管子 / 戒
管仲曰:「夫江、黃之國近於楚,為臣死乎,君必歸之楚而寄之。君不歸楚,必私之,私之而不救也則不可,救之則亂自此始矣。」桓公曰:「諾。」管仲又言曰:「東郭有狗嘊嘊,旦暮欲齧,我猳而不使也。今夫易牙,子之不能愛,將安能愛君?君必去之。」公曰:「諾。」管子又言曰:「北郭有狗嘊嘊,旦暮欲齧,我猳而不使也。今夫豎刁,其身之不愛,焉能愛君?君必去之。」公曰:「諾。」管子又言曰:「西郭有狗嘊嘊,旦暮欲齧,我猳而不使也。今夫衛公子開方,去其千乘之太子而臣事君,是所願也得於君者,是將欲過其千乘也。君必去之。」桓公曰:「諾。」管子遂卒。卒十月,隰朋亦卒。
新字:管仲曰:「夫江、黄之国近於楚,為臣死乎,君必帰之楚而寄之。君不帰楚,必私之,私之而不救也則不可,救之則乱自此始矣。」桓公曰:「諾。」管仲又言曰:「東郭有狗嘊嘊,旦暮欲齧,我猳而不使也。今夫易牙,子之不能愛,将安能愛君?君必去之。」公曰:「諾。」管子又言曰:「北郭有狗嘊嘊,旦暮欲齧,我猳而不使也。今夫豎刁,其身之不愛,焉能愛君?君必去之。」公曰:「諾。」管子又言曰:「西郭有狗嘊嘊,旦暮欲齧,我猳而不使也。今夫衛公子開方,去其千乗之太子而臣事君,是所願也得於君者,是将欲過其千乗也。君必去之。」桓公曰:「諾。」管子遂卒。卒十月,隰朋亦卒。
書き下し
管仲曰く、「夫れ江・黃の國は楚に近し、臣の為に死せば、君必ず之を楚に歸して之を寄せよ。君楚に歸せずんば、必ず之を私す、之を私して救わざれば則ち不可なり、之を救えば則ち亂此より始まらん」と。桓公曰く、「諾」と。管仲又た言いて曰く、「東郭に狗有り嘊嘊たり、旦暮に齧まんと欲す、我猳して使わざるなり。今夫れ易牙は、子を之れ愛する能わず、將に安んぞ能く君を愛せんや。君必ず之を去れ」と。公曰く、「諾」と。管子又た言いて曰く、「北郭に狗有り嘊嘊たり、旦暮に齧まんと欲す、我猳して使わざるなり。今夫れ豎刁は、其の身をだに之れ愛せず、焉んぞ能く君を愛せんや。君必ず之を去れ」と。公曰く、「諾」と。管子又た言いて曰く、「西郭に狗有り嘊嘊たり、旦暮に齧まんと欲す、我猳して使わざるなり。今夫れ衛の公子開方は、其の千乘の太子を去りて臣として君に事う、是れ願う所にして君に得る者は、是れ將に其の千乘に過ぎんと欲するなり。君必ず之を去れ」と。桓公曰く、「諾」と。管子遂に卒す。卒して十月、隰朋も亦た卒す。
現代語訳
管仲が言った、江と黄の国は楚に近い。私が死んだら、君は必ずこれを楚に帰して預けなさい。君が楚に帰さなければ、必ず自分のものにしてしまう。自分のものにして救わなければいけないし、救えば乱がそこから始まります。桓公は承知した。管仲がまた言った、東の郭に犬がいて牙をむき、朝も夕も噛みつこうとしている。私は繋いで使わずにおきました。いまの易牙は、自分の子さえ愛せなかった。どうして君を愛せましょう。君は必ずこれを退けなさい。公は承知した。管子がまた言った、北の郭に犬がいて牙をむき、朝も夕も噛みつこうとしている。私は繋いで使わずにおきました。いまの豎刁は、自分の身さえ愛さない。どうして君を愛せましょう。君は必ずこれを退けなさい。公は承知した。管子がまた言った、西の郭に犬がいて牙をむき、朝も夕も噛みつこうとしている。私は繋いで使わずにおきました。いまの衛の公子開方は、千乗の太子の位を捨てて臣として君に仕えている。願って君から得ようとしているのは、その千乗を上回るものです。君は必ずこれを退けなさい。桓公は承知した。管子はそのまま亡くなった。亡くなって十か月、隰朋もまた亡くなった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『管子』小稱管仲病有り、桓公往きて之を問いて曰く、「仲父の病病めり、若し諱む可からずして此の病より起たずんば、仲父亦た將に何を以て寡人に詔げんとする」と。