管子 / 霸形
此其後,楚人攻宋、鄭,燒熯焚鄭地,使城壊者不得復築也,屋之燒者不得復葺也,令其人有喪雌雄,居室如鳥鼠處穴。要宋田夾塞兩川,使水不得東流,東山之西,水深滅垝,四百里而後可田也。楚欲吞宋、鄭而畏齊,曰思人衆兵彊能害己者必齊也,於是乎楚王號令於國中曰:「寡人之所明於人君者,莫如桓公;所賢於人臣者,莫如管仲。明其君而賢其臣,寡人願事之。誰能為我交齊者,寡人不愛封侯之君焉。」於是楚國之賢士,皆抱其重寳幣帛以事齊。桓公之左右,無不受重寳幣帛者。
新字:此其後,楚人攻宋、鄭,焼熯焚鄭地,使城壊者不得復築也,屋之焼者不得復葺也,令其人有喪雌雄,居室如鳥鼠処穴。要宋田夾塞両川,使水不得東流,東山之西,水深滅垝,四百里而後可田也。楚欲吞宋、鄭而畏斉,曰思人衆兵彊能害己者必斉也,於是乎楚王号令於国中曰:「寡人之所明於人君者,莫如桓公;所賢於人臣者,莫如管仲。明其君而賢其臣,寡人願事之。誰能為我交斉者,寡人不愛封侯之君焉。」於是楚国之賢士,皆抱其重寳幣帛以事斉。桓公之左右,無不受重寳幣帛者。
書き下し
此の其の後、楚人宋・鄭を攻め、燒熯して鄭の地を焚き、城の壞るる者をして復た築くを得ざらしめ、屋の燒くる者をして復た葺くを得ざらしむ。其の人をして雌雄を喪う有らしめ、居室鳥鼠の穴に處るが如し。宋の田を要し兩川を夾み塞ぎ、水をして東流するを得ざらしむ、東山の西、水深くして垝を滅ぼし、四百里にして而る後に田す可きなり。楚宋・鄭を吞まんと欲して齊を畏る、曰く人衆く兵彊くして能く己を害する者を思うに必ず齊なりと。是に於いてか楚王國中に號令して曰く、「寡人の人君に明なりと為す所の者は、桓公に如くは莫し。人臣に賢なりと為す所の者は、管仲に如くは莫し。其の君を明とし其の臣を賢とす、寡人之に事えんことを願う。誰か能く我が為に齊に交わらん者ぞ、寡人封侯の君を愛しまず」と。是に於いて楚國の賢士、皆な其の重寶幣帛を抱きて以て齊に事う。桓公の左右、重寶幣帛を受けざる者無し。
現代語訳
そののち、楚の人が宋と鄭を攻め、焼き払って鄭の地を焼き、城が壊れた者に二度と築かせず、屋根が焼けた者に二度と葺かせなかった。その人々に連れ合いを失わせ、住まいは鳥や鼠が穴にいるようになった。宋の田を押さえ、二つの川を挟んでふさぎ、水が東へ流れないようにした。東山の西では水が深く土手を覆い、四百里の先でようやく田が作れるほどだった。楚は宋と鄭を呑み込みたかったが斉を畏れた。人が多く兵が強くて自分を害せるのは必ず斉だ、と考えたからである。そこで楚王は国じゅうに号令して言った、私が君主として明るいと思うのは桓公に及ぶ者がない。臣として賢いと思うのは管仲に及ぶ者がない。その君を明とし、その臣を賢とする。私はこれに仕えたい。誰か私のために斉と交わりを結べる者はいないか。私は侯に封じることを惜しまない。そこで楚国の賢士はみな、重い宝と幣帛を抱いて斉に仕えた。桓公の左右で、重い宝と幣帛を受け取らない者はなかった。
解説
この章句が説くこと
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『管子』霸形是に於いて桓公管仲を召して曰く、「寡人之を聞く、人を善くする者は、人も亦た之を善くすと。今楚王の寡人を善くすること一に甚だし、寡人善くせざれば、將に道に拂わんとす、仲父何ぞ遂に楚に交わらざるや」と。管子對えて曰く、「不可なり。楚人宋・鄭を攻め、燒焫熯焚して鄭の地をし、城の壞るる者をして復た築くを得ざらしめ、屋の燒くる者をして復た葺くを得ざらしむ。人をして雌雄を喪う有らしめ、居室鳥鼠の穴に處るが如し。宋の田を要し兩川を夾み塞ぎ、水をして東流するを得ざらしむ、東山の西、水深くして垝を滅ぼし、四百里にして而る後に田す可きなり。楚宋・鄭を吞まんと欲し、人衆く兵彊くして能く己を害する者を思うに必ず齊なりと。是れ文を以て齊に克ちて、武を以て宋・鄭を取らんと欲するなり。楚宋・鄭を取りて禁ずるを知らざれば、是れ宋・鄭を失うなり。之を禁ずれば則ち是れ又た楚に信ならざるなり。知内に失し、兵外に困しむ、善舉に非ざるなり」と。
