管子 / 參患
凡人主者,猛毅則伐,懦弱則殺。猛毅者何也?輕誅殺人之謂猛毅。懦弱者何也?重誅殺人之謂懦弱。此皆有失彼此。凡輕誅者殺不辜,而重誅者失有辠故上殺不辜,則道正者不安;上失有罪,則行邪者不變。道正者不安,則才能之人去亡;行邪者不變,則羣臣朋黨。才能之人去亡,則宜有外難;羣臣朋黨,則宜有内亂。故曰:猛毅者伐,懦弱者殺也。
新字:凡人主者,猛毅則伐,懦弱則殺。猛毅者何也?軽誅殺人之謂猛毅。懦弱者何也?重誅殺人之謂懦弱。此皆有失彼此。凡軽誅者殺不辜,而重誅者失有辠故上殺不辜,則道正者不安;上失有罪,則行邪者不変。道正者不安,則才能之人去亡;行邪者不変,則羣臣朋党。才能之人去亡,則宜有外難;羣臣朋党,則宜有内乱。故曰:猛毅者伐,懦弱者殺也。
書き下し
凡そ人主なる者は、猛毅なれば則ち伐たれ、懦弱なれば則ち殺さる。猛毅なる者は何ぞや。輕がるしく誅して人を殺す、之を猛毅と謂う。懦弱なる者は何ぞや。誅を重んじて人を殺す、之を懦弱と謂う。此れ皆彼此を失う有り。凡そ輕がるしく誅する者は不辜を殺し、而して誅を重んずる者は有罪を失う。故に上不辜を殺せば、則ち道正しき者安んぜず。上有罪を失えば、則ち行い邪なる者變ぜず。道正しき者安んぜざれば、則ち才能の人去り亡ぶ。行い邪なる者變ぜざれば、則ち羣臣朋黨す。才能の人去り亡ぶれば、則ち宜しく外難有るべし。羣臣朋黨すれば、則ち宜しく内亂有るべし。故に曰く、猛毅なる者は伐たれ、懦弱なる者は殺さるるなり。
現代語訳
およそ君主は、荒々しく激しければ討たれ、気弱であれば殺される。荒々しく激しいとは何か。軽々しく誅して人を殺すのを猛毅という。気弱とは何か。誅を重く見て人を殺せずにいるのを懦弱という。どちらもあちらとこちらを外している。軽々しく誅する者は罪なき者を殺し、誅を重く見る者は罪ある者を取り逃がす。上が罪なき者を殺せば、まっすぐな道の者は安んじられない。上が罪ある者を取り逃がせば、邪な行いをする者は改まらない。まっすぐな道の者が安んじられなければ、才ある人は去っていく。邪な者が改まらなければ、群臣は徒党を組む。才ある人が去れば、外から難が来る。群臣が徒党を組めば、内に乱が起こる。だから言う、荒々しく激しい者は討たれ、気弱な者は殺される、と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『甲陽軍鑑』品第十四一上の剛强成る男の仕形は、平生も陣の時は猶ほ以て人にもかまはず働き、前にも我しはざを分別にて工夫し、其塲へ出ては機のきいたる才覚を以て手抦をせんと思ふより、人にも一円搆はぬ者なり、二中の機のきいたる男は上の人に負けまじと機をきいて馳り廻り、上の人におとりて見へぬ者なり、三下の男は只の儀もなく上中の人がゆかば、我等もまいらんとて、ふたりの人に目をつけてつきそひまはる者なり、四其外の男は皆人なみと申すなり、上の男は侍百人の中にふたり、中の男は百人の内に六人、下の男は百人の中に十二人、残て八十人は並なり、
-
『徂徠先生答問書』卷中されば人々如此心懸候故、見え兼るもことわりにて候。足下も御先祖様の時代の事御聞可被成候。今の世より見候へば、其時分に名を申候能人と申候は皆疵物にて候。是別の子細に無御座候。其時分はぬり隠し申候事無御座候故、疵見え申候。疵見え申候得ば、人才は見え申候。今時も世上の悪俗に染不申候人は疵多く御座候間、疵物にならでは人才はなき物と被思召、疵物の内にて御ゑらび可被成候。疵もなく才も長じ候人を御尋候はゞ、最前申候御物ずきの注文と申物にて、疵なき人は郷原か巧言令色か扨は庸人と可被思召候。以上。
-
尉繚子・武議兵を起こして直ちに甲冑をして蟣蝨(きしつ)を生ぜしむる者は、必ず吾が効用を為す所なり。鷙鳥の雀を逐ふに、人の懐を襲ひ、人の室に入る者有るは、生を出だすに非ざるなり、後ろに憚る有ればなり。太公望、年七十にして、牛を朝歌に屠り、食を盟津に売り、七十余を過ぐるも主聴かず、人人之を狂夫と謂ふなり。文王に遇ふに及びては、則ち三万の衆を提げ、一戦して天下定まる、武議に非ずんば安くんぞ能く此に合はんや。故に曰く、
-
『政談』官位爵祿の次第並に勳階頭助允目の事且又役人を年久しく役換をさせねは、述懐することなく、其の役に器量相応にて、能く役儀のことを取り捌く人を外の役に替ふることは惜きことなり、是によりて一役に久しく仕置きて役換を申付ぬ時、加增か官位この外仕方なし、是上より下へ賜はりて下たるものに、勇まする道具少き故人を使ふに行支なるなり、町奉行、盗賊奉行なとをする人、役儀を能く勤めて外の役に換へ措しけれと、加增も度々はやられす、是非なく大目付などに役換をさせて、外の人を後役に申付たるとき、幾人申付けても初め大目付に役換をさせたる人の如き人なからんとき、又其人を元役に返すこと後へ歩むことなれは申付け難し、是は譬なり、外の役儀にも箇様なることあるへし、此差支皆な一役一席に立てたるより起りたるなり、
-
『韓非子』難二第三十七桓公曰く、「吾聞く、人に君たる者は人を索むるに労し、人を使うに佚すと。吾仲父を得ること已に難し。仲父を得るの後、何為れぞ易からざらんや。」
-
『甲陽軍鑑』品第十一一年前代駿河にて今川義元公の時、山本勘介三河国牛くほより今川殿へ奉公の望に参るといへども、彼山本勘介散々夫男にて、其上一眼指も不叶、足はちんばなり、然れども大剛の者なれば義元公へめしおかるゝ様にと広原勘介が宿成る故、おとなの朝比奈兵衛の尉をもつて申上げるは、彼の山本勘介大剛の者なり、殊更城とり陣取り一切の軍法を能く鍛練いたす、京流の兵法も上手なり、軍配をも存知仕つりたる者なりと申せとも、義元公かこへましまさず、駿河にてモヽ味の人の取りがといの山形は第一片輪者数取り服なり其法は其最を人数もとたずして何とて左様の義存ぜん、今川殿へ奉公に出て度きとて虚言を云ふなりと各申すにより、

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る