管子 / 戒
桓公去易牙、豎刁、衛公子開方。五味不至,於是乎復反易牙。宫中亂,復反豎刁。利言卑辭不在側,復反衛公子開方。桓公内不量力,外不量交,而力伐四鄰。公薨,六子皆求立。易牙與衛公子,内與豎刁,因共殺羣吏而立公子無虧。故公死七日不斂,九月不葬。孝公犇宋,宋襄公率諸侯以伐齊,戰于甗,大敗齊師,殺公子無虧,立孝公而還。襄公立十三年,桓公立四十二年。
新字:桓公去易牙、豎刁、衛公子開方。五味不至,於是乎復反易牙。宮中乱,復反豎刁。利言卑辞不在側,復反衛公子開方。桓公内不量力,外不量交,而力伐四鄰。公薨,六子皆求立。易牙与衛公子,内与豎刁,因共殺羣吏而立公子無虧。故公死七日不斂,九月不葬。孝公犇宋,宋襄公率諸侯以伐斉,戦于甗,大敗斉師,殺公子無虧,立孝公而還。襄公立十三年,桓公立四十二年。
書き下し
桓公易牙・豎刁・衛の公子開方を去る。五味至らず、是に於いてか復た易牙を反す。宮中亂れ、復た豎刁を反す。利言卑辭側に在らず、復た衛の公子開方を反す。桓公内に力を量らず、外に交を量らずして、力めて四鄰を伐つ。公薨じ、六子皆立たんことを求む。易牙と衛の公子と、内は豎刁と、因りて共に羣吏を殺して公子無虧を立つ。故に公死して七日斂せず、九月葬らず。孝公宋に犇り、宋の襄公諸侯を率いて以て齊を伐ち、甗に戰い、大いに齊師を敗り、公子無虧を殺し、孝公を立てて還る。襄公立つこと十三年、桓公立つこと四十二年。
現代語訳
桓公は易牙と豎刁と衛の公子開方を退けた。すると五つの味が食膳に上らなくなり、そこでまた易牙を呼び戻した。宮中が乱れ、また豎刁を呼び戻した。都合のよい言葉やへりくだった言葉がそばになくなり、また衛の公子開方を呼び戻した。桓公は内で自分の力を量らず、外で交わりを量らず、力ずくで四方の隣を討った。公が亡くなると、六人の公子がみな立とうとした。易牙と衛の公子が、内では豎刁と組んで、ともに役人たちを殺して公子無虧を立てた。だから公は死んで七日たっても納棺されず、九か月たっても葬られなかった。孝公は宋へ逃げ、宋の襄公が諸侯を率いて斉を討ち、甗で戦って斉の軍を大いに破り、公子無虧を殺して孝公を立てて帰った。襄公が位について十三年、桓公が位について四十二年であった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 斉太公世家四十一年、秦の穆公、晋の恵公を虜にし、復た之を帰す。是の歳、管仲・隰朋皆卒す。管仲病む。桓公問ひて曰く、「群臣誰か相たる可き者ぞ」と。管仲曰く、「臣を知るは君に如くは莫し」と。公曰く、「易牙は如何」と。対へて曰く、「子を殺して以て君に適ふ、人情に非ず、不可なり」と。公曰く、「開方は如何」と。対へて曰く、「親に倍きて以て君に適ふ、人情に非ず、近づけ難し」と。公曰く、「豎刀は如何」と。対へて曰く、「自ら宮して以て君に適ふ、人情に非ず、親しみ難し」と。管仲死す。而して桓公は管仲の言を用ひず、卒に近づけて三子を用ふ。三子権を専らにす。四十二年、戎、周を伐つ。周、急を斉に告ぐ。斉、諸侯をして各々卒を発して周を戍らしむ。是の歳、晋の公子重耳来る。桓公之に妻はす。四十三年。初め、斉の桓公の夫人三あり。王姫・徐姫・蔡姫と曰ひ、皆子無し。桓公内を好み、内寵多く、夫人の如き者六人。長衛姫は無詭を生み、少衛姫は恵公元を生み、鄭姫は孝公昭を生み、葛嬴は昭公潘を生み、密姫は懿公商人を生み、宋華子は公子雍を生む。桓公、管仲と孝公を宋の襄公に属し、以て太子と為す。雍巫、衛の共姫に寵有り、宦者豎刀に因りて以て厚く桓公に献じ、亦寵有り。桓公之に無詭を立つるを許す。管仲卒し、五公子皆立たんことを求む。冬十月乙亥、斉の桓公卒す。易牙入り、豎刀と内寵に因りて群吏を殺し、而して公子無詭を立てて君と為す。太子昭、宋に奔る。
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『管子』小稱朞年を處て、四子難を作し、公を一室に圍みて、出づるを得ず。一婦人有り、遂に竇從り入りて、公の所に至るを得たり。公曰く、「吾飢えて食らわんと欲し、渴して飲まんと欲するも、得可からず、其の故は何ぞや」と。婦人對えて曰く、「易牙・豎刁・堂巫・公子開方の四人齊國を分かち、塗十日通ぜざるなり。公子開方は書社七百を以て衛に下れり、食將に得ざらんとす」と。公曰く、「嗟兹たるかな、聖人の言長きかな。死者知る無くんば則ち已まん、若し知る有らば、吾何の面目ありて以て仲父を地下に見んや」と。乃ち素幭を援きて以て首を裹みて絶ゆ。死して十一日、蟲户より出でて乃ち桓公の死を知るなり、葬るに楊門の扇を以てす。桓公の身死して十一日、蟲户より出でて收められざりし所以の者は、賢を用うるを終えざるを以てなり。
