管子 / 大匡
異日,公告管仲曰:「欲以諸侯之間無事也,小修兵革。」管仲曰:「不可。百姓病,公先與百姓而藏其兵。與其厚於兵,不如厚於人。齊國之社稷未定,公未始於人而始於兵,外不親於諸侯,内不親於民。」公曰:「諾。」政未能有行也,二年,桓公彌亂,又告管仲曰:「欲繕兵。」管仲又曰:「不可。」公不聴,果為兵。桓公與宋夫人飲船中,夫人蕩船而懼公,公怒,出之。宋受而嫁之蔡侯。明年,公怒,告管仲曰:「欲伐宋。」管仲曰:「不可。臣聞内政不修,外舉事不濟。」公不聴,果伐宋。諸侯興兵而救宋,大敗齊師。
新字:異日,公告管仲曰:「欲以諸侯之間無事也,小修兵革。」管仲曰:「不可。百姓病,公先与百姓而蔵其兵。与其厚於兵,不如厚於人。斉国之社稷未定,公未始於人而始於兵,外不親於諸侯,内不親於民。」公曰:「諾。」政未能有行也,二年,桓公弥乱,又告管仲曰:「欲繕兵。」管仲又曰:「不可。」公不聴,果為兵。桓公与宋夫人飲船中,夫人蕩船而懼公,公怒,出之。宋受而嫁之蔡侯。明年,公怒,告管仲曰:「欲伐宋。」管仲曰:「不可。臣聞内政不修,外舉事不済。」公不聴,果伐宋。諸侯興兵而救宋,大敗斉師。
書き下し
異日、公管仲に告げて曰く、「諸侯の間事無きを以て、小しく兵革を修めんと欲す」と。管仲曰く、「不可なり。百姓病めり、公先ず百姓に與えて其の兵を藏めよ。其の兵に厚きよりは、人に厚きに如かず。齊國の社稷未だ定まらず、公未だ人に始めずして兵に始む、外は諸侯に親しまれず、内は民に親しまれず」と。公曰く、「諾」と。政未だ行う有る能わず、二年、桓公彌々亂れ、又た管仲に告げて曰く、「兵を繕わんと欲す」と。管仲又た曰く、「不可なり」と。公聽かず、果たして兵を為す。桓公宋の夫人と船中に飲む、夫人船を蕩かして公を懼れしむ、公怒りて、之を出だす。宋受けて之を蔡侯に嫁せしむ。明年、公怒りて、管仲に告げて曰く、「宋を伐たんと欲す」と。管仲曰く、「不可なり。臣聞く内政修まらざれば、外事を舉ぐるも濟らずと」。公聽かず、果たして宋を伐つ。諸侯兵を興して宋を救い、大いに齊師を敗る。
現代語訳
別の日、公が管仲に告げた、諸侯のあいだに事がないうちに、少し軍備を整えたい。管仲が言った、いけません。民は疲れています。公はまず民に与えて、武器をしまいなさい。武器に厚くするより、人に厚くするほうがよい。斉国の社稷はまだ定まっていません。公はまだ人から始めずに兵から始めようとしている。外では諸侯に親しまれず、内では民に親しまれません。公は承知した。政はまだ行き渡らないうちに、二年たって桓公はいよいよ乱れ、また管仲に告げた、兵を整えたい。管仲はまた、いけませんと言った。公は聞かず、結局兵を整えた。桓公が宋から来た夫人と船中で酒を飲んだ。夫人が船を揺らして公を怖がらせた。公は怒って夫人を帰した。宋はこれを受け取り、蔡侯に嫁がせた。翌年、公は怒って管仲に告げた、宋を討ちたい。管仲が言った、いけません。私が聞くところ、内政が整わなければ、外で事を起こしても成りません。公は聞かず、結局宋を討った。諸侯が兵を起こして宋を救い、斉の軍を大敗させた。
解説
この章句が説くこと
