管子 / 小匡
相三月,請論百官。公曰:「諾。」管仲曰:「升降揖讓,進退閑習,辨辭之剛柔,臣不如隰朋,請立為大行。墾草入邑,辟土聚粟,多衆,盡地之利,臣不如戚,請立為大司田。平原廣牧,車不結轍,士不旋踵,鼔之而三軍之士視死如歸,臣不如王子城父,請立為大司馬。决獄折中,不殺不辜,不誣無罪,臣不如賔胥無,請立為大司理。犯君顔色,進諫必忠,不辟死亡,不撓富貴,臣不如東郭牙。請立以為大諫之官。此五子者,夷吾一不如,然而以易夷吾,夷吾不為也。君若欲治國彊兵,則五子者存矣。若欲霸王,夷吾在此。」桓公曰:「善。」
新字:相三月,請論百官。公曰:「諾。」管仲曰:「升降揖譲,進退閑習,弁辞之剛柔,臣不如隰朋,請立為大行。墾草入邑,辟土聚粟,多衆,尽地之利,臣不如戚,請立為大司田。平原広牧,車不結轍,士不旋踵,鼓之而三軍之士視死如帰,臣不如王子城父,請立為大司馬。決獄折中,不殺不辜,不誣無罪,臣不如賓胥無,請立為大司理。犯君顔色,進諫必忠,不辟死亡,不撓富貴,臣不如東郭牙。請立以為大諫之官。此五子者,夷吾一不如,然而以易夷吾,夷吾不為也。君若欲治国彊兵,則五子者存矣。若欲覇王,夷吾在此。」桓公曰:「善。」
書き下し
相たること三月、百官を論ぜんことを請う。公曰く、「諾」と。管仲曰く、「升降揖讓、進退閑習、辭を辨ずるの剛柔、臣は隰朋に如かず、請う立てて大行と為さん。草を墾き邑に入れ、土を辟き粟を聚め、衆を多くし、地の利を盡くす、臣は戚に如かず、請う立てて大司田と為さん。平原廣牧、車轍を結ばず、士踵を旋らさず、之を鼓して三軍の士死を視ること歸するが如し、臣は王子城父に如かず、請う立てて大司馬と為さん。獄を決し中を折り、不辜を殺さず、無罪を誣いず、臣は賓胥無に如かず、請う立てて大司理と為さん。君の顔色を犯し、諫を進めて必ず忠、死亡を辟けず、富貴に撓まず、臣は東郭牙に如かず、請う立てて以て大諫の官と為さん。此の五子なる者は、夷吾一つも如かず、然り而して以て夷吾に易うるは、夷吾は為さざるなり。君若し國を治め兵を彊くせんと欲せば、則ち五子なる者存す。若し霸王たらんと欲せば、夷吾此に在り」と。桓公曰く、「善し」と。
現代語訳
宰相となって三か月、百官について論じたいと願い出た。公は承知した。管仲が言った、昇り降りや会釈のしかた、進退の作法、言葉の強弱を使い分けること、私は隰朋に及びません。立てて大行としてください。草地を開いて邑に入れ、土地を開き粟を集め、人を増やし、土地の利を尽くすこと、私は戚に及びません。立てて大司田としてください。平原の広い牧で、車の轍が乱れず、兵が踵を返さず、鼓を打てば三軍の兵が死を帰るように見ること、私は王子城父に及びません。立てて大司馬としてください。裁きを決して中を取り、罪なき者を殺さず、無実の者を陥れないこと、私は賓胥無に及びません。立てて大司理としてください。君の顔色を犯して諫言を進め、必ず忠であり、死をも避けず、富貴にたわまないこと、私は東郭牙に及びません。立てて大諫の官としてください。この五人には、私はひとつも及びません。しかしこの五人と私を取り替えることは、私はしません。君がもし国を治め兵を強くしたいなら、この五人がおります。もし覇王となりたいなら、私がここにおります。桓公が言った、よい。