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『韓非子』十過第十斉・衛の間は十日の行に過ぎず、開方君に事ふるが為に、君に適はんと欲するの故に、十五年帰りて其の父母に見えず、此れ人情に非ざるなり。其の父母を之れ親しまざるに、又能く君を親しまんや」と。公曰く、「然らば則ち易牙は何如」と。管仲曰く、「不可なり。夫れ易牙は君の為に味を主る、君の未だ嘗て食はざる所は唯だ人肉のみ、易牙其の子の首を蒸して之を進む、君の知る所なり。人の情は其の子を愛せざるは莫し、今其の子を蒸して以て君に膳を為す、其の子を愛せず、又安んぞ能く君を愛せんや」と。公曰く、「然らば則ち孰か可なる」と。管仲曰く、「隰朋可なり。其の人と為りや、中を堅くして外に廉、欲少なくして信多し。夫れ中を堅くすれば、則ち以て表と為すに足り、外に廉なれば、則ち以て大任すべく、欲少なければ、則ち能く其の衆に臨み、信多ければ、則ち能く隣国に親しむ。此れ覇者の佐なり、君其れ之を用ゐよ」と。君曰く、「諾」と。居ること一年余にして、管仲死し、君遂に隰朋を用ゐずして豎刁に与す。刁事に莅むこと三年、桓公南のかた堂阜に遊び、豎刁易牙・衛の公子開方及び大臣を率ゐて乱を為す。桓公渇餒して南門の寝・公守の室に死し、身死して三月収められず、虫戸より出づ。故に桓公の兵天下に横行し、五伯の長と為るも、卒に其の臣に弑せられて、高名を滅ぼし、天下の笑ひと為る者は、何ぞや。管仲を用ゐざるの過ちなり。故に曰く、過ちて忠臣に聴かず、独り其の意を行へば、則ち其の高名を滅ぼして人の笑ひと為るの始めなり。奚をか内に力を量らずと謂ふ。昔者秦の宜陽を攻むるや、韓氏急なり。公仲朋韓君に謂ひて曰く、「与国は恃むべからざるなり、豈に張儀に因りて和を秦に為すに如かんや。因りて賂ふに名都を以てして南のかた与に楚を伐たば、是れ患ひ秦に解けて害楚に交はるなり」と。公曰く、「善し」と。乃ち公仲の行を警し、将に西のかた秦と和せんとす。
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呂氏春秋・知接②管仲疾有り。桓公往きて之に問いて曰く、「仲父の疾病なり。將に何を以てか寡人に教えんとす。」管仲曰く、「齊の鄙人に諺有り、曰く、『居る者は載すること無く、行く者は埋むること無し。』今臣將に遠く行くこと有らんとす。胡ぞ以て問う可けん。」桓公曰く、「願わくは仲父の讓る無きことを。」管仲對えて曰く、「願わくは君の易牙・豎刀・常之巫・衛の公子啓方を遠ざけんことを。」公曰く、「易牙は其の子を烹て以て寡人を慊らしむ。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の子を愛せざるに非ざるなり。其の子に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公又曰く、「豎刀は自ら宮して以て寡人に近づく。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の身を愛せざるに非ざるなり。其の身に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公又曰く、「常之巫は死生を審らかにし、能く苛病を去る。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「死生は命なり。苛病は失なり。君、其の命に任じて、其の本を守らず、而して常之巫に恃む。彼將た此を以て為さざる無からん。」公又曰く、「衛の公子啓方は寡人に事うること十五年、其の父死するも敢て歸りて哭せず。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の父を愛せざるに非ざるなり。其の父に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公曰く、「諾。」管仲死し、盡く之を逐う。食甘からず、宮治まらず、苛病起こり、朝肅ならず。居ること三年、公曰く、「仲父亦た過たずや。孰か仲父之を盡くせりと謂うや。」是に於て皆復召して反す。明年、公病有り。常之巫中從り出でて曰く、「公將に某日を以て薨ぜんとす。」易牙・豎刀・常之巫相與に亂を作し、宮門を塞ぎ、高牆を築き、人を通さず。