管子 / 小匡
曰:「昔先君襄公,高臺廣池,湛樂飲酒,田獵罼弋,不聴國政,卑聖侮士,唯女是崇。九妃六嬪,陳妾數千,食必粱肉,衣必文繡,而戎士凍饑。戎馬待游車之弊,戎士待陳妾之餘,倡優侏儒在前,而賢大夫在後。是以國家不日益,不月長,吾恐宗廟之不掃除,社稷之不血食。敢問為之奈何?」管子對曰:「昔吾先王周昭王、穆王,世法文、武之逺迹,以成其名。合羣國,比校民之有道者,設象以為民紀,式美以相應,比綴以書,原本窮末,勸之以慶賞,糺之以刑罰,糞除其顛旄,賜予以鎮撫之,以為民終始。」
新字:曰:「昔先君襄公,高台広池,湛楽飲酒,田猟罼弋,不聴国政,卑聖侮士,唯女是崇。九妃六嬪,陳妾数千,食必粱肉,衣必文繡,而戎士凍饑。戎馬待游車之弊,戎士待陳妾之余,倡優侏儒在前,而賢大夫在後。是以国家不日益,不月長,吾恐宗廟之不掃除,社稷之不血食。敢問為之奈何?」管子対曰:「昔吾先王周昭王、穆王,世法文、武之遠迹,以成其名。合羣国,比校民之有道者,設象以為民紀,式美以相応,比綴以書,原本窮末,勧之以慶賞,糺之以刑罰,糞除其顛旄,賜予以鎮撫之,以為民終始。」
書き下し
曰く、「昔先君襄公、臺を高くし池を廣くし、樂に湛り酒を飲み、田獵罼弋して、國政を聽かず、聖を卑しみ士を侮り、唯だ女をば是れ崇ぶ。九妃六嬪、陳妾數千、食は必ず粱肉、衣は必ず文繡、而して戎士は凍饑す。戎馬は游車の弊るるを待ち、戎士は陳妾の餘りを待つ。倡優侏儒前に在りて、賢大夫は後に在り。是を以て國家日に益さず、月に長ぜず、吾宗廟の掃除せられず、社稷の血食せられざるを恐る。敢えて問う、之を為すこと奈何」と。管子對えて曰く、「昔吾が先王周の昭王・穆王は、世々文・武の遠迹に法り、以て其の名を成す。羣國を合わせ、民の道有る者を比校し、象を設けて以て民の紀と為し、美を式として以て相應じ、比綴して以て書し、本を原ね末を窮め、之を勸むるに慶賞を以てし、之を糺すに刑罰を以てし、其の顛旄を糞除し、賜予して以て之を鎮撫し、以て民の終始と為す」と。
現代語訳
公が言った、先君の襄公は、高殿を高くし池を広くし、楽しみに沈んで酒を飲み、狩りや網や弓に明け暮れて国政を聴かず、聖を軽んじ士を侮り、ただ女ばかりを尊んだ。九人の妃と六人の嬪、並べた側室は数千。食は必ず上等の穀と肉、衣は必ず刺繍。それでいて兵士は凍え飢えていた。軍馬は遊びの車が壊れるのを待ち、兵士は側室の食べ残しを待った。芸人や小人が前におり、賢い大夫は後ろにいた。だから国家は日ごとに増さず、月ごとに伸びず、私は宗廟が掃き清められず、社稷に供え物がされなくなることを恐れる。どうすればよいか。管子が答えた、昔、我らの先王である周の昭王と穆王は、代々文王と武王の遠い跡にのっとって名を成しました。多くの国を合わせ、民のうち道のある者を比べて調べ、しるしを設けて民の綱とし、美しいものを型として応じ合い、順に綴って書き記し、本をたずね末を窮め、賞で励まし、刑で正し、乱れたところを掃き清め、賜与して鎮め、それを民の始めから終わりまでの筋としたのです。
解説
この章句が説くこと
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『管子』小匡是の故に天下の桓公に於けるや、遠國の民は望むこと父母の如く、近國の民は從うこと流水の如し。故に地を行くこと滋々遠くして、人を得ること彌々衆し、是れ何ぞや。其の文を懷いて其の武を畏るればなり。故に無道を殺し、周室を定む、天下之を能く圉ぐもの莫きは、武事立てばなり。三革を定め、五兵を偃せ、朝服して以て河を濟り、而して怵惕する無きは、文事勝てばなり。是の故に大國の君は慙媿し、小國の諸侯は附比す。