管子 / 霸形
桓公曰:「善。」於是伐鍾磬之縣,併歌舞之樂,宫中虚無人。桓公曰:「寡人以伐鍾磬之縣,併歌舞之樂矣,請問所始,於國將為何行?」管子對曰:「宋伐杞,狄伐邢、衛,而君之不救也,臣請以慶。臣聞之,諸侯爭於彊者,勿與分於彊。今君何不定三君之處哉?」於是桓公曰:「諾。」因命以車百乘,卒千人,以緣陵封杞。車百乘,卒千人,以夷儀封邢。車五百乘,卒五千人,以楚丘封衛。桓公曰:「寡人以定三君之居處矣,今又將何行?」管子對曰:「臣聞諸侯貪於利,勿與分於利,君何不發虎豹之皮、文錦以使諸侯,令諸侯以縵帛、鹿皮報。」桓公曰:「諾。」於是以虎豹皮、文錦使諸侯,諸侯以縵帛、鹿皮報,則令固始行於天下矣。
新字:桓公曰:「善。」於是伐鍾磬之県,併歌舞之楽,宫中虚無人。桓公曰:「寡人以伐鍾磬之県,併歌舞之楽矣,請問所始,於国将為何行?」管子対曰:「宋伐杞,狄伐邢、衛,而君之不救也,臣請以慶。臣聞之,諸侯争於彊者,勿与分於彊。今君何不定三君之処哉?」於是桓公曰:「諾。」因命以車百乗,卒千人,以縁陵封杞。車百乗,卒千人,以夷儀封邢。車五百乗,卒五千人,以楚丘封衛。桓公曰:「寡人以定三君之居処矣,今又将何行?」管子対曰:「臣聞諸侯貪於利,勿与分於利,君何不発虎豹之皮、文錦以使諸侯,令諸侯以縵帛、鹿皮報。」桓公曰:「諾。」於是以虎豹皮、文錦使諸侯,諸侯以縵帛、鹿皮報,則令固始行於天下矣。
書き下し
桓公曰く、「善し」と。是に於いて鍾磬の縣を伐り、歌舞の樂を併せ、宮中虛しくして人無し。桓公曰く、「寡人以て鍾磬の縣を伐り、歌舞の樂を併せたり、請う問う始むる所、國に於いて將に何をか行わんとす」と。管子對えて曰く、「宋杞を伐ち、狄邢・衛を伐ちて、君の救わざるや、臣請う以て慶せん。臣之を聞く、諸侯彊きを爭う者には、與に彊きを分かつ勿かれと。今君何ぞ三君の處を定めざるや」と。是に於いて桓公曰く、「諾」と。因りて命ずるに車百乘、卒千人を以てし、縁陵を以て杞を封ず。車百乘、卒千人、夷儀を以て邢を封ず。車五百乘、卒五千人、楚丘を以て衛を封ず。桓公曰く、「寡人以て三君の居處を定めたり、今又た將に何をか行わんとす」と。管子對えて曰く、「臣聞く諸侯利を貪る者には、與に利を分かつ勿かれと。君何ぞ虎豹の皮、文錦を發して以て諸侯に使いせしめ、諸侯をして縵帛・鹿皮を以て報ぜしめざる」と。桓公曰く、「諾」と。是に於いて虎豹皮・文錦を以て諸侯に使いせしめ、諸侯縵帛・鹿皮を以て報ず、則ち令固より始めて天下に行わる。
現代語訳
桓公が言った、よい。そこで鐘と磬の架を切り、歌舞の楽をやめさせ、宮中はがらんとして人がいなくなった。桓公が言った、私は鐘と磬の架を切り、歌舞の楽をやめた。ではどこから始めるのか、国で何を行えばよいか。管子が答えた、宋が杞を討ち、狄が邢と衛を討ったのに君が救わなかったこと、私はこれをお祝いしたい。私はこう聞いています。強さを争う諸侯とは、強さを分け合うな、と。いま君はなぜ、三人の君の居どころを定めてやらないのですか。桓公は承知した。そこで車百乗と兵千人を与え、縁陵に杞を封じた。車百乗と兵千人で、夷儀に邢を封じた。車五百乗と兵五千人で、楚丘に衛を封じた。桓公が言った、私は三人の君の住まいを定めた。次は何を行うか。管子が答えた、私はこう聞いています。利を貪る諸侯とは、利を分け合うな、と。君はなぜ虎や豹の皮、模様のある錦を出して諸侯に使いさせ、諸侯には無地の帛や鹿の皮で返させないのですか。桓公は承知した。そこで虎豹の皮と錦で諸侯に使いさせ、諸侯は無地の帛と鹿の皮で返した。こうして令がはじめて天下に行われた。
解説
この章句が説くこと
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