管仲對えて曰く、「君の臣に命ずる微くんば、故に臣且に之を謁げんとす。然りと雖も、君猶お行う能わざるなり」と。公曰く、「仲父寡人に東せよと命ずれば、寡人東し、寡人に西せよと令すれば、寡人西す。仲父の寡人に命ずる、寡人敢えて從わざらんや」と。管仲衣冠を攝して起ち、對えて曰く、「臣君の易牙・豎刁・堂巫・公子開方を逺ざけんことを願う。夫れ易牙は調和を以て公に事う、公曰く、惟だ嬰兒を烝すを未だ嘗めずと。是に於いて其の首子を烝して之を公に獻ず。人情其の子を愛せざるに非ざるなり、子すら之を愛せざれば、將た何ぞ公に有らんや。公は宫を喜びて妬む、豎刁自ら刑して公の為に内を治む。人情其の身を愛せざるに非ざるなり、身すら之を愛せざれば、將た何ぞ公に有らんや。公子開方は公に事うること十五年、歸りて其の親を視ず。齊・衛の間は、數日の行を容れず。臣之を聞く、務め為すこと久しからず、葢い虛しければ長からずと。其の生長からざる者は、其の死必ず終わらず」と。桓公曰く、「善し」と。
-
呂氏春秋・知接②管仲疾有り。桓公往きて之に問いて曰く、「仲父の疾病なり。將に何を以てか寡人に教えんとす。」管仲曰く、「齊の鄙人に諺有り、曰く、『居る者は載すること無く、行く者は埋むること無し。』今臣將に遠く行くこと有らんとす。胡ぞ以て問う可けん。」桓公曰く、「願わくは仲父の讓る無きことを。」管仲對えて曰く、「願わくは君の易牙・豎刀・常之巫・衛の公子啓方を遠ざけんことを。」公曰く、「易牙は其の子を烹て以て寡人を慊らしむ。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の子を愛せざるに非ざるなり。其の子に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公又曰く、「豎刀は自ら宮して以て寡人に近づく。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の身を愛せざるに非ざるなり。其の身に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公又曰く、「常之巫は死生を審らかにし、能く苛病を去る。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「死生は命なり。苛病は失なり。君、其の命に任じて、其の本を守らず、而して常之巫に恃む。彼將た此を以て為さざる無からん。」公又曰く、「衛の公子啓方は寡人に事うること十五年、其の父死するも敢て歸りて哭せず。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の父を愛せざるに非ざるなり。其の父に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公曰く、「諾。」管仲死し、盡く之を逐う。食甘からず、宮治まらず、苛病起こり、朝肅ならず。居ること三年、公曰く、「仲父亦た過たずや。孰か仲父之を盡くせりと謂うや。」是に於て皆復召して反す。明年、公病有り。常之巫中從り出でて曰く、「公將に某日を以て薨ぜんとす。」易牙・豎刀・常之巫相與に亂を作し、宮門を塞ぎ、高牆を築き、人を通さず。矯るに公の令を以てす。一婦人有り、垣を踰えて入り、公の所に至る。公曰く、「我食を欲す。」婦人曰く、「吾得る所無し。」公又曰く、「我飲を欲す。」婦人曰く、「吾得る所無し。」公曰く、「何の故ぞ。」對えて曰く、「常之巫中從り出でて曰く、『公將に某日を以て薨ぜんとす。』易牙・豎刀・常之巫相與に亂を作し、宮門を塞ぎ、高牆を築き、人を通さず。故に得る所無し。衛の公子啓方、書社四十を以て衛に下る。」公慨焉として歎じ、涕出でて曰く、「嗟乎。聖人の見る所、豈に遠からずや。若し死者知る有らば、我將た何の面目ありて以て仲父に見えん。」衣袂を蒙りて壽宮に絶えたり。蟲流れて戶より出づ。上蓋うに楊門の扇を以てす。三月葬らず。此れ卒に管仲の言を聽かざればなり。桓公、難を輕んじて管子を惡むに非ざるなり。由りて接すること無ければなり。由りて接する無く、固より其の忠言を卻けて、其の尊貴する所を愛するなり。
