説苑 / 權謀
管仲有疾,桓公往問之,曰:「仲父若棄寡人,豎刁可使從政乎?」對曰:「不可。豎刁自刑以求入君,其身之忍,將何有於君。」公曰:「然則易牙可乎?」對曰:「易牙解其子以食君,其子之忍,將何有於君,若用之必為諸侯笑。」及桓公歿,豎刁易牙乃作難。桓公死六十日,蟲出於戶而不收。
新字:管仲有疾,桓公往問之,曰:「仲父若棄寡人,豎刁可使従政乎?」対曰:「不可。豎刁自刑以求入君,其身之忍,将何有於君。」公曰:「然則易牙可乎?」対曰:「易牙解其子以食君,其子之忍,将何有於君,若用之必為諸侯笑。」及桓公歿,豎刁易牙乃作難。桓公死六十日,虫出於戸而不収。
書き下し
管仲疾有り、桓公往きて之を問ひて曰く、「仲父若し寡人を棄てなば、豎刁從政せしむべきか」と。對へて曰く、「不可なり。豎刁自ら刑して以て君に入るを求む。其の身をすら忍ぶ、將た君に何をか有らん」と。公曰く、「然らば則ち易牙可ならんか」と。對へて曰く、「易牙其の子を解きて以て君に食せしむ。其の子をすら忍ぶ、將た君に何をか有らん。若し之を用ゐば必ず諸侯の笑ひと爲らん」と。桓公歿するに及び、豎刁・易牙乃ち難を作す。桓公死して六十日、蟲戶より出でて收めず。
現代語訳
管仲が病に伏したとき、桓公が見舞いに訪れて尋ねた。「仲父よ、もしあなたが私を見捨てて逝かれたら、豎刁に政治を任せてもよいだろうか」と。管仲は答えた。「いけません。豎刁は自ら去勢してまで君に取り入ろうとした者です。自分自身の身体すら平気で傷つける者が、君のために何をなしましょうか」と。桓公が「それでは易牙はよいだろうか」と問うと、管仲は答えた。「易牙は自分の子を煮て君に食べさせた者です。自分の子すら平気で犠牲にする者が、君のために何をなしましょうか。もし彼を用いれば、必ず諸侯の物笑いの種になるでしょう」と。桓公が亡くなると、豎刁と易牙はたちまち内乱を起こした。桓公の亡骸は死後六十日にわたって放置され、遺体から蛆が戸口にまであふれ出ても、誰も収めようとしなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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呂氏春秋・知接②管仲疾有り。桓公往きて之に問いて曰く、「仲父の疾病なり。將に何を以てか寡人に教えんとす。」管仲曰く、「齊の鄙人に諺有り、曰く、『居る者は載すること無く、行く者は埋むること無し。』今臣將に遠く行くこと有らんとす。胡ぞ以て問う可けん。」桓公曰く、「願わくは仲父の讓る無きことを。」管仲對えて曰く、「願わくは君の易牙・豎刀・常之巫・衛の公子啓方を遠ざけんことを。」公曰く、「易牙は其の子を烹て以て寡人を慊らしむ。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の子を愛せざるに非ざるなり。其の子に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公又曰く、「豎刀は自ら宮して以て寡人に近づく。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の身を愛せざるに非ざるなり。其の身に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公又曰く、「常之巫は死生を審らかにし、能く苛病を去る。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「死生は命なり。苛病は失なり。君、其の命に任じて、其の本を守らず、而して常之巫に恃む。彼將た此を以て為さざる無からん。」公又曰く、「衛の公子啓方は寡人に事うること十五年、其の父死するも敢て歸りて哭せず。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の父を愛せざるに非ざるなり。其の父に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公曰く、「諾。」管仲死し、盡く之を逐う。食甘からず、宮治まらず、苛病起こり、朝肅ならず。居ること三年、公曰く、「仲父亦た過たずや。孰か仲父之を盡くせりと謂うや。」是に於て皆復召して反す。明年、公病有り。常之巫中從り出でて曰く、「公將に某日を以て薨ぜんとす。」易牙・豎刀・常之巫相與に亂を作し、宮門を塞ぎ、高牆を築き、人を通さず。矯るに公の令を以てす。一婦人有り、垣を踰えて入り、公の所に至る。公曰く、「我食を欲す。」婦人曰く、「吾得る所無し。」公又曰く、「我飲を欲す。」婦人曰く、「吾得る所無し。」公曰く、「何の故ぞ。」對えて曰く、「常之巫中從り出でて曰く、『公將に某日を以て薨ぜんとす。』易牙・豎刀・常之巫相與に亂を作し、宮門を塞ぎ、高牆を築き、人を通さず。故に得る所無し。衛の公子啓方、書社四十を以て衛に下る。」公慨焉として歎じ、涕出でて曰く、「嗟乎。聖人の見る所、豈に遠からずや。若し死者知る有らば、我將た何の面目ありて以て仲父に見えん。」衣袂を蒙りて壽宮に絶えたり。蟲流れて戶より出づ。上蓋うに楊門の扇を以てす。三月葬らず。此れ卒に管仲の言を聽かざればなり。桓公、難を輕んじて管子を惡むに非ざるなり。由りて接すること無ければなり。由りて接する無く、固より其の忠言を卻けて、其の尊貴する所を愛するなり。
