管子 / 霸形
桓公在位,管仲、隰朋見,立有間,有貳鴻飛而過之。桓公歎曰:「仲父,今彼鴻鵠有時而南,有時而北,有時而往,有時而來,四方無逺,所欲至而至焉,非唯有羽翼之故,是以能通其意於天下乎?」管仲、隰朋不對。桓公曰:「二子何故不對?」管子對曰:「君有霸王之心,而夷吾非霸王之臣也,是以不敢對。」桓公曰:「仲父胡為然,盍不當言,寡人其有鄉乎?寡人之有仲父也,猶飛鴻之有羽翼也,若濟大水有舟楫也,仲父不一言敎寡人,寡人之有耳,將安聞道而得度哉?」管子對曰:「君若將欲霸王,舉大事乎,則必從其本事矣。」
新字:桓公在位,管仲、隰朋見,立有間,有貳鴻飛而過之。桓公嘆曰:「仲父,今彼鴻鵠有時而南,有時而北,有時而往,有時而来,四方無遠,所欲至而至焉,非唯有羽翼之故,是以能通其意於天下乎?」管仲、隰朋不対。桓公曰:「二子何故不対?」管子対曰:「君有覇王之心,而夷吾非覇王之臣也,是以不敢対。」桓公曰:「仲父胡為然,盍不当言,寡人其有鄉乎?寡人之有仲父也,猶飛鴻之有羽翼也,若済大水有舟楫也,仲父不一言教寡人,寡人之有耳,将安聞道而得度哉?」管子対曰:「君若将欲覇王,舉大事乎,則必従其本事矣。」
書き下し
桓公位に在り、管仲・隰朋見ゆ、立つこと間有り、貳鴻の飛びて之を過ぐる有り。桓公歎じて曰く、「仲父、今彼の鴻鵠は時有りて南し、時有りて北し、時有りて往き、時有りて來たる。四方遠き無く、至らんと欲する所に至る。唯だ羽翼有るの故のみに非ず、是を以て能く其の意を天下に通ずるか」と。管仲・隰朋對えず。桓公曰く、「二子何の故に對えざる」と。管子對えて曰く、「君に霸王の心有り、而して夷吾は霸王の臣に非ざるなり、是を以て敢えて對えず」と。桓公曰く、「仲父胡為れぞ然る、盍ぞ言に當たらざる、寡人其れ鄉かう有らんや。寡人の仲父有るは、猶お飛鴻の羽翼有るがごときなり、大水を濟るに舟楫有るが若きなり。仲父一言も寡人に教えずんば、寡人の耳有る、將に安くにか道を聞きて度を得んとするや」と。管子對えて曰く、「君若し將に霸王たらんと欲し、大事を舉げんとせば、則ち必ず其の本事に從え」と。
現代語訳
桓公が位にあり、管仲と隰朋が謁見した。しばらく立っていると、二羽の大鳥が飛んで通り過ぎた。桓公が嘆じて言った、仲父よ、あの鴻鵠は時があれば南へ行き、時があれば北へ行き、行きたいときに行き、来たいときに来る。四方どこも遠くなく、至りたいところに至る。羽があるからというだけではあるまい。だからこそ、その意を天下に通じさせられるのだろうか。管仲と隰朋は答えなかった。桓公が言った、二人はなぜ答えない。管子が答えた、君には覇王の心がおありです。しかし私は覇王の臣ではありません。だからあえて答えないのです。桓公が言った、仲父はなぜそう言うのか。なぜ言うべきことを言ってくれないのか。私はどこへ向かえばよいのか。私に仲父があるのは、飛ぶ鴻に羽があるようなもの、大きな川を渡るのに舟と櫂があるようなものだ。仲父が一言も教えてくれなければ、私に耳があっても、どこで道を聞いて物差しを得ればよいのか。管子が答えた、君がもし覇王となり大事を挙げようとなさるなら、必ずその本となる事から始めなさい。
解説
この章句が説くこと
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論語・里仁篇子曰わく、いやしくも仁に志せば、悪しきこと無し。
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史記 伯夷列伝子曰く、「道同じからざれば相ひ為に謀らず」と。亦た各々其の志に従ふなり。故に曰く、「富貴もし求む可くんば、執鞭の士と雖も、吾も亦た之を為さん。如し求む可からずんば、吾が好む所に従はん」と。「歳寒くして、然る後に松柏の凋むに後るるを知る」。世を挙げて混濁して、清士乃ち見はる。豈に其の重んずること彼の若く、其の軽んずること此くの若くなるを以てせんや。
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葉隠・聞書第一一度打向へば、最早(もはや)其の道に入りたるなり。名人も人なり、我も人なり、何しに劣るべきかと思ひて、一度志すところが即ち聖人なり。後(のち)に修行して聖人に成り給ふにはあらず。十有五にして学に志すとは、即ち聖人なり。初発心時(しょほっしんじ)辨成正覚(べんじょうしょうがく)ともこれあるなり。