矯るに公の令を以てす。一婦人有り、垣を踰えて入り、公の所に至る。公曰く、「我食を欲す。」婦人曰く、「吾得る所無し。」公又曰く、「我飲を欲す。」婦人曰く、「吾得る所無し。」公曰く、「何の故ぞ。」對えて曰く、「常之巫中從り出でて曰く、『公將に某日を以て薨ぜんとす。』易牙・豎刀・常之巫相與に亂を作し、宮門を塞ぎ、高牆を築き、人を通さず。故に得る所無し。衛の公子啓方、書社四十を以て衛に下る。」公慨焉として歎じ、涕出でて曰く、「嗟乎。聖人の見る所、豈に遠からずや。若し死者知る有らば、我將た何の面目ありて以て仲父に見えん。」衣袂を蒙りて壽宮に絶えたり。蟲流れて戶より出づ。上蓋うに楊門の扇を以てす。三月葬らず。此れ卒に管仲の言を聽かざればなり。桓公、難を輕んじて管子を惡むに非ざるなり。由りて接すること無ければなり。由りて接する無く、固より其の忠言を卻けて、其の尊貴する所を愛するなり。
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『管子』小稱管仲病有り、桓公往きて之を問いて曰く、「仲父の病病めり、若し諱む可からずして此の病より起たずんば、仲父亦た將に何を以て寡人に詔げんとする」と。管仲對えて曰く、「君の臣に命ずる微くんば、故に臣且に之を謁げんとす。然りと雖も、君猶お行う能わざるなり」と。公曰く、「仲父寡人に東せよと命ずれば、寡人東し、寡人に西せよと令すれば、寡人西す。仲父の寡人に命ずる、寡人敢えて從わざらんや」と。管仲衣冠を攝して起ち、對えて曰く、「臣君の易牙・豎刁・堂巫・公子開方を逺ざけんことを願う。夫れ易牙は調和を以て公に事う、公曰く、惟だ嬰兒を烝すを未だ嘗めずと。是に於いて其の首子を烝して之を公に獻ず。人情其の子を愛せざるに非ざるなり、子すら之を愛せざれば、將た何ぞ公に有らんや。公は宫を喜びて妬む、豎刁自ら刑して公の為に内を治む。人情其の身を愛せざるに非ざるなり、身すら之を愛せざれば、將た何ぞ公に有らんや。公子開方は公に事うること十五年、歸りて其の親を視ず。齊・衛の間は、數日の行を容れず。臣之を聞く、務め為すこと久しからず、葢い虛しければ長からずと。其の生長からざる者は、其の死必ず終わらず」と。桓公曰く、「善し」と。
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『韓非子』難一第三十六将に天下を治めんとするに、庸主の易しとする所を釈てて、堯・舜の難しとする所を道ふは、未だ与に政を為す可からざるなり」と。管仲病有り、桓公往きて之を問ひて、曰く、「仲父病む、不幸にして大命に卒せば、将に奚を以て寡人に告げんとする」と。管仲曰く、「君の言微かりせば、臣故より将に之を謁せんとす。願はくは君竪刁を去り、易牙を除き、衛の公子開方を遠ざけよ。易牙は君の為に味を主る、君惟だ人肉のみ未だ嘗めず、易牙其の子の首を烝して之を進む。夫れ人情其の子を愛せざる莫し、今其の子を愛せず、安んぞ能く君を愛せん。君妬みて内を好む、竪刁自ら宮して以て内を治む。人情其の身を愛せざる莫し、身すら且つ愛せず、安んぞ能く君を愛せん。開方君に事ふること十五年、斉・衛の間は数日の行を容れず、其の母を弃て、久しく宦して帰らず、其の母すら愛せず、安んぞ能く君を愛せん。臣之を聞く、『矜偽は長からず、蓋虚は久しからず』と。願はくは君此の三子なる者を去れ」と。管仲卒に死す、桓公行はず。桓公死するに及び、蟲戸を出づるも葬られず。或ひと曰く、管仲の桓公に告ぐる所以の者は、度有る者の言に非ざるなり。竪刁・易牙を去る所以の者は、其の身を愛せずして、君の欲に適ふを以てなり。曰く、「其の身を愛せず、安んぞ能く君を愛せん」と。然らば則ち臣に死力を尽くして以て其の主の為にする者有らば、管仲将に用ひざらんとするなり。曰く、「其の死力を愛せず、安んぞ能く君を愛せん」と。是れ君をして忠臣を去らしめんと欲するなり。且つ其の身を愛せざるを以て其の君を愛せざるを度るは、是れ将に管仲の公子糾に死する能はざるを以て其の桓公に死せざるを度らんとするなり、是れ管仲も亦去る所の域に在り。明主の道は然らず、民の欲する所を設けて以て其の功を求む、故に爵禄を為りて以て之を勧む。民の悪む所を設けて以て其の姦を禁ず、故に刑罰を為りて以て之を威す。慶賞信にして刑罰必なり、故に君功を臣に挙げて姦上に用ひられず、竪刁有りと雖も、其れ君を奈何せん。

人生を、一行の式にしてみた。
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