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『管子』霸形桓公曰く、「善し。然らば則ち若何」と。管子對えて曰く、「請う兵を興して南のかた宋・鄭を存し、而して令して曰わん、楚を攻むる無かれと。楚王と遇わんと言い、遇上に至りて、鄭城と宋水とを以て請と為さん。楚若し許さば、則ち是れ我文を以て令するなり。楚若し許さずんば、則ち遂に武を以て令せん」と。桓公曰く、「善し」と。是に於いて遂に兵を興して南のかた宋・鄭を存し、楚王と召陵の上に遇い、而して遇上に令して曰く、「粟を貯うる毋かれ、隄を曲ぐる毋かれ、擅に適子を廢する無かれ、妾を置きて以て妻と為す無かれ」と。因りて鄭城と宋水とを以て楚に請と為す。楚人許さず、遂に退くこと七十里にして舍し、軍人をして鄭南の地に城き、百代の城を焉に立てしむ。曰く、「此より北して、河に至る者は、鄭自ら之に城け」と。而して楚敢えて隳さざるなり。東のかた宋の田を發き、兩川を夾み、水をして復た東流せしむ、而して楚敢えて塞がざるなり。遂に南伐し、方城を踰ゆるに及び、汝水に濟り、汶山を望み、南のかた楚・越の君を致し、而して西のかた秦を伐ち、北のかた狄を伐ち、東のかた晉公を南に存し、北のかた孤竹を伐ち、還りて、燕公を存す。兵車の會六たび、乘車の會三たび、九たび諸侯を合わせ、位に反りて已に霸たり、鍾磬を修めて樂を復す。管子曰く、「此れ臣の所謂樂なり」と。
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『管子』大匡異日、公管仲に告げて曰く、「諸侯の間事無きを以て、小しく兵革を修めんと欲す」と。管仲曰く、「不可なり。百姓病めり、公先ず百姓に與えて其の兵を藏めよ。其の兵に厚きよりは、人に厚きに如かず。齊國の社稷未だ定まらず、公未だ人に始めずして兵に始む、外は諸侯に親しまれず、内は民に親しまれず」と。公曰く、「諾」と。政未だ行う有る能わず、二年、桓公彌々亂れ、又た管仲に告げて曰く、「兵を繕わんと欲す」と。管仲又た曰く、「不可なり」と。公聽かず、果たして兵を為す。桓公宋の夫人と船中に飲む、夫人船を蕩かして公を懼れしむ、公怒りて、之を出だす。宋受けて之を蔡侯に嫁せしむ。明年、公怒りて、管仲に告げて曰く、「宋を伐たんと欲す」と。管仲曰く、「不可なり。臣聞く内政修まらざれば、外事を舉ぐるも濟らずと」。公聽かず、果たして宋を伐つ。諸侯兵を興して宋を救い、大いに齊師を敗る。
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『管子』大匡五年、宋杞を伐つ。桓公管仲と鮑叔とに謂いて曰く、「夫れ宋は、寡人固より之を伐たんと欲す、諸侯を若何ともする無し。夫れ杞は、明王の後なり。今宋之を伐つ、予之を救わんと欲す、其れ可なるか」と。管仲對えて曰く、「不可なり。臣聞く内政の修まらざれば、外義を舉ぐるも信ぜられずと。君將に外義を舉げんとせば、行を以て之に先んぜば、則ち諸侯附かしむ可し」と。桓公曰く、「此に於いて救わずんば、後宋を伐つに以てする無し」と。管仲曰く、「諸侯の君は、土を貪らず。土を貪れば必ず兵に勤む、兵に勤むれば必ず民を病ましむ、民病めば則ち詐多し。夫れ詐は、密にして而る後に動く者勝つ、詐れば則ち民に信ぜられず。夫れ民に信ぜられざれば則ち亂内に動く、則ち身に危うし。是を以て古の人の先王の道を聞く者は、兵を競わず」と。
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『管子』小問桓公管仲に謂いて曰く、「吾大國の服せざる者を伐たんと欲す、奈何」と。管仲對えて曰く、「先ず四封の内を愛し、然る後に以て竟外の不善なる者を惡む可し。先ず卿大夫の家を定め、然る後に以て鄰の敵國を危うくす可し。是の故に先王は必ず置く有り、然る後に廢する有り。必ず利する有り、然る後に害する有り」と。桓公位に踐み、社に釁り禱を塞ぐを令す。祝鳬已疪胙を獻ず。祝して曰く、「君の苛疾を除かんこと、若の虚多くして實少なきと與にせん」と。桓公説ばず、目を瞑じて祝鳬已疪を視る。祝鳬已疪酒を授けて之を祭る。曰く、「又た君の若賢と與にせん」と。桓公怒り、將に之を誅せんとして未だせざるに、以て管仲に復す。管仲是に於いて桓公の以て霸たる可きを知る。
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『管子』輕重戊桓公管子に問いて曰く、「楚なる者は、山東の强國なり、其の人民は戰鬭の道に習う。兵を舉げて之を伐たば、恐らくは力の過ぐる能わず、楚に兵して、功は周に成らざらん。之を為すこと奈何」と。管子對えて曰く、「即ち戰鬬の道を以て之に與えん」と。公曰く、「何の謂いぞや」と。管子對えて曰く、「公其の鹿を貴く買え」と。桓公即ち百里の城を為り、人をして楚に之きて生鹿を買わしむ。楚の生鹿は一に當たりて八萬。管子即ち桓公をして民と輕重を通じ、榖の什の六を藏せしむ。左司馬伯公をして白徒を將いて莊山に錢を鑄しむ。中大夫王邑をして錢二千萬を載せ、生鹿を楚に求めしむ。楚王之を聞き、其の相に告げて曰く、「彼の金錢は、人の重んずる所なり、國の存する所以、明王の功有るを賞する所以なり。禽獸なる者は、羣害なり、明王の棄て逐う所なり。今齊は其の重寶を以て吾が羣害を貴く買う、則ち是れ楚の福なり。天且に齊を以て楚に私せんとするなり。子吾が民に告げ、急ぎ生鹿を求めて、以て齊の寶を盡くさしめよ」と。