管子 / 小匡
至於堂阜之上,鮑叔祓而浴之三,桓公親迎之郊。管仲詘纓揷衽,使人操斧而立其後。公辭斧三,然後退之。公曰:「垂纓下衽,寡人將見。」管仲再拜稽首,曰:「應公之賜,殺之黄泉,死且不朽。」公遂與歸,禮之於廟,三酌而問為政焉。
新字:至於堂阜之上,鮑叔祓而浴之三,桓公親迎之郊。管仲詘纓揷衽,使人操斧而立其後。公辞斧三,然後退之。公曰:「垂纓下衽,寡人将見。」管仲再拝稽首,曰:「応公之賜,殺之黄泉,死且不朽。」公遂与帰,礼之於廟,三酌而問為政焉。
書き下し
堂阜の上に至り、鮑叔祓いて之を浴すること三たび、桓公親ら之を郊に迎う。管仲纓を詘め衽を揷み、人をして斧を操りて其の後に立たしむ。公斧を辭すること三たび、然る後に之を退く。公曰く、「纓を垂れ衽を下せ、寡人將に見えんとす」と。管仲再拜稽首して曰く、「公の賜に應じ、之を黄泉に殺すも、死して且つ朽ちず」と。公遂に與に歸り、之を廟に禮し、三たび酌して政を為すを問う。
現代語訳
堂阜の地に着くと、鮑叔は祓いをして三度沐浴させた。桓公は自ら郊外まで迎えに出た。管仲は冠のひもを縮め襟を差し込んだ姿で現れ、人に斧を持たせて自分の後ろに立たせた。公は斧を三度辞退し、そのうえで下がらせた。公が言った、ひもを垂らし襟を下ろしなさい。私はこれから会うのだから。管仲は再拝稽首して言った、公の賜にこたえ、たとえ黄泉で殺されても、死んで朽ちることはありません。公はそのままともに帰り、廟で礼を行い、三度杯を酌んで政のことを問うた。
解説
迎える側と迎えられる側の所作が細かく書かれた場面です。管仲は罪人の姿で来て、斧を持たせた者を自分の後ろに立たせました。公はそれを三度辞退して下がらせ、ひもを垂らし襟を下ろせと言う。形を整えることで、これは処刑ではなく招きだと示しました。そして廟で礼をして、杯を三度めぐらせてから、はじめて政を問います。
この章句が説くこと
鮑叔祓いて之を浴すること三たび桓公親ら之を郊に迎う管仲纓を詘め衽を揷み人をして斧を操りて其の後に立たしむ公斧を辞すること三たび然る後に之を退く公遂に与に帰り之を廟に礼し三たび酌して政を為すを問う迎える形
関連する章句
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『管子』小匡初め、桓公郊に管子を迎えて焉に問う。管仲辭讓し、然る後に對うるに國を參にし鄙を伍にし、五鄉を立てて以て化を崇くし、五屬を建てて以て武を厲まし、兵を政に寄せ、罰に因りて器械を備え、無道の諸侯に兵を加え、以て周室に事うるを以てす。桓公大いに說び、是に於いて齊戒すること十日、將に管仲を相たらしめんとす。管仲曰く、「斧鉞の人なり、幸いに以て生を獲て、以て其の領を屬す、臣の祿なり。國政を知るが若きは、臣の任に非ざるなり」と。公曰く、「子大夫政を受けば、寡人任に勝う。子大夫政を受けずんば、寡人崩れんことを恐る」と。管仲許諾し、再拜して相を受く。
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『管子』中匡桓公管仲に謂いて曰く、「請う仲父を致さん」と。公管仲父と與に將に之を飲まんとし、新井を掘りて焉を柴す。十日齋戒して、管仲を召す。管仲至り、公爵を執り、夫人尊を執り、觴三たび行われて、管仲趨りて出づ。公怒りて曰く、「寡人齋戒すること十日にして仲父を飲ましむ、寡人自ら以て修まれりと為す。仲父寡人に告げずして出づ、其の故は何ぞや」と。鮑叔・隰朋趨りて出で、管仲に途に及びて曰く、「公怒れり」と。管仲反り、入りて、屏に倍きて立つ、公與に言わず。少しく中庭に進む、公與に言わず。少しく堂に傅く、公曰く、「寡人齋戒すること十日にして仲父を飲ましむ、自ら以て罪を脱すと為す。仲父寡人に告げずして出づ、未だ其の故を知らざるなり」と。對えて曰く、「臣之を聞く、樂に沈む者は憂いに洽く、味に厚き者は行いに薄く、朝に慢る者は政に緩く、國家を害する者は社稷に危うしと。臣是を以て敢えて出でしなり」と。
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