管子 / 大匡
既以封衛,明年,桓公問管仲:「將何行?」管仲對曰:「公内修政而勸民,可以信於諸侯矣。」君許諾。乃輕稅,㢮闗市之征,為賦禄之制。既已,管仲又請曰:「問病臣,願賞而無罰,五年諸侯可令傅。」公曰:「諾。」既行之,管仲又請曰:「諸侯之禮,令齊以豹皮往,小侯以鹿皮報。齊以馬往,小侯以犬報。」桓公許諾,行之。管仲又請賞於國,以及諸侯。君曰:「諾。」行之。管仲賞於國中,君賞於諸侯。諸侯之君有行事善者,以重幣賀之。從列士以下有善者,衣裳賀之。凡諸侯之臣有諌其君而善者,以璽問之,以信其言。
新字:既以封衛,明年,桓公問管仲:「将何行?」管仲対曰:「公内修政而勧民,可以信於諸侯矣。」君許諾。乃軽税,㢮関市之征,為賦禄之制。既已,管仲又請曰:「問病臣,願賞而無罰,五年諸侯可令傅。」公曰:「諾。」既行之,管仲又請曰:「諸侯之礼,令斉以豹皮往,小侯以鹿皮報。斉以馬往,小侯以犬報。」桓公許諾,行之。管仲又請賞於国,以及諸侯。君曰:「諾。」行之。管仲賞於国中,君賞於諸侯。諸侯之君有行事善者,以重幣賀之。従列士以下有善者,衣裳賀之。凡諸侯之臣有諌其君而善者,以璽問之,以信其言。
書き下し
既に以て衛を封じ、明年、桓公管仲に問う、「將に何をか行わん」と。管仲對えて曰く、「公内に政を修めて民を勸めば、以て諸侯に信ぜらる可し」と。君許諾す。乃ち稅を輕くし、關市の征を弛め、賦禄の制を為す。既に已みて、管仲又た請いて曰く、「病臣を問い、願わくは賞して罰する無からん、五年にして諸侯傅かしむ可し」と。公曰く、「諾」と。既に之を行い、管仲又た請いて曰く、「諸侯の禮、齊をして豹皮を以て往かしめ、小侯は鹿皮を以て報ぜしめよ。齊は馬を以て往き、小侯は犬を以て報ぜよ」と。桓公許諾し、之を行う。管仲又た國に賞して、以て諸侯に及ばんことを請う。君曰く、「諾」と。之を行う。管仲國中に賞し、君諸侯に賞す。諸侯の君に行事の善なる者有らば、重幣を以て之を賀す。列士より以下善有る者は、衣裳もて之を賀す。凡そ諸侯の臣に其の君を諫めて善なる者有らば、璽を以て之を問い、以て其の言を信にす。
現代語訳
衛を封じたのち、翌年、桓公が管仲に問うた、これから何をするか。管仲が答えた、公が内で政を整えて民を励ませば、諸侯から信じられます。君は承知した。そこで税を軽くし、関所と市場の税をゆるめ、賦と禄の制を定めた。それが済むと、管仲がまた願い出た、病んだ臣を見舞い、賞だけにして罰をなくしたい。五年すれば諸侯を従わせられます。公は承知した。それを行うと、管仲がまた願い出た、諸侯との礼では、斉から豹の皮を持たせ、小さな諸侯には鹿の皮で返させなさい。斉が馬を贈れば、小さな諸侯は犬で返せばよい。桓公は承知して行った。管仲はさらに、国内で賞し、それを諸侯にまで及ぼしたいと願い出た。君は承知して行った。管仲は国じゅうで賞し、君は諸侯に賞した。諸侯の君で善い事を行った者があれば、重い礼物で祝う。列士より下で善のある者には、衣裳で祝う。諸侯の臣で自分の君を諫めて善であった者には、璽で問い合わせて、その言葉を確かなものにする。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』昭公三年 公事に私忌無し五月、叔弓滕に如き、滕の成公を葬る。子服椒介と為る。郊に及び、懿伯の忌に遇ふ。敬子入らず。惠伯曰く、「公事には公利有り、私忌無し。椒請ふ先づ入らん」と。乃ち先づ館を受く。敬子之に從ふ。晉の韓起齊に如きて女を逆ふ。公孫蠆少姜の寵有るが為に、其の子を以って公女に更へて、公子に嫁がしむ。人宣子に謂ふ、「子尾は晉を欺く。晉胡ぞ之を受くる」と。宣子曰く、「我齊を得んと欲して其の寵を遠ざけば、寵將に來らんや」と。