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説苑・尊賢魏の文侯大夫に曲陽に觴す。飲酣にして、文侯喟然として歎じて曰く、「吾独り豫譲以て臣と為す無し」と。蹇重酒を挙げて進みて曰く、「臣請う君に浮せん」と。文侯曰く、「何を以てか」と。対えて曰く、「臣之を聞く、命有るの父母は孝子を知らず、道有るの君は忠臣を知らずと。夫れ豫譲の君は、亦何如なる哉」と。文侯曰く、「善し」と。浮を受けて之を飲み、嚼みて譲らず。曰く、「管仲鮑叔以て臣と為す無きが故に、豫譲の功有るなり」と。趙簡子曰く、「吾范中行氏の良臣を得んと欲す」と。史黶曰く、「安んぞ之を用いんや」と。簡子曰く、「良臣は、人の願う所なり、又何ぞ問わんや」と。曰く、「君以て良臣無きが故なり。夫れ君に事うる者は、過ちを諫めて可を薦め、善を章かにして否を替え、能を献じて賢を進む。朝夕善を誦し、敗るれば之を納れ、聴かるれば則ち進み、否らざれば則ち退く。今范中行氏の良臣は、其の君を匡相する能わずして、難に至らしむ。出でて外に在り、又入る能わず。亡びて之を棄つ、何ぞ良と為さん。若し棄てずんば、君安んぞ之を得ん。夫れ良将は其の君を営みて、其の位に復さしめ、死して而る後に止む、何ぞ来たると曰わんや。若し未だ能わずんば、乃ち良に非ざるなり」と。簡子曰く、「善し」と。
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『晏子春秋』雑下・景公祿晏子平陰與槁邑晏子願行三言以辭景公晏子に禄するに平陰と槁邑とを以てし、市に反る者十一社なり。晏子辞して曰く、「吾が君宮室を治むるを好み、民の力弊れたり。又盤遊玩好を好みて以て女子を飭り、民の財竭きたり。又師を興すを好み、民の死近し。其の力を弊らし、其の財を竭くし、其の死を近づく。下の其の上を疾むこと甚だし。此れ嬰の敢えて受けざる所以なり」と。公曰く、「是れ則ち可なり。然りと雖も、君子独り富と貴とを欲せざらんや」と。晏子曰く、「嬰聞く、人臣為る者は、君を先にして身を後にし、国を安んじて家を度り、君を宗として身を処くと。曷為れぞ独り富と貴とを欲せざらん」と。公曰く、「然らば則ち曷を以て夫子に禄せん」と。晏子対えて曰く、「君、漁塩を商し、関市は譏して征せず、耕す者は十に一を取り、刑罰を弛め、死に若たる者は刑し、刑に若たる者は罰し、罰に若たる者は免ぜよ。此の三言の若きは、嬰の禄にして、君の利なり」と。公曰く、「此の三言は、寡人事とする無し。請う、以て夫子に従わん」と。公既に若の三言を行い、人をして大国に問わしむ。大国の君曰く、「斉安し」と。人をして小国に問わしむ。小国の君曰く、「斉我に加えず」と。
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『不動智神妙録』諫言 其二 好む所の病然れば幾千人ありとても、自然の時、主人の用に立つ物は一人も不可有之、彼の一旦気に入りたる無智若輩の悪人は、元より心正しからざる者故、事に臨んて一命を捨てんと思ふ事、努々不可有、心正しからさるものゝ主の用に立ちたる事は、往昔より不承及ところなり、貴殿の弟子を御取立て被成にも、箇様の事有之由、苦々敷存候、是れ皆一片の数奇好む所より其病にひかれ、悪に落入るを知らざるなり、人は知らぬと思へども微より明かなるなしとて、我心に知れは、天地鬼神万民も知るなり、如是して国を保つ、誠に危き事にあらずや、然らば大不忠なりとこそ存候へ、
