管子 / 小匡
今夫農,羣萃而州處,審其四時權節,具備其械器,用比耒耜穀芨。及寒,擊槀除田,以待時乃耕。深耕均種疾耰,先雨芸耨,以待時雨。時雨既至,挾其槍刈耨鎛,以旦暮從事於田壄,稅衣就功,别苗莠,列疏遬,首戴苧蒲,身服襏襫,沾體塗足,暴其髪膚,盡其四支之力,以疾從事於田野。少而習焉,其心安焉,不見異物而遷焉。是故其父兄之教,不肅而成。其子弟之學,不勞而能。是故農之子常為農,樸野而不慝;其秀才之能為士者,則足賴也。故以耕則多粟,以士則多賢,是以聖王敬畏戚農。
新字:今夫農,羣萃而州処,審其四時権節,具備其械器,用比耒耜穀芨。及寒,撃槀除田,以待時乃耕。深耕均種疾耰,先雨芸耨,以待時雨。時雨既至,挟其槍刈耨鎛,以旦暮従事於田壄,税衣就功,別苗莠,列疏遬,首戴苧蒲,身服襏襫,沾体塗足,暴其髪膚,尽其四支之力,以疾従事於田野。少而習焉,其心安焉,不見異物而遷焉。是故其父兄之教,不粛而成。其子弟之学,不労而能。是故農之子常為農,樸野而不慝;其秀才之能為士者,則足頼也。故以耕則多粟,以士則多賢,是以聖王敬畏戚農。
書き下し
今夫れ農は、羣萃して州處し、其の四時を審らかにし節を權り、其の械器を具備し、耒耜穀芨を用比す。寒に及べば、槀を擊ち田を除き、以て時を待ちて乃ち耕す。深く耕し均しく種き疾く耰し、雨に先んじて芸耨し、以て時雨を待つ。時雨既に至れば、其の槍刈耨鎛を挾み、旦暮を以て田壄に從事し、衣を稅ぎて功に就き、苗莠を別ち、疏遬を列ね、首に苧蒲を戴き、身に襏襫を服し、體を沾し足を塗り、其の髪膚を暴し、其の四支の力を盡くして、以て疾く田野に從事す。少くして焉に習えば、其の心焉に安んじ、異物を見て遷らず。是の故に其の父兄の教は、肅ならずして成る。其の子弟の學は、勞せずして能くす。是の故に農の子は常に農と為る、樸野にして慝ならず。其の秀才の士と為る能う者は、則ち賴むに足るなり。故に以て耕せば則ち粟多く、以て士とせば則ち賢多し、是を以て聖王は農を敬い畏れ戚しむ。
現代語訳
いま農は、群れ集まって州にまとまって住み、四季を見きわめ節目をはかり、道具をそろえ、鋤や鍬や種の袋を用意する。寒くなれば、刈り株を打ち田を片づけて、時を待って耕す。深く耕して均等に種をまき、すばやく土をかけ、雨に先んじて草を取り、時の雨を待つ。時の雨が来れば、鎌や草かきや鍬を手にして、朝から晩まで田野に出て働き、上着を脱いで仕事にかかり、苗と雑草を分け、条を整え、頭に菅や蒲の笠をかぶり、身には蓑をつけ、体を濡らし足を泥にして、髪も肌も日にさらし、手足の力を尽くして田野に励む。幼いうちからそれに慣れれば、心はそこに落ち着き、よそのものを見ても移らない。だから父兄の教えは厳しくしなくても成り、子弟の学びは苦労しなくてもできる。だから農の子は常に農となる。素朴で野暮だが、よこしまではない。その中で秀でた才があって士となれる者は、頼りにできる。だから耕させれば粟が多く、士とすれば賢者が多い。だから聖王は農を敬い畏れ、いとおしんだ。
解説
この章句が説くこと
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