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『春秋左氏伝』昭公五年 始めを敬して終はりを思ふ晉の韓宣子楚に如きて女を送る。叔向介為り。鄭の子皮・子大叔、諸を索氏に勞ふ。大叔叔向に謂ひて曰く、「楚王の汏侈已甚し。子其れ之を戒めよ」と。叔向曰く、「汏侈已甚しきは、身の災ひなり。焉んぞ能く人に及ばん。若し吾が幣帛を奉じ、吾が威儀を慎み、之を守るに信を以てし、之を行ふに禮を以てし、始めを敬して終はりを思はば、終に復せざる無し。從ひて儀を失はず、敬して威を失はず、之を道くに訓辭を以てし、之を奉ずるに舊法を以てし、之を考ふるに先王を以てし、之を度るに二國を以てせば、汏侈と雖も我を若何せん」と。楚に及ぶ。楚子其の大夫を朝せしめて曰く、「晉は吾が仇敵なり。苟も志を得ば、其の他を恤ふる無けん。今其の來たる者は、上卿・上大夫なり。若し吾韓起を以て閽と為し、羊舌肸を以て司宮と為さば、以て晉を辱むるに足り、吾も亦た志を得ん。可ならんか」と。大夫對ふる莫し。薳啟彊曰く、「可なり。苟も其の備へ有らば、何の故に可ならざらん。匹夫を恥づかしむるすら以て備へ無かるべからず、況んや國を恥づかしむるをや。是を以て聖王は禮を行ふに務めて、人を恥づかしむるを求めず。
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『春秋左氏伝』昭公二十二年 華氏、楚に出奔す二十二年春、王の二月、甲子、齊の北郭啟師を帥ゐて莒を伐つ。莒子將に戰はんとす。苑羊牧之諫めて曰く、「齊の帥は賤し、其の求むること多からず。之に下るに如かず。大國は怒らす可からざるなり」と。聽かず。齊の師を壽餘に敗る。齊侯莒を伐つ。莒子成を行ふ。司馬灶莒に如きて盟に蒞み、莒子齊に如きて盟に蒞む。稷門の外に盟ふ。莒是に於いてか大いに其の君を惡む。楚の薳越、宋に告げしめて曰く、「寡君、君に不令の臣有りて、君の憂ひと為ると聞く。寧ろ以って宗の羞と為す無からんや。寡君請ふ受けて之を戮せん」と。對へて曰く、「孤佞ならず、父兄に媚ぶる能はず、以って君の憂ひと為る。命の辱きを拜す。抑君臣日に戰ふ。君曰く、『余必ず臣を是れ助けん』と。亦た唯だ命のままなり。人言へる有り、曰く、『唯だ亂門にのみ過ぐる無し』と。君若し惠みて敝邑を保んじ、不衷に亢(かば)ひて、以って亂人を獎むる無くんば、孤の望みなり。唯だ君之を圖れ」と。楚人之を患ふ。諸侯の戍謀りて曰く、「若し華氏困しむを知りて死を致し、楚功無きを恥ぢて疾く戰はば、吾が利に非ざるなり。之を出だして、以って楚の功と為すに如かず。其れ亦た能く為す無からんのみ。宋を救ひて其の害を除く、又何をか求めん」と。乃ち固く之を出ださんことを請ふ。宋人之に從ふ。己巳、宋の華亥・向寧・華定・華貙・華登・皇奄傷・省臧・士平、出でて楚に奔る。宋公、公孫忌をして大司馬為らしめ、邊卬を大司徒と為し、樂祁を司馬と為し、仲幾を左師と為し、樂大心を右師と為し、樂輓を大司寇と為し、以って國人を靖んず。
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史記 屈原賈生列伝屈平既に絀けらる。其の後秦斉を伐たんと欲す。斉と楚と従親す。恵王之を患ふ。乃ち張儀をして詳りて秦を去り、厚幣もて質を委ねて楚に事へしめて曰く、「秦は甚だ斉を憎む。斉と楚と従親す。楚誠に能く斉と絶たば、秦は商・於の地六百里を献ぜんことを願ふ」と。楚の懐王貪りて張儀を信じ、遂に斉と絶ち、使をして秦に如きて地を受けしむ。張儀之を詐りて曰く、「儀は王と六里を約せり。六百里を聞かず」と。楚の使怒りて去り、帰りて懐王に告ぐ。懐王怒り、大いに師を興して秦を伐つ。秦兵を発して之を撃ち、大いに楚の師を丹・淅に破り、首を斬ること八万、楚将屈丐を虜にし、遂に楚の漢中の地を取る。