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『春秋左氏伝』隠公五年 公、魚を棠に観る五年春、公將に棠に如きて魚する者を觀んとす。臧僖伯諫めて曰く、「凡そ物の以って大事を講ずるに足らず、其の材の以って器用に備ふるに足らざれば、則ち君舉げず。君は、將に民を軌・物に納れんとする者なり。故に事を講じて以って軌量を度る、之を『軌』と謂ふ。材を取りて以って物采を章らかにする、之を『物』と謂ふ。軌ならず物ならざる、之を亂政と謂ふ。亂政亟々行はるるは、敗るる所以なり。故に春蒐・夏苗・秋獮・冬狩、皆農隙に於いて以って事を講ずるなり。三年にして兵を治め、入りて旅を振ひ、歸りて飲至し、以って軍實を數ふ。文章を昭らかにし、貴賤を明らかにし、等列を辨じ、少長を順にし、威儀を習ふなり。鳥獸の肉俎に登らず、皮革齒牙・骨角毛羽器に登らざれば、則ち公射ず、古の制なり。夫の山林川澤の實、器用の資、皁隸の事、官司の守の若きは、君の及ぶ所に非ざるなり」と。公曰く、「吾將に地を略せんとす」と。遂に往き、魚を陳ねて之を觀る。僖伯疾と稱して從はず。書して「公魚を棠に矢ぬ」と曰ふは、禮に非ざればなり、且つ地の遠きを言ふなり。曲沃の莊伯鄭人・邢人を以って翼を伐つ。王尹氏・武氏をして之を助けしむ。翼侯隨に奔る。夏、衛の桓公を葬る。衛亂る、是を以って緩し。
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『慎思録』巻之四堯舜湯武の天下に王たるや、其の政治豈に過失有らんや。然れども堯に敢諫の鼓有り、舜に誹謗の木有り、湯に司過の士有り、武王に戒慎の鞀有り。猶ほ自ら其の過ちを知ること能はざらんことを恐る。且つ其の臣に禹稷契皐陶伊尹萊朱周公太公望散宜生の諸聖賢有りて、輔相無しと為さず。然れども其の広く其の過ちを聞知せんと欲すること此の如し。今の学者の如きも、亦た当に博く聞き広く覧ることを要すべし。己の見を主として、其の聡明を掩蔽すべからず。
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『晏子春秋』外篇下・晏子死,景公哭之,稱:莫復陳告吾過/晏子沒,左右諛,弦章諫,景公賜之魚晏子死し、景公玉を操りて晏子の屍の上に加えて之を哭し、涕襟を沾す。章子諫めて曰く、「礼に非ざるなり」と。公曰く、「安んぞ礼を用いんや。昔者吾夫子と公阜の上に游び、一日にして三たび寡人に聴かれず。今其れ孰か能く然らんや。吾夫子を失えば則ち亡ぶ、何の礼か之れ有らん」と。免して哭し、哀しみ尽きて去る。晏子没して十有七年、景公諸大夫に酒を飲ましむ。公射て質を出で、堂上に善を唱うること、一口より出づるが若し。公色を作して太息し、弓矢を播つ。弦章入る。公曰く、「章よ、吾晏子を失いてより、今に於いて十有七年、未だ嘗て吾が不善を聞かず。今射て質を出づるに、善を唱うる者、一口より出づるが若し」と。弦章対えて曰く、「此れ諸臣の不肖なればなり。知は以て君の不善を知るに足らず、勇は以て君の顔色を犯すに足らず。然れども一有り。臣之を聞く、君之を好めば則ち臣之を服し、君之を嗜めば則ち臣之を食らうと。夫れ尺蠖は黄を食らえば則ち其の身黄に、蒼を食らえば則ち其の身蒼し。君其れ猶お諂人の言有るか」と。公曰く、「善し。今日の言、章は君たり、我は臣たり」と。是の時海人魚を入る。公五十乗を以て弦章に賜う。

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