是の故に大國の君は事うること臣僕の如く、小國の諸侯は驩ぶこと父母の如し。夫れ然り、故に大國の君は尊からず、小國の諸侯は卑しからず。是の故に大國の君は驕らず、小國の諸侯は懾れず。是に於いて廣地を列ねて以て狹地を益し、有財を損じて以て無財に與う。其の君子を周くして、成功を失わず。其の小人を周くして、成命を失わず。夫れ是くの如くんば、居處すれば則ち順、出づれば則ち成功有り、甲兵を動かすの事を稱えずして、以て文・武の迹を天下に遂ぐ。桓公能く其の羣臣の謀を假りて以て其の智を益すなり、其の相は夷吾と曰い、大夫は戚・隰朋・賓胥無・鮑叔牙と曰う。此の五子を用うる者は何ぞや、功義を度り、德を光らかにし法を繼ぎ、終わりを紹ぎて以て後嗣に遺す。孝を昭穆に貽し、大いに天下に霸たり、名聲廣裕にして、掩う可からざるなり。則ち唯だ明君上に在り、察相下に在ればなり。
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『管子』中匡管仲國用を會するに、三分の二は賓客に在り、其の一は國に在り、管仲懼れて之を復す。公曰く、「吾子猶お是くの如きか。四鄰の賓客、入る者說び、出づる者譽むれば、光名天下に滿つ。入る者說ばず、出づる者譽めざれば、汚名天下に滿つ。壤は以て粟と為す可く、木は以て貨と為す可し。粟盡くれば則ち生ずる有り、貨散ずれば則ち聚まる有り。人に君たる者は、名之を貴しと為す、財安んぞ有つ可けんや」と。管仲曰く、「此れ君の明なり」と。公曰く、「民軍事を辦ず、則ち可なるか」と。對えて曰く、「不可なり。甲兵未だ足らざるなり、請う刑罰を薄くして以て甲兵を厚くせん」と。是に於いて死罪も殺さず、刑罪も罰せず、甲兵を以て贖わしむ。死罪は犀甲一・戟を以てし、刑罰は脅盾一・戟を以てし、過罰は金を以てす。軍に計る所無くして訟うる者は、成すに束矢を以てす。公曰く、「甲兵既に足れり、吾大國の不道なる者を誅せんと欲す、可なるか」と。對えて曰く、「四封の内を愛して、而る後に以て竟外の不善なる者を惡む可し。卿大夫の家を安んじて、而る後に以て敵に救するの國を危うくす可し。小國に地を賜いて、而る後に以て大國の不道なる者を誅す可し。賢良を舉げて、而る後に以て法を慢り鄙賤なる民を廢す可し。是の故に先王は必ず置く有りて、而る後に必ず廢する有り。必ず利する有りて、而る後に必ず害する有り」と。
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『管子』小匡桓公又た問いて曰く、「寡人政を修めて以て時を天下に干めんと欲す、其れ可なるか」と。管子對えて曰く、「可なり」と。公曰く、「安くに始めて可なるか」と。管子對えて曰く、「民を愛するに始まる」と。公曰く、「民を愛するの道は奈何」と。管子對えて曰く、「公は公族を修め、家は家族を修め、相連ぬるに事を以てし、相及ぼすに祿を以てすれば、則ち民相親しむ。舊罪を放ち、舊宗を修め、後無きを立つれば、則ち民殖う。刑罰を省き、賦斂を薄くすれば、則ち民富む。鄉に賢士を建て、國に教えしむれば、則ち民に禮有り。令を出だして改めざれば、則ち民正し。此れ民を愛するの道なり」と。公曰く、「民富みて以て親しめば、則ち以て之を使う可きか」と。管子對えて曰く、「財を舉げ工を長じて、以て民用を止む。力を陳ね賢を尚びて、以て民の知を勸む。刑を加うるに苛なる無くして、以て百姓を濟う。之を行うに私無ければ、則ち以て衆を容るるに足る。言を出だすに必ず信あれば、則ち令窮まらず。此れ民を使うの道なり」と。
