管子 / 霸形
桓公曰:「善。然則若何?」管子對曰:「請興兵而南存宋、鄭,而令曰:無攻楚。言與楚王遇,至於遇上,而以鄭城與宋水為請。楚若許,則是我以文令也。楚若不許,則遂以武令焉。」桓公曰:「善。」於是遂興兵而南存宋、鄭,與楚王遇於召陵之上,而令於遇上曰:「毋貯粟,毋曲隄,無擅廢適子,無置妾以為妻。」因以鄭城與宋水為請於楚。楚人不許,遂退七十里而舎使軍人城鄭南之地,立百代城焉。曰:「自此而北,至於河者,鄭自城之。」而楚不敢隳也。東發宋田,夾兩川,使水復東流,而楚不敢塞也。遂南伐,及踰方城,濟於汝水,望汶山,南致楚、越之君,而西伐秦,北伐狄,東存晉公於南,北伐孤竹,還,存燕公。兵車之會六,乘車之會三,九合諸侯,反位已霸,修鍾磬而復樂。管子曰:「此臣之所謂樂也。」
新字:桓公曰:「善。然則若何?」管子対曰:「請興兵而南存宋、鄭,而令曰:無攻楚。言与楚王遇,至於遇上,而以鄭城与宋水為請。楚若許,則是我以文令也。楚若不許,則遂以武令焉。」桓公曰:「善。」於是遂興兵而南存宋、鄭,与楚王遇於召陵之上,而令於遇上曰:「毋貯粟,毋曲隄,無擅廃適子,無置妾以為妻。」因以鄭城与宋水為請於楚。楚人不許,遂退七十里而舎使軍人城鄭南之地,立百代城焉。曰:「自此而北,至於河者,鄭自城之。」而楚不敢隳也。東発宋田,夾両川,使水復東流,而楚不敢塞也。遂南伐,及踰方城,済於汝水,望汶山,南致楚、越之君,而西伐秦,北伐狄,東存晉公於南,北伐孤竹,還,存燕公。兵車之会六,乗車之会三,九合諸侯,反位已覇,修鍾磬而復楽。管子曰:「此臣之所謂楽也。」
書き下し
桓公曰く、「善し。然らば則ち若何」と。管子對えて曰く、「請う兵を興して南のかた宋・鄭を存し、而して令して曰わん、楚を攻むる無かれと。楚王と遇わんと言い、遇上に至りて、鄭城と宋水とを以て請と為さん。楚若し許さば、則ち是れ我文を以て令するなり。楚若し許さずんば、則ち遂に武を以て令せん」と。桓公曰く、「善し」と。是に於いて遂に兵を興して南のかた宋・鄭を存し、楚王と召陵の上に遇い、而して遇上に令して曰く、「粟を貯うる毋かれ、隄を曲ぐる毋かれ、擅に適子を廢する無かれ、妾を置きて以て妻と為す無かれ」と。因りて鄭城と宋水とを以て楚に請と為す。楚人許さず、遂に退くこと七十里にして舍し、軍人をして鄭南の地に城き、百代の城を焉に立てしむ。曰く、「此より北して、河に至る者は、鄭自ら之に城け」と。而して楚敢えて隳さざるなり。東のかた宋の田を發き、兩川を夾み、水をして復た東流せしむ、而して楚敢えて塞がざるなり。遂に南伐し、方城を踰ゆるに及び、汝水に濟り、汶山を望み、南のかた楚・越の君を致し、而して西のかた秦を伐ち、北のかた狄を伐ち、東のかた晉公を南に存し、北のかた孤竹を伐ち、還りて、燕公を存す。兵車の會六たび、乘車の會三たび、九たび諸侯を合わせ、位に反りて已に霸たり、鍾磬を修めて樂を復す。管子曰く、「此れ臣の所謂樂なり」と。
現代語訳
桓公が言った、よい。ではどうするか。管子が答えた、兵を起こして南へ行き宋と鄭を存続させ、そのうえで令を出しましょう、楚を攻めるな、と。楚王と会おうと申し入れ、会見の場で、鄭の城と宋の水を求めるのです。楚が許せば、我々は文によって令したことになります。楚が許さなければ、そのまま武によって令します。桓公は承知した。そこで兵を起こして南へ行き宋と鄭を存続させ、楚王と召陵で会見し、その場で令を出した。粟を溜め込むな、堤を曲げるな、勝手に跡継ぎを廃するな、側室を立てて妻とするな。そのうえで鄭の城と宋の水を楚に求めた。楚の人は許さなかった。そこで七十里退いて陣を構え、軍の者に鄭の南の地に城を築かせ、百代の城をそこに立てさせた。そして言った、ここから北、河に至るまでは、鄭が自分で城を築け。楚はあえて壊さなかった。東では宋の田を開き、二つの川を挟んで、水をふたたび東へ流させた。楚はあえてふさがなかった。そのまま南を討ち、方城を越え、汝水を渡り、汶山を望み、南は楚と越の君を招き、西は秦を討ち、北は狄を討ち、東は晋公を南で存続させ、北は孤竹を討ち、帰って燕公を存続させた。兵車の会が六度、乗車の会が三度、九度諸侯を集め、位に戻ってすでに覇となった。鐘と磬を整えて楽を復した。管子が言った、これが私のいう楽です。
解説
この章句が説くこと
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