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『管子』小稱管仲病有り、桓公往きて之を問いて曰く、「仲父の病病めり、若し諱む可からずして此の病より起たずんば、仲父亦た將に何を以て寡人に詔げんとする」と。管仲對えて曰く、「君の臣に命ずる微くんば、故に臣且に之を謁げんとす。然りと雖も、君猶お行う能わざるなり」と。公曰く、「仲父寡人に東せよと命ずれば、寡人東し、寡人に西せよと令すれば、寡人西す。仲父の寡人に命ずる、寡人敢えて從わざらんや」と。管仲衣冠を攝して起ち、對えて曰く、「臣君の易牙・豎刁・堂巫・公子開方を逺ざけんことを願う。夫れ易牙は調和を以て公に事う、公曰く、惟だ嬰兒を烝すを未だ嘗めずと。是に於いて其の首子を烝して之を公に獻ず。人情其の子を愛せざるに非ざるなり、子すら之を愛せざれば、將た何ぞ公に有らんや。公は宫を喜びて妬む、豎刁自ら刑して公の為に内を治む。人情其の身を愛せざるに非ざるなり、身すら之を愛せざれば、將た何ぞ公に有らんや。公子開方は公に事うること十五年、歸りて其の親を視ず。齊・衛の間は、數日の行を容れず。臣之を聞く、務め為すこと久しからず、葢い虛しければ長からずと。其の生長からざる者は、其の死必ず終わらず」と。桓公曰く、「善し」と。
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呂氏春秋・貴公③管仲、病有り。桓公往きて之に問いて曰く、「仲父の病めり、漬むこと甚だし、國人諱まず。寡人将た誰にか國を屬せん。」管仲對えて曰く、「昔者、臣力を盡くし智を竭くせしも、猶ほ未だ以て之を知るに足らざるなり。今病朝夕の中に在り。臣奚ぞ能く言わん。」桓公曰く、「此れ大事なり。願わくは仲父の寡人に教えんことを。」管仲敬みて諾す。曰く、「公誰をか相にせんと欲する。」公曰く、「鮑叔牙可ならんか。」管仲對えて曰く、「不可なり。夷吾、鮑叔牙と善し。鮑叔牙の人と為りや、清廉潔直、己に若かざる者を視れば人に比せず、一たび人の過ちを聞けば終身忘れず。」「已むこと勿くんば、則ち隰朋其れ可ならんか。」「隰朋の人と為りや、上志して下求し、黄帝に若かざるを醜じて己に若かざる者を哀れむ。其の國に於けるや聞かざること有り、其の物に於けるや知らざること有り、其の人に於けるや見ざること有り。已むこと勿からんか、則ち隰朋可なり。」夫れ相は大官なり。大官に處る者は、小察を欲せず、小智を欲せず。故に曰く、「大匠は斲らず、大庖は豆せず、大勇は鬭わず、大兵は寇せず。」桓公、公を行い私惡を去り、管子を用いて五伯の長と為る。私を行い愛する所に阿り、豎刁を用いて、蟲、戸より出づ。
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『管子』小稱朞年を處て、四子難を作し、公を一室に圍みて、出づるを得ず。一婦人有り、遂に竇從り入りて、公の所に至るを得たり。公曰く、「吾飢えて食らわんと欲し、渴して飲まんと欲するも、得可からず、其の故は何ぞや」と。婦人對えて曰く、「易牙・豎刁・堂巫・公子開方の四人齊國を分かち、塗十日通ぜざるなり。公子開方は書社七百を以て衛に下れり、食將に得ざらんとす」と。公曰く、「嗟兹たるかな、聖人の言長きかな。死者知る無くんば則ち已まん、若し知る有らば、吾何の面目ありて以て仲父を地下に見んや」と。乃ち素幭を援きて以て首を裹みて絶ゆ。死して十一日、蟲户より出でて乃ち桓公の死を知るなり、葬るに楊門の扇を以てす。桓公の身死して十一日、蟲户より出でて收められざりし所以の者は、賢を用うるを終えざるを以てなり。
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説苑・善說桓公仲父を立て、大夫を致して曰く、「吾を善しとする者は門に入りて右せよ、吾を善しとせざる者は門に入りて左せよ。」門に中して立つ者有り。桓公之に問う。對えて曰く、「管子の知は、與に天下を謀るべく、其の強は與に天下を取るべし。君其の信を恃むか。內政焉に委ね、外事焉に斷ず。民を驅りて之に歸せしむれば、是れ亦た奪うべきなり。」桓公曰く、「善し。」乃ち管仲に謂いて曰く、「政は則ち卒に子に歸せん。政の及ばざる所は、唯だ子是れ匡せ。」管仲故に三歸の臺を築き、以て自ら民に傷つく。
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『管子』戒桓公易牙・豎刁・衛の公子開方を去る。五味至らず、是に於いてか復た易牙を反す。宮中亂れ、復た豎刁を反す。利言卑辭側に在らず、復た衛の公子開方を反す。桓公内に力を量らず、外に交を量らずして、力めて四鄰を伐つ。公薨じ、六子皆立たんことを求む。易牙と衛の公子と、内は豎刁と、因りて共に羣吏を殺して公子無虧を立つ。故に公死して七日斂せず、九月葬らず。孝公宋に犇り、宋の襄公諸侯を率いて以て齊を伐ち、甗に戰い、大いに齊師を敗り、公子無虧を殺し、孝公を立てて還る。襄公立つこと十三年、桓公立つこと四十二年。