管子 / 霸言
夫輕重彊弱之形,諸侯合則彊,孤則弱。驥之材而百馬伐之,驥必罷矣。彊最一伐而天下共之,國必弱矣。彊國得之也以收小,其失之也以恃彊。小國得之也以制節,其失之也以離彊。夫國小大有謀,彊弱有形。服近而彊逺,王國之形也。合小以攻大,敵國之形也。以負海攻負海,中國之形也。折節事彊以避罪,小國之形也。
新字:夫軽重彊弱之形,諸侯合則彊,孤則弱。驥之材而百馬伐之,驥必罷矣。彊最一伐而天下共之,国必弱矣。彊国得之也以収小,其失之也以恃彊。小国得之也以制節,其失之也以離彊。夫国小大有謀,彊弱有形。服近而彊遠,王国之形也。合小以攻大,敵国之形也。以負海攻負海,中国之形也。折節事彊以避罪,小国之形也。
書き下し
夫れ輕重彊弱の形は、諸侯合すれば則ち彊く、孤なれば則ち弱し。驥の材にして百馬之を伐たば、驥必ず罷れん。彊最も一たび伐ちて天下之を共にせば、國必ず弱からん。彊國の之を得るや小を收むるを以てし、其の之を失うや彊を恃むを以てす。小國の之を得るや節を制するを以てし、其の之を失うや彊に離るるを以てす。夫れ國小大に謀有り、彊弱に形有り。近きを服して遠きを彊むるは、王國の形なり。小を合わせて以て大を攻むるは、敵國の形なり。負海を以て負海を攻むるは、中國の形なり。節を折りて彊に事えて以て罪を避くるは、小國の形なり。
現代語訳
軽い重い、強い弱いのありようは、諸侯が合わされば強く、孤立すれば弱い。駿馬ほどの素質があっても、百頭の馬がこれを討てば、駿馬は必ず疲れ果てる。強さが並外れて一度討ちに出れば天下がこぞってこれに当たり、その国は必ず弱くなる。強い国がそれを得るのは小さい国を収めることによってであり、それを失うのは強さを頼むことによってである。小さい国がそれを得るのは節度を保つことによってであり、それを失うのは強い国から離れることによってである。国には大小に応じたはかりごとがあり、強弱に応じたありようがある。近くを服させて遠くを強めるのは、王たる国のありようである。小さい者を合わせて大きい者を攻めるのは、敵対する国のありようである。海を背にした国が海を背にした国を攻めるのは、中原の国のありようである。節を曲げて強い国に仕え罪を避けるのは、小さい国のありようである。
解説
この章句が説くこと
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『学問のすゝめ』十六編・心事と働きと相当すべきの論・みだりに人を軽蔑する者はまた心事高尚にして働きに乏しき者は、人に厭われて孤立することあり。己が働きと他人の働きとを比較すればもとより及ぶべきにあらざれども、己が心事をもって他の働きを見れば、これに満足すべからずして、おのずから私に軽蔑の念なきを得ず。みだりに人を軽蔑する者は、必ずまた人の軽蔑を免るべからず。互いに相不平をいだき、互いに相蔑視して、ついには変人奇物の嘲りを取り、世間に歯すべからざるに至るものなり。今日世の有様を見るにあるいは傲慢不遜にして人に厭わるる者あり、あるいは人に勝つことを欲して人に厭わるる者あり、あるいは人に多を求めて人に厭わるる者あり、あるいは人を誹謗して人に厭わるる者あり。いずれもみな人に対して比較するところを失い、己が高尚なる心事をもって標的となし、これに照らすに他の働きをもってして、その際に恍惚たる想像を造り、もって人に厭わるるの端を開き、ついにみずから人を避けて独歩孤立の苦界に陥る者なり。
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『呻吟語』内篇・問學・根腳站立し住まらず道學の行はれざるは、只だ自家の根腳站立し住まらざるが為なり。或いは倡へて和せざれば、則ち勢孤なり。或いは守りて眾撓せば、則ち志惑ふ。或いは為して成らざれば、則ち氣沮む。或いは風俗に奪はるれば、則ち念雜なり。挺身自ら拔かんと要せば、須らく是れ萬夫も當たる莫きの勇、死して後已むの心有るべし。然らずんば、終日三五聚談し、唇を焦がし舌を敝らすも、甚の事をか成し得ん。
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