなり」と。公曰く、「仲父寡人に東せよと命ずれば、寡人東し、寡人に西せよと令すれば、寡人西す。仲父の寡人に命ずる、寡人敢えて從わざらんや」と。管仲衣冠を攝して起ち、對えて曰く、「臣君の易牙・豎刁・堂巫・公子開方を逺ざけんことを願う。夫れ易牙は調和を以て公に事う、公曰く、惟だ嬰兒を烝すを未だ嘗めずと。是に於いて其の首子を烝して之を公に獻ず。人情其の子を愛せざるに非ざるなり、子すら之を愛せざれば、將た何ぞ公に有らんや。公は宫を喜びて妬む、豎刁自ら刑して公の為に内を治む。人情其の身を愛せざるに非ざるなり、身すら之を愛せざれば、將た何ぞ公に有らんや。公子開方は公に事うること十五年、歸りて其の親を視ず。齊・衛の間は、數日の行を容れず。臣之を聞く、務め為すこと久しからず、葢い虛しければ長からずと。其の生長からざる者は、其の死必ず終わらず」と。桓公曰く、「善し」と。
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呂氏春秋・知接②管仲疾有り。桓公往きて之に問いて曰く、「仲父の疾病なり。將に何を以てか寡人に教えんとす。」管仲曰く、「齊の鄙人に諺有り、曰く、『居る者は載すること無く、行く者は埋むること無し。』今臣將に遠く行くこと有らんとす。胡ぞ以て問う可けん。」桓公曰く、「願わくは仲父の讓る無きことを。」管仲對えて曰く、「願わくは君の易牙・豎刀・常之巫・衛の公子啓方を遠ざけんことを。」公曰く、「易牙は其の子を烹て以て寡人を慊らしむ。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の子を愛せざるに非ざるなり。其の子に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公又曰く、「豎刀は自ら宮して以て寡人に近づく。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の身を愛せざるに非ざるなり。其の身に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公又曰く、「常之巫は死生を審らかにし、能く苛病を去る。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「死生は命なり。苛病は失なり。君、其の命に任じて、其の本を守らず、而して常之巫に恃む。彼將た此を以て為さざる無からん。」公又曰く、「衛の公子啓方は寡人に事うること十五年、其の父死するも敢て歸りて哭せず。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の父を愛せざるに非ざるなり。其の父に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公曰く、「諾。」管仲死し、盡く之を逐う。食甘からず、宮治まらず、苛病起こり、朝肅ならず。居ること三年、公曰く、「仲父亦た過たずや。孰か仲父之を盡くせりと謂うや。」是に於て皆復召して反す。明年、公病有り。常之巫中從り出でて曰く、「公將に某日を以て薨ぜんとす。」易牙・豎刀・常之巫相與に亂を作し、宮門を塞ぎ、高牆を築き、人を通さず。矯るに公の令を以てす。一婦人有り、垣を踰えて入り、公の所に至る。公曰く、「我食を欲す。」婦人曰く、「吾得る所無し。」公又曰く、「我飲を欲す。」婦人曰く、「吾得る所無し。」公曰く、「何の故ぞ。」對えて曰く、「常之巫中從り出でて曰く、『公將に某日を以て薨ぜんとす。』易牙・豎刀・常之巫相與に亂を作し、宮門を塞ぎ、高牆を築き、人を通さず。故に得る所無し。衛の公子啓方、書社四十を以て衛に下る。」公慨焉として歎じ、涕出でて曰く、「嗟乎。聖人の見る所、豈に遠からずや。若し死者知る有らば、我將た何の面目ありて以て仲父に見えん。」衣袂を蒙りて壽宮に絶えたり。蟲流れて戶より出づ。上蓋うに楊門の扇を以てす。三月葬らず。此れ卒に管仲の言を聽かざればなり。桓公、難を輕んじて管子を惡むに非ざるなり。由りて接すること無ければなり。由りて接する無く、固より其の忠言を卻けて、其の尊貴する所を愛するなり。
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説苑・權謀管仲疾有り、桓公往きて之を問ひて曰く、「仲父若し寡人を棄てなば、豎刁從政せしむべきか」と。對へて曰く、「不可なり。豎刁自ら刑して以て君に入るを求む。其の身をすら忍ぶ、將た君に何をか有らん」と。公曰く、「然らば則ち易牙可ならんか」と。對へて曰く、「易牙其の子を解きて以て君に食せしむ。其の子をすら忍ぶ、將た君に何をか有らん。若し之を用ゐば必ず諸侯の笑ひと爲らん」と。桓公歿するに及び、豎刁・易牙乃ち難を作す。桓公死して六十日、蟲戶より出でて收めず。
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『管子』戒桓公外舍して鼎饋せず。中婦諸子宮人に謂う、「盍ぞ出でて從わざる。君將に行有らんとす」と。宮人皆出でて從う。公怒りて曰く、「孰か我に行有りと謂う者ぞ」と。宮人曰く、「賤妾之を中婦諸子に聞く」と。公中婦諸子を召して曰く、「女焉くにか吾に行有るを聞けるや」と。對えて曰く、「妾人之を聞く、君外舍して鼎饋せざるは、内憂有るに非ざれば、必ず外患有りと。今君外舍して鼎饋せず、君は内憂有るに非ざるなり、妾是を以て君の將に行有らんとするを知るなり」と。公曰く、「善し。此れ吾が女と及ぶ所に非ざるなり、而して言乃ち焉に至る、吾是を以て女に語る。吾諸侯を致さんと欲して至らず、之を為すこと奈何」と。中婦諸子曰く、「妾の身の人の持接を為さざるより、未だ嘗て人の布織を得ず、意うに更に容審らかならざるか」と。明日、管仲朝す、公之を告ぐ。管仲曰く、「此れ聖人の言なり、君必ず行え」と。