管子 / 君臣上
是故有道之君,上有五官以牧其民,則衆不敢踰軌而行矣。下有五橫以揆其官,則有司不敢離法而使矣。朝有定度衡儀以尊主位,衣服緷絻盡有法度,則君體法而立矣。君據法而出令,有司奉命而行事,百姓順上而成俗,著久而為常,犯俗離敎者,衆共姦之,則為上者佚矣。天子出令於天下,諸侯受令於天子,大夫受令於君,子受令於父母,下聴其上,弟聴其兄,此至順矣。衡石一稱,斗斛一量,丈尺一綧制,戈兵一度,書同名,車同軌,此至正也。從順獨逆,從正獨辟,此猶夜有求而得火也。姦偽之人,無所伏矣,此先王之所以一民心也。
新字:是故有道之君,上有五官以牧其民,則衆不敢踰軌而行矣。下有五横以揆其官,則有司不敢離法而使矣。朝有定度衡儀以尊主位,衣服緷絻尽有法度,則君体法而立矣。君拠法而出令,有司奉命而行事,百姓順上而成俗,著久而為常,犯俗離教者,衆共姦之,則為上者佚矣。天子出令於天下,諸侯受令於天子,大夫受令於君,子受令於父母,下聴其上,弟聴其兄,此至順矣。衡石一称,斗斛一量,丈尺一綧制,戈兵一度,書同名,車同軌,此至正也。従順独逆,従正独辟,此猶夜有求而得火也。姦偽之人,無所伏矣,此先王之所以一民心也。
書き下し
是の故に有道の君は、上に五官有りて以て其の民を牧すれば、則ち衆敢えて軌を踰えて行かず。下に五橫有りて以て其の官を揆れば、則ち有司敢えて法を離れて使わず。朝に定度・衡儀有りて以て主位を尊び、衣服・緷絻盡く法度有れば、則ち君法に體して立つ。君法に據りて令を出だし、有司命を奉じて事を行い、百姓上に順いて俗を成し、著くこと久しくして常と為る。俗を犯し敎を離るる者は、衆共に之を姦とすれば、則ち上たる者佚なり。天子は令を天下に出だし、諸侯は令を天子に受け、大夫は令を君に受け、子は令を父母に受け、下は其の上を聴き、弟は其の兄を聴く、此れ至順なり。衡石は一稱、斗斛は一量、丈尺は一綧制、戈兵は一度、書は名を同じくし、車は軌を同じくす、此れ至正なり。順に從いて獨り逆らい、正に從いて獨り辟なるは、此れ猶お夜に求むる有りて火を得るがごときなり。姦偽の人、伏する所無し、此れ先王の民心を一にする所以なり。
現代語訳
だから道ある君は、上に五官を置いて民を牧すれば、人々はあえて軌を越えて動かない。下に五横を置いて官をはかれば、役人はあえて法を離れて人を使わない。朝廷に定まった度と秤の儀があって主の位を尊び、衣服や冠にすべて法度があれば、君は法を体として立つ。君は法によって令を出し、役人は命を奉じて事を行い、民は上に従って習わしを作り、それが長く定着して常となる。習わしを破り教えを離れる者は、みなが揃ってよこしまと見なす。そうなれば上に立つ者は楽である。天子は令を天下に出し、諸侯は令を天子から受け、大夫は令を君から受け、子は令を父母から受け、下は上に聴き、弟は兄に聴く。これが至って順である。秤の石は一つの称、枡と斛は一つの量、丈と尺は一つの制、戈と兵は一つの度、書は名を同じくし、車は軌を同じくする。これが至って正である。みなが順であるなかで一人だけ逆らい、みなが正であるなかで一人だけ外れるのは、夜に探しものがあって火を得るようなものである。偽りの人は隠れる場所がない。これが先王が民の心を一つにしたやり方である。
解説
この章句が説くこと
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史記 秦本紀荘襄王の元年、大いに罪人を赦し、先王の功臣を修め、徳を施し骨肉を厚くして恵を民に布く。東周の君諸侯と秦を謀る。秦相国呂不韋をして之を誅せしめ、尽く其の国を入る。秦其の祀を絶たず、陽人の地を以て周の君に賜ひ、其の祭祀を奉ぜしむ。蒙驁をして韓を伐たしむ。韓成皋・鞏を献ず。秦の界大梁に至り、初めて三川郡を置く。二年、蒙驁をして趙を攻めしめ、太原を定む。三年、蒙驁魏の高都・汲を攻め、之を抜く。趙の楡次・新城・狼孟を攻め、三十七城を取る。四月日食す。王齕上党を攻む。初めて太原郡を置く。魏の将無忌五国の兵を率ゐて秦を撃ち、秦河外に却く。蒙驁敗れ、解きて去る。五月丙午、荘襄王卒し、子政立つ。是を秦の始皇帝と為す。秦王政立ちて二十六年、初めて天下を并せて三十六郡と為し、号して始皇帝と為す。始皇帝立ちて十一年にして崩じ、子胡亥立つ。是を二世皇帝と為す。三年、諸侯并び起こりて秦に叛き、趙高二世を殺し、子嬰を立つ。子嬰立ちて月余にして、諸侯之を誅し、遂に秦を滅ぼす。其の語は始皇本紀の中に在り。太史公曰く、秦の先は嬴姓為り。其の後分封せられ、国を以て姓と為す。徐氏・郯氏・莒氏・終黎氏・運奄氏・菟裘氏・将梁氏・黄氏・江氏・修魚氏・白冥氏・蜚廉氏・秦氏有り。然れども秦は其の先の造父の趙城に封ぜらるるを以て、趙氏と為る。
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人生を、一行の式にしてみた。
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