管子 / 君臣下
國之所以亂者四,其所以亡者二。内有疑妻之妾,此宫亂也。庶有疑嫡之子,此家亂也。朝有疑相之臣,此國亂也。任官無能,此衆亂也。四者無别,主失其體,羣官朋黨以懷其私,則失族矣。國之幾臣,隂約閉謀以相待也,則失援矣。失族於内,失援於外,此二亡也,故妻必定,子必正,相必直立以聽,官必中信以敬。故曰:有宫中之亂,有兄弟之亂,有大臣之亂,有中民之亂,有小人之亂,五者一作,則為人上者危矣。
新字:国之所以乱者四,其所以亡者二。内有疑妻之妾,此宮乱也。庶有疑嫡之子,此家乱也。朝有疑相之臣,此国乱也。任官無能,此衆乱也。四者無別,主失其体,羣官朋党以懐其私,則失族矣。国之幾臣,陰約閉謀以相待也,則失援矣。失族於内,失援於外,此二亡也,故妻必定,子必正,相必直立以聴,官必中信以敬。故曰:有宮中之乱,有兄弟之乱,有大臣之乱,有中民之乱,有小人之乱,五者一作,則為人上者危矣。
書き下し
國の亂るる所以の者四つ、其の亡ぶる所以の者二つ。内に妻に疑わしき妾有り、此れ宫の亂なり。庶に嫡に疑わしき子有り、此れ家の亂なり。朝に相に疑わしき臣有り、此れ國の亂なり。官に任ずるに能無し、此れ衆の亂なり。四者別無く、主其の體を失い、羣官朋黨して以て其の私を懷けば、則ち族を失う。國の幾臣、隂かに約し謀を閉じて以て相待たば、則ち援を失う。族を内に失い、援を外に失う、此れ二亡なり。故に妻は必ず定まり、子は必ず正しく、相は必ず直立して以て聽き、官は必ず中信にして以て敬す。故に曰く、宫中の亂有り、兄弟の亂有り、大臣の亂有り、中民の亂有り、小人の亂有り、五者一たび作れば、則ち人上たる者危うしと。
現代語訳
国が乱れるもとは四つ、滅びるもとは二つある。内に妻とまぎらわしい妾がいる。これが宮の乱である。庶子に嫡子とまぎらわしい子がいる。これが家の乱である。朝廷に宰相とまぎらわしい臣がいる。これが国の乱である。官に任じるのに能がない。これが衆の乱である。この四つに区別がなく、主がその体を失い、多くの官が徒党を組んで私を抱けば、身内を失う。国の枢要の臣がひそかに約束を交わし、はかりごとを閉じて機をうかがえば、助けを失う。内で身内を失い、外で助けを失う。これが二つの滅びである。だから妻は必ず定まり、子は必ず正しく、宰相は必ずまっすぐ立って聴き、官は必ず内に信を持って敬う。だから言う、宮中の乱があり、兄弟の乱があり、大臣の乱があり、中民の乱があり、小人の乱がある。この五つのうち一つでも起これば、上に立つ者は危うい、と。
解説
この章句が説くこと
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