管子 / 大匡
乃命車駕,鮑叔御,小白乘而出於莒。小白曰:「夫二人者奉君令,吾不可以試也。」乃將下。鮑叔履其足曰:「事之濟也在此時,事若不濟,老臣死之,公子猶之免也。」乃行,至於邑郊,鮑叔令車二十乘先,十乘後。鮑叔乃告小白曰:「夫國之疑二三子,莫忍老臣,事之未濟也,老臣是以塞道。」鮑叔乃誓曰:「事之濟也,聴我令。事之不濟也,免公子者為上,死者為下。吾以五乘之實距路。」鮑叔乃為前驅,遂入國,逐公子糺。管仲射小白中鈎管仲與公子糺、召忽遂走魯。桓公踐位,魯伐齊,納公子糺而不能。
新字:乃命車駕,鮑叔御,小白乗而出於莒。小白曰:「夫二人者奉君令,吾不可以試也。」乃将下。鮑叔履其足曰:「事之済也在此時,事若不済,老臣死之,公子猶之免也。」乃行,至於邑郊,鮑叔令車二十乗先,十乗後。鮑叔乃告小白曰:「夫国之疑二三子,莫忍老臣,事之未済也,老臣是以塞道。」鮑叔乃誓曰:「事之済也,聴我令。事之不済也,免公子者為上,死者為下。吾以五乗之実距路。」鮑叔乃為前駆,遂入国,逐公子糺。管仲射小白中鈎管仲与公子糺、召忽遂走魯。桓公践位,魯伐斉,納公子糺而不能。
書き下し
乃ち車駕を命ず、鮑叔御し、小白乘りて莒を出づ。小白曰く、「夫れ二人の者は君令を奉ず、吾以て試む可からず」と。乃ち將に下らんとす。鮑叔其の足を履みて曰く、「事の濟るは此の時に在り、事若し濟らずんば、老臣之に死せん、公子は猶お之れ免れん」と。乃ち行き、邑郊に至る、鮑叔車二十乘を先にし、十乘を後にせしむ。鮑叔乃ち小白に告げて曰く、「夫れ國の二三子を疑うは、老臣に忍ぶ莫し、事の未だ濟らざるや、老臣是を以て道を塞ぐ」と。鮑叔乃ち誓いて曰く、「事の濟るや、我が令を聽け。事の濟らざるや、公子を免るる者を上と為し、死する者を下と為す。吾五乘の實を以て路に距らん」と。鮑叔乃ち前驅と為り、遂に國に入り、公子糺を逐う。管仲小白を射て鈎に中つ。管仲と公子糺・召忽と遂に魯に走る。桓公位に踐み、魯齊を伐ち、公子糺を納れんとして能わず。
現代語訳
そこで車を出させ、鮑叔が御し、小白が乗って莒を出た。小白が言った、あの二人は君の令を奉じている。私は試すわけにいかない。そして車を降りようとした。鮑叔はその足を踏まえて言った、事が成るのはこの時です。もし成らなければ老臣が死にます。公子はそれでも免れられます。そして進み、邑の郊外に着いた。鮑叔は車二十乗を先に、十乗を後ろに置かせた。鮑叔は小白に告げて言った、国が二三の者を疑っているのは、老臣には見過ごせません。事がまだ成らないので、老臣はこうして道をふさぐのです。鮑叔は誓って言った、事が成れば私の令を聞け。事が成らなければ、公子を逃がした者を上とし、死んだ者を下とする。私は五乗の実勢で道を防ぐ。鮑叔は先駆けとなり、そのまま国に入って公子糺を追った。管仲は小白を射て帯留めに当てた。管仲と公子糺と召忽は魯へ逃げた。桓公が位につき、魯が斉を討って公子糺を入れようとしたが、できなかった。
解説
この章句が説くこと
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『驢鞍橋』卷下彼人思ひ入たる道理計りを云つて聞きうけす、無理に剃髪を乞ふ。師曰く、夫れならば力及はす、其方次第也。我処にては、総して出家させず、何方にても剃りめされんず迄よ。夫れはともあれ、後にいきあたりめさるゝな。今云つて聞かせ申すぞ。御公儀より御穿鑿あらん時、別に云分有るへからす。某世間いやに御座有るに仍て、此の体に罷り成る也。曲事に思召さば、御成敗有るべしと云つて罷出て、腹切らんと思定めめさればすらるべし、是れ一つ。又出家しても食はでもならず、着でもならず、草履鼻紙も使はでならず、何としても一年に金三両ほどは入らんずと思ひめされよ。不観にひよつとすつて後、餓鬼に成りめさるゝな。覚悟有らばすりめされよ。寺に入り大事の施物を食ふも非義也。又親類衆纔かの知行を以て、世間を間に合はせて行かんとするを貪らんと思ふも比興也。夫れよりは此の身を主君に抛て、奉公して食ひたるかよき也。総而片ふしんに思にならぬ物也。我と自分過きするやうにする物也。是れ一つ。右の旨覚らば、御辺次第也。後に行当りめさるゝな。
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