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『政談』官位爵祿の次第並に勳階頭助允目の事且又役人を年久しく役換をさせねは、述懐することなく、其の役に器量相応にて、能く役儀のことを取り捌く人を外の役に替ふることは惜きことなり、是によりて一役に久しく仕置きて役換を申付ぬ時、加增か官位この外仕方なし、是上より下へ賜はりて下たるものに、勇まする道具少き故人を使ふに行支なるなり、町奉行、盗賊奉行なとをする人、役儀を能く勤めて外の役に換へ措しけれと、加增も度々はやられす、是非なく大目付などに役換をさせて、外の人を後役に申付たるとき、幾人申付けても初め大目付に役換をさせたる人の如き人なからんとき、又其人を元役に返すこと後へ歩むことなれは申付け難し、是は譬なり、外の役儀にも箇様なることあるへし、此差支皆な一役一席に立てたるより起りたるなり、
-
『徂徠先生答問書』卷中されば人々如此心懸候故、見え兼るもことわりにて候。足下も御先祖様の時代の事御聞可被成候。今の世より見候へば、其時分に名を申候能人と申候は皆疵物にて候。是別の子細に無御座候。其時分はぬり隠し申候事無御座候故、疵見え申候。疵見え申候得ば、人才は見え申候。今時も世上の悪俗に染不申候人は疵多く御座候間、疵物にならでは人才はなき物と被思召、疵物の内にて御ゑらび可被成候。疵もなく才も長じ候人を御尋候はゞ、最前申候御物ずきの注文と申物にて、疵なき人は郷原か巧言令色か扨は庸人と可被思召候。以上。
-
『韓非子』難二第三十七桓公曰く、「吾聞く、人に君たる者は人を索むるに労し、人を使うに佚すと。吾仲父を得ること已に難し。仲父を得るの後、何為れぞ易からざらんや。」
-
尉繚子・武議兵を起こして直ちに甲冑をして蟣蝨(きしつ)を生ぜしむる者は、必ず吾が効用を為す所なり。鷙鳥の雀を逐ふに、人の懐を襲ひ、人の室に入る者有るは、生を出だすに非ざるなり、後ろに憚る有ればなり。太公望、年七十にして、牛を朝歌に屠り、食を盟津に売り、七十余を過ぐるも主聴かず、人人之を狂夫と謂ふなり。文王に遇ふに及びては、則ち三万の衆を提げ、一戦して天下定まる、武議に非ずんば安くんぞ能く此に合はんや。故に曰く、
-
『甲陽軍鑑』品第十四一上の剛强成る男の仕形は、平生も陣の時は猶ほ以て人にもかまはず働き、前にも我しはざを分別にて工夫し、其塲へ出ては機のきいたる才覚を以て手抦をせんと思ふより、人にも一円搆はぬ者なり、二中の機のきいたる男は上の人に負けまじと機をきいて馳り廻り、上の人におとりて見へぬ者なり、三下の男は只の儀もなく上中の人がゆかば、我等もまいらんとて、ふたりの人に目をつけてつきそひまはる者なり、四其外の男は皆人なみと申すなり、上の男は侍百人の中にふたり、中の男は百人の内に六人、下の男は百人の中に十二人、残て八十人は並なり、
-
『甲陽軍鑑』品第十一一年前代駿河にて今川義元公の時、山本勘介三河国牛くほより今川殿へ奉公の望に参るといへども、彼山本勘介散々夫男にて、其上一眼指も不叶、足はちんばなり、然れども大剛の者なれば義元公へめしおかるゝ様にと広原勘介が宿成る故、おとなの朝比奈兵衛の尉をもつて申上げるは、彼の山本勘介大剛の者なり、殊更城とり陣取り一切の軍法を能く鍛練いたす、京流の兵法も上手なり、軍配をも存知仕つりたる者なりと申せとも、義元公かこへましまさず、駿河にてモヽ味の人の取りがといの山形は第一片輪者数取り服なり其法は其最を人数もとたずして何とて左様の義存ぜん、今川殿へ奉公に出て度きとて虚言を云ふなりと各申すにより、

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る