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『管子』小匡桓公曰く、「民の居定まれり、事已に成れり、吾天下の諸侯に事を從えんと欲す、其れ可なるか」と。管子對えて曰く、「未だ可ならず。民心未だ吾に安んぜず」と。公曰く、「之を安んずるは奈何」と。管子對えて曰く、「舊法を修め、其の善き者を擇び、舉げて嚴に之を用う。民に慈しみ、財無きに予え、政役を寛くし、百姓を敬えば、則ち國富みて民安し」と。公曰く、「民安し、其れ可なるか」と。管仲對えて曰く、「未だ可ならず。君若し卒伍を正し、甲兵を修めんと欲せば、則ち大國も亦た將に卒伍を正し、甲兵を修めんとす。君に征戰の事有らば、則ち小國の諸侯の臣に守圉の備え有らん。然らば則ち以て速やかに天下に意を得難し。公速やかに天下の諸侯に意を得んと欲せば、則ち事に隱す所有りて、政に寓する所有らん」と。公曰く、「之を為すこと奈何」と。管子對えて曰く、「内政を作して軍令を焉に寓せよ。高子の里を為り、國子の里を為り、公里を為る。齊國を三分して、以て三軍と為す。其の賢民を擇びて、里君と為さしむ。鄉に行伍卒長有らば、則ち其れ令を制す。且つ田獵を以てし、因りて以て賞罰すれば、則ち百姓軍事に通ず」と。
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『管子』大匡異日、公管仲に告げて曰く、「諸侯の間事無きを以て、小しく兵革を修めんと欲す」と。管仲曰く、「不可なり。百姓病めり、公先ず百姓に與えて其の兵を藏めよ。其の兵に厚きよりは、人に厚きに如かず。齊國の社稷未だ定まらず、公未だ人に始めずして兵に始む、外は諸侯に親しまれず、内は民に親しまれず」と。公曰く、「諾」と。政未だ行う有る能わず、二年、桓公彌々亂れ、又た管仲に告げて曰く、「兵を繕わんと欲す」と。管仲又た曰く、「不可なり」と。公聽かず、果たして兵を為す。桓公宋の夫人と船中に飲む、夫人船を蕩かして公を懼れしむ、公怒りて、之を出だす。宋受けて之を蔡侯に嫁せしむ。明年、公怒りて、管仲に告げて曰く、「宋を伐たんと欲す」と。管仲曰く、「不可なり。臣聞く内政修まらざれば、外事を舉ぐるも濟らずと」。公聽かず、果たして宋を伐つ。諸侯兵を興して宋を救い、大いに齊師を敗る。
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『管子』戒桓公蹵然として逡遁す。管仲曰く、「昔先王の人を理むるや、蓋し人に勞を患うる有れども、上之を使うに時を以てすれば、則ち人勞を患えざるなり。人飢えを患うれども、上薄く斂むれば、則ち人飢えを患えず。人死を患うれども、上刑を寛くすれば、則ち人死を患えず。此くの如くして德有るに近づきて色有るに遠ざかれば、則ち四封の内君を視ること其れ猶お父母のごとくならんか、四方の外君に歸すること其れ猶お流水のごとくならんか」と。公射を輟め、綏を援きて乘り、自ら御し、管仲を左と為し、隰朋參乘す。朔月三日、二子を里官に進め、再拜頓首して曰く、「孤の二子の言を聞くや、耳聰を加え視明を加う、孤に於いて敢えて獨り之を聽かず、之を先祖に薦む」と。管仲・隰朋再拜頓首して曰く、「君の王たるが如きは、此れ臣の言に非ざるなり、君の教なり」と。是に於いて管仲と桓公と盟誓して令を為して曰く、「老弱は刑する勿かれ、參たび宥して而る後に弊し、關は幾して正せず、市は正して布せず、山林梁澤は時を以て禁發して、正せざるなり」と。草を封じ澤鹽する者の之に歸するや、譬えば市人の若し。三年人を教え、四年賢を選びて以て長と為し、五年始めて車を興し乘を踐む。遂に南のかた楚を伐ち、城に門施す。北のかた山戎を伐ち、冬蔥と戎菽とを出だして之を天下に布く。果たして三たび天子を匡し、而して九たび諸侯を合わす。