懐王乃ち悉く国中の兵を発して以て深く入りて秦を撃ち、藍田に戦ふ。魏之を聞き、楚を襲ひて鄧に至る。楚兵懼れ、秦より帰る。而して斉竟に怒りて楚を救はず。楚大いに困しむ。明年、秦漢中の地を割きて楚に与へ以て和す。楚王曰く、「地を得るを願はず。張儀を得て心を甘んぜんことを願ふ」と。張儀聞き、乃ち曰く、「一儀を以て漢中の地に当つ。臣請ふ往きて楚に如かん」と。楚に如き、又因りて厚幣もて事を用ふる者の臣靳尚に用ひ、而して詭弁を懐王の寵姫鄭袖に設く。懐王竟に鄭袖に聴き、復た張儀を釈し去らしむ。是の時屈平既に疏んぜられ、復た位に在らず。斉に使ひし、顧反し、懐王を諫めて曰く、「何ぞ張儀を殺さざる」と。懐王悔い、張儀を追へども及ばず。其の後諸侯共に楚を撃ち、大いに之を破り、其の将唐眛を殺す。時に秦の昭王楚と婚し、懐王と会せんと欲す。懐王行かんと欲す。屈平曰く、「秦は虎狼の国なり。信ずべからず。行くこと毋きに如かず」と。懐王の稚子子蘭、王に行くを勧む。「奈何ぞ秦の歓を絶たん」と。懐王卒に行く。武関に入る。秦伏兵もて其の後を絶ち、因りて懐王を留め、以て地を割かんことを求む。懐王怒り、聴かず。亡げて趙に走る。趙内れず。復た秦に之き、竟に秦に死して帰葬せらる。
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『春秋左氏伝』襄公二十九年 魯を瘠せて杞を肥やす展瑕・展玉父、一耦と為る。公臣は、公巫召伯・仲顏莊叔、一耦と為る。鄫鼓父・黨叔、一耦と為る。晉侯、司馬女叔侯をして來りて杞田を治めしむ。盡くは歸さざるなり。晉の悼夫人慍りて曰く、「齊や貨を取れり。先君若し知る有らば、之を取るを尚ばざらん」と。公、叔侯に告ぐ。叔侯曰く、「虞・虢・焦・滑・霍・揚・韓・魏は、皆姬姓なり。晉是を以て大なり。若し小を侵すに非ずんば、將に何れの所より取らん。武・獻より以下、國を兼ぬること多し。誰か之を治むるを得ん。杞は夏の餘なり、而して東夷に即く。魯は周公の後なり、而して晉に睦まじ。杞を以て魯に封ずるも、猶ほ可なり。而るを何か有らん。魯の晉に於けるや、職貢乏しからず、玩好時に至り、公卿大夫、相繼いで朝す。史は書を絕たず、府は虛月無し。是くの如くにして可なり。何ぞ必ずしも魯を瘠せて以て杞を肥やさん。且つ先君にして知る有らば、毋寧ろ夫人ならん、而して焉んぞ老臣を用ゐん」と。杞の文公來りて盟ふ。書して子と曰ふは、之を賤しむなり。
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『春秋左氏伝』哀公七年 信と仁の二徳對へて曰く、「豈に以て禮と為さんや。大國を畏るるなり。大國禮を以て諸侯に命ぜず。苟も禮を以てせずんば、豈に量るべけんや。寡君既に命に共(きょう)せり。其の老豈に敢へて其の國を棄てんや。大伯は端委して以て周禮を治む。仲雍之を嗣ぎ、髮を斷ち身に文し、臝(はだか)を以て飾りと為す。豈に禮ならんや。由りて然る有るなり」と。鄫より反りて、吳を以て能く為す無しと為す。季康子邾を伐たんと欲し、乃ち大夫を饗して以て之を謀る。子服景伯曰く、「小の大に事ふる所以は、信なり。大の小を保つ所以は、仁なり。大國に背くは不信、小國を伐つは不仁なり。民は城に保ち、城は德に保つ。二德を失ふ者は、危し。將た焉くにか保たん」と。孟孫曰く、「二三子以て何如と為す。惡んぞ賢にして之に逆はんや」と。對へて曰く、「禹、諸侯を塗山に合し、玉帛を執る者萬國。今其の存する者は、數十も無し。唯だ大は小を字(いつく)しまず、小は大に事へざればなり。必ず危ふきを知る、何の故に言はざらん。魯の德は邾の如くにして、眾を以て之に加ふ。可ならざらんや」と。樂しまずして出づ。

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