-
『管子』戒管仲疾に寢ぬ、桓公往きて之を問う。曰く、「仲父の疾甚だし、若し諱む可からずんば、不幸にして此の疾より起たずんば、彼の政我將に安くにか之を移さんとす」と。管仲未だ對えず。桓公曰く、「鮑叔の人と為り何如」と。管仲對えて曰く、「鮑叔は、君子なり。千乘の國、其の道を以て之に予えざれば、受けざるなり。然りと雖も、以て政を為す可からず。其の人と為りや、善を好みて惡を惡むこと已甚だし、一惡を見れば終身忘れず」と。桓公曰く、「然らば則ち孰か可なる」と。管仲對えて曰く、「隰朋可なり。朋の人と為り、上に識るを好みて下に問う。臣之を聞く、德を以て人に予うるを之を仁と謂い、財を以て人に予うるを之を良と謂う。善を以て人に勝つ者は、未だ能く人を服する者有らざるなり。善を以て人を養う者は、未だ人を服せざる者有らざるなり。國に於いて政を知らざる所有り、家に於いて事を知らざる所有り、必ず則ち朋か。且つ朋の人と為りや、其の家に居りて公門を忘れず、公門に居りて其の家を忘れず、君に事えて其の心を二にせず、亦た其の身を忘れず。齊國の幣を舉げ、路家五十室を握るも、其の人知らざるなり。大仁なるかな、其れ朋か」と。
-
『管子』戒桓公易牙・豎刁・衛の公子開方を去る。五味至らず、是に於いてか復た易牙を反す。宮中亂れ、復た豎刁を反す。利言卑辭側に在らず、復た衛の公子開方を反す。桓公内に力を量らず、外に交を量らずして、力めて四鄰を伐つ。公薨じ、六子皆立たんことを求む。易牙と衛の公子と、内は豎刁と、因りて共に羣吏を殺して公子無虧を立つ。故に公死して七日斂せず、九月葬らず。孝公宋に犇り、宋の襄公諸侯を率いて以て齊を伐ち、甗に戰い、大いに齊師を敗り、公子無虧を殺し、孝公を立てて還る。襄公立つこと十三年、桓公立つこと四十二年。
-
説苑・權謀管仲疾有り、桓公往きて之を問ひて曰く、「仲父若し寡人を棄てなば、豎刁從政せしむべきか」と。對へて曰く、「不可なり。豎刁自ら刑して以て君に入るを求む。其の身をすら忍ぶ、將た君に何をか有らん」と。公曰く、「然らば則ち易牙可ならんか」と。對へて曰く、「易牙其の子を解きて以て君に食せしむ。其の子をすら忍ぶ、將た君に何をか有らん。若し之を用ゐば必ず諸侯の笑ひと爲らん」と。桓公歿するに及び、豎刁・易牙乃ち難を作す。桓公死して六十日、蟲戶より出でて收めず。
-
呂氏春秋・貴公③管仲、病有り。桓公往きて之に問いて曰く、「仲父の病めり、漬むこと甚だし、國人諱まず。寡人将た誰にか國を屬せん。」管仲對えて曰く、「昔者、臣力を盡くし智を竭くせしも、猶ほ未だ以て之を知るに足らざるなり。今病朝夕の中に在り。臣奚ぞ能く言わん。」桓公曰く、「此れ大事なり。願わくは仲父の寡人に教えんことを。」管仲敬みて諾す。曰く、「公誰をか相にせんと欲する。」公曰く、「鮑叔牙可ならんか。」管仲對えて曰く、「不可なり。夷吾、鮑叔牙と善し。鮑叔牙の人と為りや、清廉潔直、己に若かざる者を視れば人に比せず、一たび人の過ちを聞けば終身忘れず。」「已むこと勿くんば、則ち隰朋其れ可ならんか。」「隰朋の人と為りや、上志して下求し、黄帝に若かざるを醜じて己に若かざる者を哀れむ。其の國に於けるや聞かざること有り、其の物に於けるや知らざること有り、其の人に於けるや見ざること有り。已むこと勿からんか、則ち隰朋可なり。」夫れ相は大官なり。大官に處る者は、小察を欲せず、小智を欲せず。故に曰く、「大匠は斲らず、大庖は豆せず、大勇は鬭わず、大兵は寇せず。」桓公、公を行い私惡を去り、管子を用いて五伯の長と為る。私を行い愛する所に阿り、豎刁を用いて、蟲、戸より出づ。