管子 / 小匡
桓公懼,出見客曰:「天威不違顔咫尺,小白承天子之命,而毋下拜,恐顛蹶於下,以為天子羞。」遂下拜,登受賞。服大路,龍旗九游,渠門赤旂。天子致胙於桓公而不受,天下諸侯稱順焉。
新字:桓公懼,出見客曰:「天威不違顔咫尺,小白承天子之命,而毋下拝,恐顛蹶於下,以為天子羞。」遂下拝,登受賞。服大路,竜旗九游,渠門赤旂。天子致胙於桓公而不受,天下諸侯称順焉。
書き下し
桓公懼れ、出でて客に見えて曰く、「天威は顔を違ること咫尺ならず、小白天子の命を承けて、而して下り拜する毋くんば、下に顛蹶して、以て天子の羞と為らんことを恐る」と。遂に下り拜し、登りて賞を受く。大路、龍旗九游、渠門赤旂を服す。天子胙を桓公に致すも受けず、天下の諸侯順と稱す。
現代語訳
桓公は懼れ、出て客に会って言った、天の威は顔から一尺と離れていない。小白は天子の命を承けながら、堂を下りて拝礼しないでいれば、下でつまずいて天子の恥となることを恐れます。そのまま堂を下りて拝し、上って賜り物を受けた。大きな車、龍の旗に九つの飾り、渠門の赤い旗を用いた。天子が供え物の肉を桓公に届けたが、下りずに受けよという命のほうは受けなかった。天下の諸侯は、これを順であると称えた。
解説
特別扱いを断る場面です。天子が、下りて拝礼しなくてよいと言った。桓公はそれを受けず、わざわざ堂を下りて拝しました。理由も自分の面子ではありません。ここで礼を欠けば天子の恥になる、と言うのです。九合一匡を成し遂げた人が、免除を断ることで諸侯の評価を得ました。小匡篇の中心は、この一礼で締めくくられます。
この章句が説くこと
天威は顔を違ること咫尺ならず天子の命を承けて而して下り拝する毋くんば以て天子の羞と為らんことを恐る遂に下り拝し登りて賞を受く天下の諸侯順と称す辞退礼
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